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鉄道模型買取 アローズ
鉄道模型買取 アローズも鉄道模型は状態のいい物は高価買取をしています。
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鉄道模型買取 アローズですが、鉄道模型を高価買取できるその理由は、
店舗を持たずにWEB運営に特化することより、コストを抑え、その分を
鉄道模型の買取価格に還元していますが、
鉄道模型の買取専門業者は店舗を持った形態が多くあります。
その分だけ店舗の維持管理にも費用がかかりますから、
鉄道模型については高価買取をしますといっていても、
実際のところは買い取り価格も安くなっていますが
その点、鉄道模型買取 アローズは実店舗を持たずに
WEBだけに特化することで、店舗の維持管理にかかる費用を
抑えたことで、鉄道模型を高価買取しているということになります。
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鉄道模型買取 アローズはどんな方に向いているかというと、
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そんな方にオススメできる鉄道模型の買い取り専門店になります。
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鉄道模型買取 アローズは全国対応で、
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あとは送るだけですが、集荷も最短でその日のうちに来てくれて、
査定結果も2日以内に連絡が届き、買取代金も最短で24時間以内に
入金もしてくれますが、この点は鉄道模型買取 アローズが
WEBだけに特化したことで、その分だけ査定にかかる時間なども
大幅に短縮した結果になりますが、
この点は、他の鉄道模型買取専門業者にない大きなポイントになります。
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NゲージはもちろんHOゲージ、、KATO、TOMIX、天賞堂などの国内メーカー
に、marklinなどの海外メーカーの買取も行っていますが、
海外の鉄道模型メーカーの製品は買取を行う業者も限られていますが、
そうした方にも鉄道模型買取 アローズはオススメできます。
あと、鉄道模型買取 アローズは線路もそうですし制御機器はもちろんの
ことですがジオラマも買取していますが、
ジオラマまで買取するとなると本当に限られた業者だけと
なりますから、この点だけをとっても鉄道模型買取 アローズ
の実力の凄さをうかがえることができますし、
鉄道模型の買取に必要な送料や査定料はすべて無料となっています。
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鉄道模型買取 アローズにもメリットとデメリットが
ありますがどんなものかというと、
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デメリット
・個別の買取価格は提示されない場合がある
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鉄道模型買取 アローズについてはデメリットよりも
メリットの方が上回っているのも、実店舗を持たずに
WEBだけに特化したこそできる芸当ではないでしょうか。
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鉄道模型買取 アローズですが実際に利用した方の
口コミや評判はどうなのかというと、
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KATOの鉄道模型を売却した方の声になりますが、
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買取価格に大変満足されていますという方もいます」
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鉄道模型買取アローズについてはネット上でも良い評判や
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ということになります。
これに対して悪い評判はというと、
買取に納得ができない場合、返送料が自己負担になっていることや
実店舗がないということで、鉄道模型を直接店舗に持ち込むことが出来な
などがありますが、
後者のようなケースは稀なケースではないでしょうか。
これ以外では、ネットのフリーマーケットの方が
高く売れるという意見などもありますが、
鉄道模型買取アローズについては、利用した方の評判がいい
ということからも鉄道模型を高く売りたい方にオススメできる
専門の業者になります。
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鉄道模型買取アローズは、WEBだけに特化したことでその分を鉄道模型の買取
代金に上乗せすることで、鉄道模型を高価買取していますし、お得な
キャンペーンも展開していますから、その分だけ通常よりも高く不要となった
鉄道模型を買取してもらえますから、
不要となった鉄道模型を買い取り依頼する候補の一つとして検討してみる価値は
あります。
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http://d51791.com/pg22gohati.html
ef58は東京駅から出ていた長距離の急行でも活躍していましたが、どんな列車があったの
でしょうか。
ef58は急行時代の出雲と瀬戸も担当していた。
