本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

鉄道ファン必見:EF65 1000番台で見ることができた塗装変更機の数々。

 

 

引用先 https://www.kanorail.com/EF65PF/EF65PF.htm

 

ef65 0番台にもいろいろと塗装変更機もありましたが、1000番台のグループにはどんな塗装変更機があったのでしょうか。

 

 


ef65 1000番台の塗装変更機といえばスーパーエクスプレスレインボー。

 

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/pony4649_2006/e/76e24be8baa6fe1004b97153192c91d3

 

 

 

ef65 1000番台の塗装変更機といえば、国鉄時代にスーパーエクスプレスレインボーが出てきた際にですが、1019号機がスーパーエクスプレスレインボーの指定機として登場しましたが、

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/98991

 


1019号機はチェリーレッドの車体に側面ef65という数字を入れて登場しましたが、これには驚いたという方もいましたが、同時に交直流電気機関車でもあるef8195号機も同じようなカラーリングで登場したのですから、

 

それだけでもインパクトがありましたが、1019号機は国鉄時代には、サロンエクスプレス東京などをけん引したこともあれば、JRになってからは急行津軽や八甲田なども担当するなどの活躍をしていましたが、廃車となり、代わりに二代目のスーパーエクスプレスレインボー指定機ということで、1118号機が登場しましたが、

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/60475

 

 

唯一1018号機との違いは運転台にクーラーがついている点ですが、今もJR東日本に残る機関車ロクゴの1000番台は運転台の部分にクーラーがついています。

 

そして1118号機も廃車となりましたが、国鉄からJR東日本かけてスーパーエクスプレスレインボーは直流区間ではef65 1000番台が派手な塗装で活躍していました。

 

 

ef65 1000番台の塗装変更機がJR西日本にも登場した。

 

 

 

引用先 https://rutatec.pe/c500907

 

 

 


ef65 1000番台の塗装変更機JR東日本で使われていたef65 1118号機も廃車がなってから途絶えていましたが、それがJR西日本に出てきたというのですが、

 

なぜ?そうなったのかというと、北陸新幹線の延伸に伴い大阪と札幌との間で運転されていたトワイライトエクスプレスが廃止に関係で、これまでトワイライトエクスプレスで使われていた客車が今度は西日本管内を走る『特別な「トワイライトエクスプレス」』として運行されるということで、

 

直流区間で使う指定機として登場しましたが、選ばれたのが下関運転所に所属する1124号機になりますが、今度はJR西日本に所属している1124号機が「トワイライトエクスプレス色」となったときにも驚かされたという方も多かったのではないでしょうか?

 

 

引用先 https://www.torepa21.com/html/a-q35ef65twix1jg.html

 

何しろこれまでの特急色の車体がグリーンに黄色い帯をつけたのですから。

 

その後、2016年の3月で『特別な「トワイライトエクスプレス」』の運行も終わりましたが、1124号機は今も「トワイライトエクスプレス色」で引き続き、工臨や臨時列車の牽引を担当していますが、工臨は今後、新たな車両が登場した場合ですが、1124号機がどうなるのかという点でも注目を集めるのではないでしょうか?

 

 

 

ef65 1000番台の塗装変更機はJR貨物にも存在していた。

 

 

 

引用先 http://blog.livedoor.jp/yoo_sa/archives/1170762.html

 

 


ef65 1000番台の塗装変更機ですが、JR貨物にも存在していましたが、なぜ?そうなったのかというと、国鉄から分割民営化になった関係で、JR貨物でも今後、貨物列車で使う電気機関車はどんな塗装がいいのかといろいろと試行錯誤していたのではないでしょうか。


そうしたこともあって0番台の21号機、116号機をはじめef65ef65 1059号機、ef65 1065号機、ef66 20号機が試験塗装機になったということはよく知られていますが、


ef65 1000番台の1000番台で塗装変更機となった2台は、実際に塗装を担当した現場の方達も大変だったのではないでしょうか。

 

その理由も試験塗装機は、複雑な塗り分けをしなければなりませんから、実物の車両がまるで鉄道模型のようにマスキングを重ねて塗装しますから、下手にマスキングマスキングをすると塗装が失敗するのですから、作業する方達も大変だったのではないでしょうか。

 

それで試験塗装機となった車両ですが改めて何番だったかというと、

 

 


引用先 http://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/tsuru/ef651059.html


 

 

引用先 http://asama489jr.s378.xrea.com/jrfright/ef65/EF65-1065.html

 

ですが、

 

ef65 1059は青い車体に運転台の下の部分が黄色で、側面にはJRのロゴマークが大きく入っています。それに対してef65 1065も塗り分けも、複雑に入り組んでいたということですから、これも現場泣かせの塗装でありました。

 


