本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

常磐線の主だったef80とはどんな電気機関車だったのか?

 

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引用先 https://blog.goo.ne.jp/antonrokuichi/e/da52b0970ea7134268fb2fb1be2da553

 

かつて常磐線ではef80型電気機関車が主として活躍していましたが、そもそもef80型電気機関車とはどんな目的で開発された車両だったのでしょうか。

 

 

 

ef80とはどんな暖気機関車だったのか?

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/178611

 

ef81の一つ前として常磐線で活躍したef80はまさに常磐線のために作られた車両でしたが、ef80も交直流電気機関車試作車のed92の試験結果などを反映して作られた車両ですが、常磐線については茨城県石岡市の柿岡にある地磁気観測所がある関係で上野から
手取までの区間については直流で電化することができましたが、

 

今度は手取から先をどのように電化するかということで地磁気観測所に影響がないようにということで交流で電化することが決まり、試作車のed92でいろいろとテストを行った末に本格的な交直流電気機関車として作られたのがef80でありました。

 

ef80が作られる前は常磐線の電化も迷走状態だった。

 

 

引用先 https://raillab.jp/series/4330

 

それで常磐線が電化された際についてはその当時の国鉄でもどんな機関車を使うかということで迷走状態でありましたが、どんな機関車が計画されていたかというと、


・旅客列車についてはEDクラスの交直流機

 

・貨物については直流ではfクラスの電気機関車

 

・交流区間でもfクラスの電気機関車

 

で運用する予定でありました。そうなると旅客については試作車のed92をベースにした車両が計画されていたのではないでしょうか。

 

それでは将来的な機関車の運用なども面倒になるのではということで、それなら一つの車両として開発したほうがいいのではないかということで作られた車両がef80になりますが、


この辺については北陸本線で使われていたef70とed74との関係に似たものではないでしょうか?


北陸本線の場合は貨物列車については福井までの区間がef70が担当し、それ以降の区間についてはed74が貨物と旅客を担当するという計画でありましたが、

 

 

それが北陸本線で運転する貨物列車のトン数を1200トンにするということで、最終的には北陸本線のすべての交流区間についてはef70での運転になることになったというのですから、

 

 

もし当初の計画通りであったら、常磐線でも機関車の運用が複雑になっていたというのですから、それでしたら一つの機関車に絞ったことが結果的によかったということになります。

 

 

 


ef80型電気機関車には貨物用と旅客用に分かれていた。

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/49689

 

いろいろな思惑が複雑に絡んだ末に開発されたef80ですが、ef80については1次型と2次型のがありますが、


ef80で共通している点はというと1次型と2次型で旅客用と貨物用の2種類があるという点ですが、


この辺については国鉄時代に作られたef64の0番台と1000番台でも旅客用と貨物用の2種類が存在していました。


あとef80の1次型と2次型の違いはというと、1次型はヘッドライトがへこんでいます。それに対して2次型はヘッドライトが出ているという点になりますが、

 

 

それ以外にもef80の2次型については側面のエアフィルターの上の明り取り窓はHゴム支持に変更されていることですが、この辺についてはef70の後期型でもありました。

 

 

それで1次型の旅客用と貨物用ですが具体時にはどこからどうなっているかというと、

 


引用先 https://itreni.net/jnrkeishikipage/el/jnref80.html

 

 


ef80の1から30までが旅客と貨物用の車両で、ef80の31から50までが貨物用になりますが、ef80 37号機については正面の窓が4枚になっているという点が、

 

 

引用先 http://blog.livedoor.jp/tec_300x/archives/52114945.html


ef80の唯一の変形車であります。

 

それと2次型の旅客用と貨物用はというと、

 

 


引用先 https://itreni.net/jnrkeishikipage/el/jnref80.html


ef80の51から58までが貨物用で、ef80の59から63までが旅客用になりますが、2次型の旅客用についてはレアな車両になりますが、


違いはというと車体の側面にある電気暖房装置の表示灯があるかないかだけになりますが、実際の運用では旅客用が貨物を担当することもありましたし、夏場などの暖房を必要としない時期には貨物用が普通列車などを担当することなどもありました。

 

ef80型電気機関車ブルートレインから貨物で活躍していた。

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/antonrokuichi/e/60ff595c2518c7621e10e91ca1a0716c


それで、ef80が担当した列車といえば寝台特急ゆうづるが有名でしたが20系時代の頃については上野から平までの区間を担当し、さらに平から仙台までがc62が担当していたということでも知られていますが、特に平から仙台まで担当したc62については撮影が夏場で日の出の早い時期にしか仙台から平に向かう列車しか撮影できないということでも有名でした。

 

それと旅客専用の車両については寝台特急ゆうづるとともに常磐線のもう1枚の看板列車でありました急行十和田を担当していたということでも知られていますが、

 

 

引用先 https://ameblo.jp/kitatetu-dd/entry-12508333162.html

 


夏場には貨物用の機関車も運用に入っていましたし、上野から平までの区間普通列車も担当していました。

 



引用先 https://expechizen.exblog.jp/11855971/

 

貨物についてはすべての車両が担当していましたが、それこそかつて全国各地で見ることができた車扱いの貨物列車からコンテナ列車に、

 

 


引用先 http://furukiyokikandou.image.coocan.jp/jyoubansen29.html


今も運転されている東邦亜鉛の安中貨物ですがこの列車については今はeh500になりますが、常磐線にef80が出てきてから運転が始まった貨物列車でありますが、

 

ef80についてはまさに常磐線で使われ、常磐線で終わった電気機関車でありましたが、その後、登場するef81の方が活動した範囲が広いということを考えると電気機関車の中でも不運な車両の一つになります。