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http://c59162d51549d51862.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/1972132__d984.html
かつては九州方面の寝台特急が発着していた東京駅ですが、今ではサンライズ出雲と瀬戸
だけとなってしまいましたが、
サンライズ出雲は24系25型や14系14型で運転されていたこともありましたが、
出雲も東京駅から出ていた急行として運転されていたこともありましたが
急行時代の出雲の編成はというと、
ナハフ11 ナハ11 オハネ12×2 オロネ10 スロフ62 オハネ12 オシ17 オハネ12
オハネフ12
になりますが、急行出雲も長距離を走る関係で急行でありながらも食堂車を連結している
ところが最大のポイントになりますが、1970年代に運転されていた急行で食堂車を連結
していた列車はあまり多くなかったのですが、その一つが出雲でありましたが、
出雲は1972年の3月のダイヤ改正で20系の寝台特急に昇格し、今日に至っています。
出雲と同じく客車時代には24系25型が使われた寝台特急瀬戸も急行として運転されて
いましたが、急行時代は東京と岡山との間を往復していましたが、
1970年頃の急行瀬戸の編成はというと、
瀬戸
1 2号
オユ11 オロネ10 スハネ16×3 オシ16 スハネ16×5 オハネフ12
2 1号
マニ36 オロネ10 オロ11 スハネ16×2 オシ17 スハネ16×2 スハ43×3
スハフ42 スハ43 スハフ42
急行瀬戸は2往復運転されていましたが、食堂車も連結されていましたが、その中でも
瀬戸1 2号にはオシ16が連結されていましたが、オシ16はビュッフェタイプの食堂車
で、かつては急行彗星にも連結されていた車両ですが、1970年ころは急行十和田の
一部の列車と瀬戸1 2号だけに連結されていた車両としても有名でしたが、
急行瀬戸も1972年の3月のダイヤ改正で1 2号が20系の寝台特急に昇格し、
2 1号は廃止となりましたが、
この当時は急行出雲も瀬戸も東京機関区のef58が担当していましたから、お召し指定機の
ef5861号機も急行出雲や瀬戸の運用にも入っていた可能性は十分にあります。
瀬戸 1 2号は1972年の3月のダイヤ改正で20系の寝台特急に昇格。
2 1号は廃止
ef58が担当した急行といえば安芸もあった。
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https://omoidenoshasoukara.web.fc2.com/kuresen/kuresen25.html
東京発の急行で有名なのが東京と広島との間で運転されていた急行安芸がありますが、
急行安芸といえば、糸崎機関区に残った戦後型の3台のc59が担当したということは
良く知られていますし、晩年はヘッドマークもつくなどSLブームが終焉に迎える中で
有名になった列車ですが、
急行安芸も10系の軽量客車の寝台車で編成された編成美の美しい列車で、1970年の
10月に廃止になる前の編成はというと、
オハネフ12 オロネ10×2 スハネ16 オシ17 スハネ16×2 オハネ12×2 オハネフ12
スハネ16×2 オハネフ12
になりますが、急行安芸は完全な寝台急行列車でありますが、A寝台車が2両連結されている
点が一番のポイントでさらに食堂車も連結されていましたが、
急行安芸が運転されていた当時は、広島まで新幹線が伸びていなかったということもあり
人気の高い急行でありましたが、1970年10月のダイヤ改正で寝台特急あさかぜ 3 1号に昇格
し、列車の名前はその後153系の急行電車に引き継がれました。
急行紀伊もef58が担当していた。
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https://www.talentsguadalajara.com/product/F?577309=jvoroshilovg
ef58と縁のある列車の一つが14系14形時代に浜松機関区のef58が担当していた
出雲2、3号に連結されて運転されていた寝台特急紀伊がありますが、
紀伊も元は急行で、1970年代間では、王子 鳥羽方面に向かう複数の
編成で組まれた列車でその当時の編成が次のようになりますが、
ナハフ10 オロネ10 オロ11 オハネ12×2 ナハフ10×2 オハネフ12×2 スハネ16
ナハ10 ナハフ10
1972年のダイヤ改正で、急行銀河 1 1号に紀伊勝浦編成が併結 王子 鳥羽方面は廃止。
1975年の3月のダイヤ改正からは東京と米子を結んだ寝台特急いなばと組み合わさって
寝台特急として運転されるようになりました。
急行桜島と高千穂もef58が担当していた。
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https://trackway.exblog.jp/30078529/
1970年代の東京から出ていた最長の急行が急行桜島と高千穂ですが、急行桜島は
1970年の10月のダイヤ改正からこれまで運転されていた急行霧島から名前が変わり
ましたが、
急行霧島も東京駅から出ていた九州行きの急行では有名な方でしたが、晩年は
編成も短くなり、高千穂と組み合わさって運転されていましたが、
1970年の10月のダイヤ改正以降の編成は次の通りになります。
マニ60 オユ10 ナハフ11 オロ11 オシ17 ナハ11×3 ナハフ11×2 オロ11
ナハ11×3 ナハフ11
そして1972年の3月から食堂車が外され、
ナハフ11 オロ11 ナハ11×4 ナハフ11×2 オロ11
ナハ11×3 ナハフ11
1974年の12月からは高千穂からグリーン車が消えて、
ナハフ11 オロ11 ナハ11×4 ナハフ11×2
ナハ11×4 ナハフ11
スハフ42 スロフ62 ナハ11×2 オハ47×2 ナハフ11×2
ナハ11×4 ナハフ11
この頃になると急行よりも長距離を走る普通列車というような編成となり、
最終日の3月8日の急行桜島 高千穂は長距離を走る普通列車と変わらない編成となりましたが、
スハフ42 スハ43×2 オハ46 ナハ10 オハフ33 ナハフ10 オハ36 ナハフ11 ナハ10
オハ35 オハフ45
使われていた客車もスハ43系やオハ35系などが編成に組み込まれていたのですから、
長距離を走る普通列車とは変わらないものでありましたが、
この日を最後に東京から九州に向かう急行列車がすべて消えたということですが、
急行桜島 高千穂ですが東京から西鹿児島までにどれくらいの時間を要したかというと、
西鹿児島まで、急行桜島で24時間51分、急行高千穂は28時間11分になりますが、
急行桜島と高千穂ですが、門司で列車が分割され、桜島は鹿児島本線経由で、
高千穂は日豊本線経由で運転されていましたが、その分だけ余計に時間がかかった
ということでした。
そうしたこともあり、急行高千穂は日豊本線で上りと下りがすれ違い、さらに
本州に入ってからは急行桜島 高千穂が東京から出発した西鹿児島行きの列車と
すれ違うというようなこともありましたが、
それも急行高千穂が日豊本線経由で運転されていた関係ですが、いまでしたら
このような長距離を走る急行列車が運転されていたらどんな旅ができたのでしょうか。
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https://matsumoto-superazusa-1m.blog.jp/archives/13883258.html
銚子電鉄デハ700形はどういった理由で、銚子電鉄に来たのでしょうか。
銚子電鉄 700
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https://matsumoto-superazusa-1m.blog.jp/archives/13883258.html
銚子電鉄デハ700形は老朽化した車両の置換のため、近江鉄道から譲渡された車両でした。
銚子電鉄 700
20190525213916
https://kk-kiyo.hatenablog.com/entry/2019/08/29/061000
銚子電鉄デハ700形が銚子電鉄に来たのはデハ201とハフ1形二軸客車を置き換えるため
でしたが、銚子電鉄でも電車で運転していた列車以外にも二軸客車の客車を使った
列車も運転していましたが、この列車は銚子電鉄のマスコットでもあるデキ3が
担当していましたが、
車両の老朽化などは隠せなかったということで、近江鉄道で使われていた
モハ51とモハ52が銚子電鉄に来ましたが、
その際、改造工事を受けたのが西武鉄道所沢工場ですが、西武鉄道と
近江鉄道とは創業者の堤が絡んでいました。
近江鉄道から譲渡してもらったモハ51とモハ52は元の連結面の側に新たに
運転台を設置し、両運転台となりました。
そうしたこともあり、銚子電鉄デハ701とデハ702は元からあった運転台と
新たに設置された運転台とでは異なった作りになっているが一番の特徴になります。
銚子電鉄 700
680.2024.7.28.1
https://raillab.jp/photo/30665
銚子電鉄デハ700形のデハ701と702が引退した理由は、国交省からの是正勧告による
ものですが、この頃の銚子電鉄はいろいろと経営難の状況下でありましたから、
国から改善命令が出るのも当然のことでした。その結果、伊予鉄道から元京王の
2010系が来ることとなりました。
そして2010年の1月23日にデハ702が引退運転を行い、9月にデハ701が引退運転を
行いましたが、
この頃になると塗装もデハ701は新塗装、デハ702は
1960年代の銚子電気鉄道の標準塗装の水色と空色の2色塗り
に変更されましたが、
鉄コレ12弾で銚子電鉄のデハ701とデハ702が製品化されましたが、
そのうちデハ702は鉄コレ第12弾のシークレットでありましたが、
それぞれの車両のドアの細かな違いもしっかりと再現していますが、
デハ701については朱色にクリームの頃の塗装やデハ702は新塗装時代に
朱色とクリーム時代の塗装が製品化されていませんが、
20190525213940
https://kk-kiyo.hatenablog.com/entry/2019/08/29/061000
いつの日か鉄コレでデハ701とデハ702でまだ製品化されていない
塗装の車両も製品化してくれたらと思います。
そうなれば、デハ301やデハ501と並べて楽しむことができるのですが。
銚子電鉄 700
1203106166
http://c5557.kiteki.jp/html/poppono-oka-deha701-702.htm
銚子電鉄デハ700形のデハ701と702は引退したあと、どこで保存されているか
というと、いすみ市にある鉄道保存施設「ポッポの丘」に保存されていますが、
これが結果的に一番良かったことになりますが、この手の古い電車は
引退後は解体になるのがよくありますが、
それが大切に保存されているのですから、デハ701とデハ702に
とっても一番いい形で保存されたということでありました。
銚子電鉄 700
blog_import_5cb0120cee4fe
https://kuromarukuromaru.blog.fc2.com/blog-entry-931.html
銚子電鉄デハ700形のデハ701とデハ702が来たのは銚子電鉄で使われていた
車両の一部が老朽化したことでありましたが、今度は国からの改善命令で
引退しなければならなくなったのも皮肉な結果でありましたが、
あの当時はそれが一番の最善策だったということでした。
バリエーション豊富なタキ1900とnゲージで製品化されてきたものは?

引用先 https://f-kawasaki.sakura.ne.jp/car/taki01900/
トミックスから約40年ぶりにセメントターミナルのタキ1900が販売されることになりましたたが、タキ1900とはどんなタンク車なのでしょうか。
●タキ1900も今後その動向が注目されている。
●タキ1900も製造したメーカーで細かな違いも出ていた。
●タキ1900を所有したセメント会社も多数あった。
●タキ1900は今や太平洋セメントだけとなった。
●タキ1900もnゲージでいろいろと製品化されてきた。
●タキ1900のバリエーションも期待したい。
●タキ1900も今後その動向が注目されている。

引用先 https://ameblo.jp/yukawaakira/entry-12346181888.html
タキ1900は私有貨車の中でも一番多く作られたタンク車で、今も太平洋セメントの車両が存在していますが、今後の動向が注目されている貨車の一つです。
●タキ1900も製造したメーカーで細かな違いも出ていた。

引用先 https://ameblo.jp/yukawaakira/entry-12346493595.html
セメント専用タンク車のタキ1900は、私有貨車の中では最も多く作られたれ、1729両が作られましたが、製造したメーカーは4社が担当し、
大きく分けて5つのタイプに分類することができますが、
タキ1900は次の4社が製造を担当しました。
・川崎車輌
・日立車両
・日本車両
・三菱重工
その結果、メーカーごとでも同じ形式のタンク車でもありながらも、細かな違いが出たということで、セメントターミナルの設立に合わせて、国鉄が主導した統一した設計の標準車が1973年から作られ、翌年の1974年以降からは一般輸送含めて、標準車が作られるようになりましたが、標準車を担当したメーカーは川崎重工、日立製作所、日本車両が担当しました。
プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑にもタキ1900の画像が掲載されていますが、各メーカーで作られたタキ1900の細かな違いがはっきりと確認することができます。
●タキ1900を所有したセメント会社も多数あった。

引用先 https://raillab.jp/photo/137228
セメント専用のタンク車のタキ1900ですが、
セメントターミナル以外で所有していた会社は次のようになります。
・大阪セメント
・三井鉱山
・三菱鉱業
・住友セメント
・明星セメント
・東北開発鉱業
となりますが、このうち小野田セメント、秩父セメント、日本セメントは合併して太平洋セメントとなりましたが、これらのセメント会社に共通しているのはセメント専用のホキ5700であったり、ホキ3100なども所有していましたし、
三菱鉱業のタキ1900は西武鉄道のe851が重連で担当していたということでも知られていますから、比較的都心でもなじみがあったセメント専用のタンク車でした。
●タキ1900は今や太平洋セメントだけとなった。

引用先 https://blog.goo.ne.jp/ef66_20/e/9aa35b364b6491ed3ffa4f08921459ba
タキ1900ですが、今は三重県にある太平洋セメントの藤原工場で作られたセメントを積んで、四日市にある出荷センターまでのルートで使われていますが、各地にあったセメント会社の工場から出ていた列車が今やここだけとなってしまいましたが、
太平洋セメントの藤原工場で作られたセメントを積んだタキ1900は、三岐鉄道の東藤原駅を出て、JR西日本の関西線を経由して四日市にある出荷センターまで運転されていますが、四日市にある太平洋セメントの出荷センターに向かう途中には国内では数が少なくなった可動橋の末広橋梁もありますし、今はdf200ですがその前はdd51が担当していたということでもよく知られていますが、
太平洋セメントの藤原工場が毎年4月末から6月の上旬にかけて定期修理を行う期間はセメント列車も運休しています。
現在、太平洋セメントに残っているタキ1900はというと、
・川崎重工
・日本車両
・標準型の日本車両製
が残っていますが、逆に言えばこれだけのロットの車両が残っていること自体奇跡的ではないでしょうか。
それだけタキ1900も貴重となってきているということになります。
●タキ1900もnゲージでいろいろと製品化されてきた。

引用先 https://ameblo.jp/yukawaakira/entry-12347259261.html
タキ1900はnゲージでは、古くはトミックスが香港製の貨車を販売していた頃にすでに製品化されましたが、どんな車両があったかというと、
・セメントターミナル
・三菱鉱業
に所属車両が製品化されましたが、これらの車両も急激な円高の影響を受けて生産中止となりましたが、
その後、グリーンマックスから限定版で復刻されたこともありましたが、今もグリーンマックスから限定版で復刻されたタキ1900の
・セメントターミナル
・三菱鉱業
の車両を持っている方もいるのではないでしょうか。
香港製のタキ1900は河合商会から再び製品化されましたが河合商会のタキ1900は複数のセメント会社の車両が製品化されました。
ちなみに河合商会が製品化したタキ1900のラインナップは次のようになります。
・住友セメント
・三菱鉱業
セメントターミナル
・大阪セメント
・明星セメント
河合商会のタキ1900ですが、トミックスの香港製の頃と比べて複数のセメント会社が製品化されたことが特筆されますが、今度は河合商会が倒産したということで、香港製の会社はポポンデッタが引き継ぎ、
・タキ1900 秩父セメント 3両セット
・タキ1900 秩父セメント
・タキ1900 セメントターミナル(郡山)
・タキ1900 明星セメント
・大阪セメント
となりましたが、河合商会が製品化したタキ1900と比べても所有した会社が少なくなっています。
2021年の4月になってからですが、セメンターミナルのタキ1900がリニューアルされ、12両セットと2両セットが製品化されました。
これ以外のメーカーでタキ1900は製品化されたかというと、
カトーから
・三菱鉱業
が製品化されましたが、これらの共通しているのは三菱鉱業に所属した車両が、三菱鉱業自体がセメント輸送を終了した関係で、他の会社に移動した車両となります。
あと、マイクロエースもタキ1900を製品化しましたが、
マイクロエースのタキ1900は
・明星セメント
・西武鉄道 E852 新製時・ワフ101・タキ1900 11両セット
となりますが、小野田セメントと太平洋セメントは10両セットとなっていますし、三菱鉱業の車両が西武鉄道に在籍したe852とのセットになっていますが、マイクロエースではこうした企画物も得意としていますから、このようなセットもありました。
そしてトミックスからは改めタキ1900の太平洋セメントに所属する車両が限定版の10両セットと単品で販売されましたが、タキ1900も今では太平洋セメントだけとなりましたし、後継車も登場したということで、いよいよ引退も近づいてきたいるということではないでしょうか。
10月には単品のタキ1900 太平洋セメント仕様が再販となりますし、年末にかけてはセメントターミナル仕様の10両セットと単品も販売されますが、
年明けの2025年に樽見鉄道で使われていたtde10のセットが販売されるということですから、それと組み合わせる形で販売となりますが、セメントターミナル仕様のタキ1900が製品化されるのは約40年ぶりのことではないでしょうか。
それくらいに年数が経過しています。
●タキ1900のバリエーションも期待したい。

引用先 https://ameblo.jp/yukawaakira/entry-12346414082.html
トミックスから再び製品化されたタキ1900ですが、今後はバリエーションはどうなのでしょうか。タキ1900を所有したメーカーは複数ありますから、複数のメーカーのタキ1900が製品化されたらコレクター冥利に尽きるのではないでしょうか。
それくらいに魅力的な車両の一つになります。
サロ110 350番台が登場した背景と理由はどんなことだったのか?

引用先 https://raillab.jp/photo/12714
katoからサロ110 350番台が製品化されますが、サロ110 350番台はどんな理由があって登場したのでしょうか。
●サロ110 350番台の登場の裏には東北・上越新幹線が絡んでいた。
●サロ110 350番台にはクーラーが2種類ある。
●サロ110 350番台以外に特急用グリーン車から改造された車両。
●サロ110 350番台は使い勝手が悪かった。
●サロ110 350番台以外にnゲージで製品化された化サロは?
●サロ110 350番台は国鉄の台所事情も絡んでいた。
●サロ110 350番台の登場の裏には東北・上越新幹線が絡んでいた。

引用先 https://1980jnr.net/contents1-1-9.html
サロ110 350が登場した理由は、1982年の11月に東北・上越新幹線が開業したことで特急列車で運転されていた列車が廃止になった関係で、グリーン車の余剰が生じたということと、これまで使われてきたサロ110 0番台の老朽化もあり、その置き換えで特急列車で余剰となったグリーン車が転用されたのが、サロ110 350番台になります。
●サロ110 350番台にはクーラーが2種類ある。

引用先 http://b767-281.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/197510-10-113-5.html
サロ110 350番台は、元489系のサロ489から改造された車両ですが、クーラーが2種類ありキノコ型のAU12と箱型のAU13になりますが、なぜ?クーラーが2種類存在するかというと、製造年代で搭載されたクーラーも異なっていました。
キノコ型のAU12は481系の初期のグループで使われていました。箱型のAU13は中期型から後期型の481系で使われていましたから、489系でも同じように初期型と中期型ではクーラーも異なっていましたから、それをサロ110 350番台にも引き継いだということになりますが、
番号で行くと、サロ110 351~356、359~360までがキノコ型のAU12、サロ110 357~358、361~362までが箱型のAU13になりますが、サロ110 350番台は12両ありましたが、そのうちの3分の1がキノコ型のAU12を搭載した車両でしたが、逆に言えば箱型のAU13を搭載したサロ110 350番台はレアな車両になります。
●サロ110 350番台以外に特急用グリーン車から改造された車両。

引用先 https://himitsu86.blogspot.com/2010/01/2.html
サロ110 350番台以外で特急用のグリーン車から改造された車両はあるのかというとありますが、特急ときで使われていた181系から改造された車両もありますが、
・サロ110 301

引用先 http://www.kanorail.com/181/181kei.htm
・サロ110 302~303

引用先 https://kima40077.blog.fc2.com/blog-entry-5035.html
サロ110 301は181系のサロ180 1001から改造された車両ですが、181系由来の車体の低さが特徴で、113系で運転されていた東海道本線の普通列車に連結された際には、車体の低さがひときわ目立っていました。
サロ110 302~303ですが、この車両は元をたどっていくとサロ481 1050番台の1051と1052にたどり来ますが、なぜ?181系に編入されたかというと、
これまで特急ときで使われてきたサロ181とサロ180が老朽化した関係で181系に編入されたという経歴を持つ車両で、サロ110 350番台と同じグループになりますが、ただ181系に所属していたということで300番台となりましたが、181系時代は特急ときに連結されても481系由来の車体の高さが目立っていました。
・サロ110 304~311

引用先 http://jigyourin.web.fc2.com/yokosuka8-8.html
サロ110 304~311のグループは元183系のサロ183から改造されたグループになりますが、元々は特急あずさなどで使われていましたが、特急あずさ自体の車両の減少などで余剰となった関係で近郊型のグリーン車に改造されました。
湘南色に改造された化けサロは以上になりますが、
化けサロにはスカ色となった車両もあります。
・サロ110 1351~1358

引用先 https://x.com/ozayo1965/status/807586812176650240?mx=2
・サロ110 1301~1305

引用先 https://blog.goo.ne.jp/satokawa_157/e/72bc0f9d73e220210c7771cf929ad2e6
スカ色のサロ 110 1350番台と1301番台も元をたどっていくと前者がサロ481の後期型、サロ489の後期型。後者がサロ183 1000番台となりますが、
種車で枝番が発生しましたが、サロ110 1350番台と1300番台も横須賀線で使われていたサロ110の老朽化で登場しましたから、この点は、東海道本線で使われたサロ110 300番台や350番台と同じになります。
●サロ110 350番台は使い勝手が悪かった。

引用先 https://khkar2.exblog.jp/20636808/
特急用のグリーン車から改造されたサロ110 350番台は実際に運用に入ると定員数が多いサロ110 1200番台と組み合わさって使われていましたが、その理由も元が特急用のグリーン車ということで、定員が少ないということもありました。そうした関係で通勤時間帯にグリーン定期券利用者からは着席ができないなどの不評も出ましたし、
サロ110 301はトイレがあった部分を扉に改造したということでトイレがないということで、サロ110 1200番台と必ず組み合わさって使われていましたが、いざ特急用のグリーン車を近郊型に転用してみたのはいいのですが、使い勝手が悪かったということでした。
●サロ110 350番台以外にnゲージで製品化された化サロは?

引用先 https://ameblo.jp/yururunotoki/entry-12518582993.html
今回katoから製品化されるサロ110 350番台はクーラーが箱型のAU13を搭載した車両になりますが、サロ110 350番台はnゲージでは昔はサロ481をベースにして改造するというのが当たり前でしたが、それがまともに手に入るようになったのですからそれだけでも朗報でありますが、これまでnゲージの分野で化けサロと呼ばれたグループはマイクロエースから製品化されており、
2006年に販売された113系湘南色増結4両セットにサロ110 356。
2013年の国際鉄道模型コンベンションの限定品として販売されたサロ110 45、サロ110 302、サロ110 357 サロ110 1305。
2015年の国際鉄道模型コンベンションの限定品として販売されたサロ113 1000番台、サロ110 1350番台、サロ124。
2022年に販売されたサロ110 303、サロ110 309。
katoから2022年の5月に販売された113系 1000番台 横須賀・総武快速の基本セットにサロ110 1358が入っています。
今回は湘南色の350番台が単品での販売となりますが、そうなると残りの化けサロも今後製品化されていくのでしょうか。
●サロ110 350番台は国鉄の台所事情も絡んでいた。

引用先 http://b767-281.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/197510-10-113-5.html
katoから単品で販売されることとなったサロ110 350番台も改造しても使いにくかったというのですが、その当時の国鉄には新たな車両を作るだけのお金もなかった関係でこのような車両が登場しましたが、
この他にも165系のサハ165をグリーン車にしたサロ110 501やサロ165から改造したサロ110 401などもありましたが、これらの車両もこれまで使ってきたサロ110の老朽化で登場した車両ですが、使い勝手も悪かったのではないでしょうか。
ef58にツララ切りがついた背景から見えてくるものは?

引用先 http://ef58.info/EF58/EF58vol06.html
ef58でも一部の車両に、ツララ切りが付きましたがどんな理由で、ツララ切りがついたのでしょうか。
●ef58にツララ切りがついた背景。

引用先 http://www.ef58.info/EF58/58keitai/EF58-oomado01.html
ef58にツララ切りがついた一番の理由は、上越線のトンネルで冬場にトンネルの壁から漏水した水が凍り、つららとなって垂れ下がり運転台の窓が破損する事故があり、それを防ぐためにツララ切りが付きましたが、これは上越線という路線の特徴が出ていたということではないでしょうか。
何しろ豪雪地帯を走る路線でありますから。
●ef58でツララ切りがついた車両は何両あったのか?

引用先 http://www.kanorail.com/EF58/EF58_1.htm
ef58でツララ切りがついた車両は何両あったかという件は、鉄道ファン1984年11月号にひさしが気になるef58という記事がありますが、この記事にef58の何号機にツララ切りがついていたかということが一覧表になって出ていますが、その一覧表によると次のef58にツララ切りつきがつきました。
ef58 7 8 15 16 17 20 29 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 49 50 51 52 58 59 62 63 65 66 67 70 71 72 81 86 87 88 89 90 102 103 104 105 106 107 110 120 121 130 131 132 133 134 135 136 137 152 153 173 174 175
ef58でツララ切りがついた車両は61両になります。
●ef58にツララ切りがついた理由。

引用先 http://ef58.info/EF58/EF58vol18.html
・試験的につられた。
たまたま上越線に入線することがあってつけられたケースがありましたが、このケースは鋳鋼台車のef58 29が該当します。
・貸し出された関係でついた。
東京機関区に配属されていたef58 66 102 104 105 106は、宇都宮や高崎第二にお盆や年末年始に貸し出された関係でツララ切りがつきましたが、宇都宮や高崎第二は上越線も担当していましたから、配属されていたef58は当然のことですが、東京機関区から貸し出された車両にもツララ切りがついたのも、それだけ機関車のやりくりが大変だったと推測することができます。
・日よけとしてつけられた。
広島に配属のef58は左右一体のツララ切りがつきましたが、番号で行くとef58 8 15 16 17 20 62 81までで、左右一体の理由も乗務員からの要望でありましたが、広島から宇都宮に転属されたef58 65号機も試験的に左右一体のツララ切りがつきました。
・落成した当初からついていた。
ef58 35~47は落成した当初からツララ切りがついていましたが、その理由も上越線の電化絡みでありましたが、そのうちうち45は鋳鋼台車を装備していましたし、35、36は側面が7つ窓で、35号機は固定式のスノープロウを装備していたが、35号機以外の車両はその後、東海道本線に転用されることとなり、さらに特急つばめとはとを担当する関係で青大将にもなりましたが、ef58 41~46は1971年から1975年にかけてツララ切りを取り外しました。

引用先 https://ozayo1965.blog.fc2.com/blog-entry-1283.html
広島機関区に配属されたef58で左右一体型のひさしを装備したef58は、パンタグラフも下枠交差のpS22に交換されましたが、その理由も予備のパンタグラフの部品がなかった関係でそうなりましたが、

引用先 https://ozayo1965.blog.fc2.com/blog-entry-1356.html
番号で行くとef58 8 15 16 17 20 62 81が該当しますが、広島機関区のef58は東京ではなかなか見かけることがなかった車両で、団臨で上京した時にしか撮影できない車両としても有名でした。
あと、広島機関区に配属されていたつらら切りがついたef58もパンタグラフがps22に交換されていましたが、理由は予備の部品がなかったということでした。

引用先 https://shonan253.blog.jp/archives/24345425.html
●ef58のツララ切りで人気のあった車両。

引用先 http://ef58.info/EF58/EF58vol18.html
ef58でツララ切りのついた車両にも人気の車両がありましたが、次の番号が特に人気が高かった車両です。
・ef58 16 原形大窓でなおかつ左右一体のツララ切りでPS22を搭載した広島型。

引用先 http://www.ef58.info/EF58/58keitai/EF58-oomado01.html
・ef58 29 鋳鋼台車を装備し、原形大窓で下関に配属されていた。

引用先 https://blog.goo.ne.jp/antonrokuichi/e/2e9f1e5156a2030d87ccaf5d506992e6
・ef58 35 側面7つ窓で、長岡時代には1972年の新津での植樹祭の時にお召し予備機に指定。

引用先 http://ef58.info/EF58/EF58vol05.html
・ef58 36 側面7つ窓で、米原時代には20系の寝台特急日本海などをけん引していた。

引用先 https://takurika54.exblog.jp/20979990/
・ef58 43 原形大窓でツララ切りが付き、竜華機関区で廃車になるまで原形だった

引用先 http://ef58.info/EF58/EF58vol06.html
・ef58 47 原形大窓でツララ切りが付きで20系の急行銀河で活躍。

引用先 http://oyajin103.web.fc2.com/etc/jnr_loco41.htm
・ef58 66 原形大窓でツララ切りが付き、竜華機関区に最後まで残った。

引用先 http://trainribero.minibird.jp/topphoto%202011.09.html
・ef58 88 東京機関区に残ったツララ切りが付き、可動式のスノープロウスノープロウを装備。

引用先 https://blog.goo.ne.jp/antonrokuichi/e/9c9405609b4e0c235d4a03db501a1f96
・ef58 89 青から茶色になった宇都宮機関区に最後の残ったツララ切りの車両。

引用先 https://raillab.jp/photo/137442
・ef58 130 赤城国体の際のお召し予備機に指定。

引用先 http://www.ef58.info/EF58/EF58vol17.html
ef58でツララ切りのついた車両で人気があったef58もいろいろとありましたが、ef5889号機以外はすべて過去帳の世界に張ってしまった車両ばかりでありましたが、逆に言えばそれだけツララ切りのついたはef58は使われていた路線も限られていたということですから人気が出るのも当然のことでした。
nゲージでは、ツララ切りがついたef58はトミックスやカトーからも製品化されていましたが、今は中古品を探すしかありませんが、35号機も製品化されていたがこれも中古品で探すということになりますが、動力ユニットを改良の上で再生産を待ちたいものです。
青大将のef58も担当した急行列車 時代の貴重な鉄道記録。

引用先 http://tetueizuki.blog.fc2.com/blog-entry-136.html
ef58が担当した急行には、特急つばめとはとが青大将に変わったときに九州に向かう長距離の急行が運転されていましたが、どんな列車があったのでしょうか。
●ef58で青大将になった車両は?
●ef58が青大将になった時に運転されていた九州行きの急行。
●ef58が青大将となった車両も九州行きの急行担当したのか?
●ef58が青大将時代に運転された急行で使われた客車は?
●ef58で青大将になった車両は?

引用先 http://ef58.info/EF58/EF58vol06.html
1956年11月19日のダイヤ改正の際にef58も青大将になった車両もありましたが、どんな車両があったかというと、次のようになります。
東京機関区 ef58 38、44、45、49、55、57、59、53、64、66、68
宮原機関区 ef58 37、41、46、47、52、58、70、86、89、90、95、99、100
で、
その当時、青大将になったef58で注目のナンバーはというと、
・大窓でひさし付き37~38、41、44、46、47。
・大窓でひさし付きで鋳鋼製先台車45号機。
・大窓から前面窓がhゴム工事を受けた58号機。
になります。
●ef58が青大将になった時に運転されていた九州行きの急行。

引用先 https://raillab.jp/photo/260040
東海道本線が完全に電化されたのが、1956年の11月ですから今から70年前になりますが、その当時は東京から九州に向かうのには東京を昼出発する急行もしくは夜に出発する急行を利用するしかありませんが、
今でしたら羽田や成田から九州行きの飛行機で行けばいいのですが、1956年の11月の時点では東京から大阪を経由して福岡に向かう路線がありましたが、庶民には高嶺の花ということで、この当時は東京から九州に向かうのには鉄道を利用するしかなかったのですから、その当時は九州が本当に遠い場所でありましたからこそ、1956年の11月に寝台特急あさかぜの誕生にもつながっていったということでした。
東海道本線が完全に電化された1956年11月19日のダイヤ改正の時運転されていた九州行き急行にはどんなものがあったかというと、
・阿蘇 東京 10:00分→大阪 19:20分→熊本 10:35分
・西海 東京 10:30分→大阪 20:05分→佐世保 11:06分
・高千穂 東京 10:30分→大阪 20:40分→西鹿児島佐世保 18:28分
・霧島 東京 13:00分→大阪 22:00分→鹿児島 17:10分
・雲仙 東京 13:30分→大阪 22:40分→長崎 14:38分
・筑紫 東京 20:30分→大阪 7:10分→博多 19:45分
・さつま 東京 21:45分→大阪 8:40分→鹿児島 5:46分
このうち、筑紫とさつまが夜行で、この当時、東京から九州に向かう急行は東京と大阪、大阪と九州各地を結ぶ重要な役目も果たしていました。その中で、急行さつまは終着の鹿児島まで2夜連続で運転されていた急行になりますが、
なぜ?急行さつまがそのような運転スタイルになったかというと、急行さつまですが、当初は東京と博多を結ぶ急行でしたが、それが鹿児島まで運転区間が伸びた関係で、東京から鹿児島まで2夜連続で運転される急行となったのですが、
これも今考えてたらとにかくぶっ飛んでいるとしか言いようがありませんが、似たような例は今は廃止となった急行きたぐにもありましたが、急行きたぐにも前進にあたる急行日本海が大阪と青森を結び、連絡船で北海道とつながっていましたから、
急行日本海のちの急行きたぐにを利用して北海道に行く場合は2泊が当たり前でありましたが、それだけ大阪から北海道も遠い場所でしたから、それであれば東京から九州はさらに遠い場所になりますが、急行さつまは、寝台特急はやぶさが運転されると、九州だけで運転される急行となりましたが、のちに名古屋から出発する急行に変わりました。
●ef58が青大将となった車両も九州行きの急行担当したのか?

引用先 https://ameblo.jp/c57105c58212/entry-12730719962.html
青大将のef58は東京と大阪を結ぶ特急つばめにはと、不定期特急のさくらを担当していました。そうした関係でef58で青大将の車両にも余裕があったということで、東京から九州各地に向かう長距離の急行も担当していましたが、
鉄道ピクトリアル鉄道ピクトリアル 2007年1月号の興味ある 国鉄急行列車とその運用の20ページの下の方に前面窓がhゴム工事を受けた青大将の58号機が担当する急行高千穂の画像が出てきていますが、撮影されたのが1960年1月17日になります。
ef58で青大将となった車両は東京機関区と宮原機関区の24両だけですが、他のef58はどうなのでしょうか?東京機関区ならef5861号機も九州行きの長距離の急行の運用にも入った可能性もあるのではないでしょうか。
あと、上越線から移動してきて青大将にならなかったツララ切りの36、39~40、42、43も東京から九州に向かう長距離を走る急行を担当していた可能性もありますが、その中でef58 36は側面の窓が7つ窓の変形車でありましたが、まだこの当時は原形大窓の車両でしたが、東京から出ていた九州行きの急行に入った可能性もあります。
●ef58が青大将時代に運転された急行で使われた客車は?

引用先 https://shonan253.blog.jp/archives/14507099.html
ef58で青大将となった車両も担当した九州行きの急行ですが、使われていた客車はこの当時は1等展望車も残っていた関係で、1等車が存在していました。その関係で寝台車は2等寝台車、3等寝台車でありましたし、座席車も特ロと並ロ、3等車に分かれていましたが、
寝台車は2等寝台車はマロネ40、マロネ29、マロネ38、マロネロ38。
3等寝台車は軽量客車のナハネ10。
特ロはスロ51、スロ60、並ロはオロ35。
3等車はスハ43にスハフ42、ナハ10とナハフ10。
食堂車はスシ28、マシ29、マシ38、スシ48。
になりますが、これらの車両が組み合わさって東京と九州各地の間を往復していますが、さらに郵便車と荷物車もついていましたから、この当時は鉄道が大事な社会インフラの役目も果たしていた時代でありますが、今考えてみたら九州まで丸一日かけての移動というのも大変なことでしたが、あの当時はこれが当たり前でありました。