それでef65 1059ですがその後、更新色に変わり、

 

 

引用先 http://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/tsuru/ef651065.html


今は国鉄時代のカラーリングをまといましたが、

 



引用先 http://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/tsuru/ef651065.html

 

ef65 1059にはそうした経歴がありました。

 


ef65 1000番台の塗装変更機ですが、今はトワイライトエクスプレス指定機だけとなりましたが、この車両も今後どうなっていくかということでも注目を集めています。

 

 

ジョイフルトレインの歴史: ef651000番台の華やかな軌跡の数々。

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/7775

 

 

ef651000番台は、国鉄時代もそうですし、JRになってからもさまざまなジョイフルトレインを担当することもありました。

 

 


ef651000番台も国鉄時代からいろいろなジョイフルトレインと組み合わさった。

 

 

引用先 https://dreamtrain.org/2023/09/28/%E8%89%AF%E3%81%8D%E5%9B%BD%E9%89%84%E6%99%82%E4%BB%A3%E2%91%AA%EF%BD%9E%E7%B1%B3%E5%8E%9F%E3%83%BB%E9%96%A2%E3%82%B1%E5%8E%9F%E7%95%8C%E9%9A%88%E3%81%AE%E5%86%99%E7%9C%9F%E3%81%8B%E3%82%89%EF%BD%9E/

 

 

 

今もJR東日本と西日本に残るef651000番台ですがこれらの車両は、国鉄時代には色々なジョイフルトレインを担当しましたが、なぜ?そうなったのかというと、あの当時は日本がバブル景気で、そうした流れで団体旅行も頻繁に行われていましたから,その当時の国鉄も様々なジョイフルトレインを用意し、それらと東京機関区や宮原機関区、下関運転所のef651000番台が組み合わさって運転されていました。

 

 

 

ef651000番台が国鉄時代に東日本で担当したことがあるジョイフルトレインは?


国鉄時代の東京機関区のef651000番台と組み合わさって、東日本管内で直流区間でよく運転されたジョイフルトレインといえば、品川客車区に配属されていたシナサロことサロンエクスプレス東京がありますが、サロンエクスプレス東京はこれまで品川客車区に配属されていたスロ81とは大きく異なる車両で、車内が欧風のコンパートメントになっているのが最大の特徴で、1号車と7号車は密閉式の展望席となっていました。


そうしたこともあって、シナサロことサロンエクスプレス東京ですが、登場してから東京機関区のef651000番台が、東日本の直流区間で担当することがよくありましたし、

 

さらに関西まで遠征することもありましたから、その当時、東京機関区のef651000番台とサロンエクスプレス東京の組み合わせを撮影した方もいるのではないでしょうか。

 


それと、東京機関区のef651000番台とサロンエクスプレス東京の組み合わせですが、臨時列車として伊豆急行に乗り入れたこともありましたが、

 

 


引用先 https://masa51498y.blog.fc2.com/blog-category-46.html

 

この場合、特急踊り子号の臨時列車ですが、専用のヘッドマークもつきましたから、これも撮影した方もいるのではないでしょうか。

 

このほか、東京機関区のef651000番台が担当したジョイフルトレインには品川客車区に配属されていたスロ81もありましたが、暖房を必要としない時期には運用に入ることもありましたし、

 

 

 

引用先 https://ozayo1965.blog.fc2.com/blog-entry-1856.html

 

 


スロ81の代わりに登場したお座敷客車江戸国鉄時代には、東京機関区のef651000番台が担当しました。

 

 


引用先 http://1980jnr.net/contents8-n-edo.html

 

 

あと尾久客車区に14系と12系から改造されたスーパーエクスプレスレインボーがありましたが、

 

 

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/ef58-60/e/6322e2594bdf72e3a4b7574aabc0a8f7

 

 

これが登場したときは、あまりの斬新なデザインに驚かされたという方も多数いましたが、それくらいにど派手なカラーリングでありましたが、スーパーエクスプレスレインボーも、1号車と7号車は最後部が密閉式の展望席で、この辺はサロンエクスプレス東京の流れを引いていますが、展望席の部分は一部が白で塗装されていますが、それ以外はチェリーレッドで塗装されていましたから、今考えてたらスーパーエクスプレスレインボーほどど派手な塗装の車両はなかったのではないでしょうか。

 

ちょうど日本がバブル景気に沸いていた頃とも重なりますから。

 

それと東日本管内でef651000番台が担当したジョイフルトレインは、長野局12系のお座敷客車白樺もあれば、新潟局12系のお座敷客車佐渡もありましたから、これらの車両も東京機関区のef651000番台が担当していたこともありました。

 

 

 

ef651000番台が国鉄時代に西日本で担当したことがあるジョイフルトレインは?

 

 

 

引用先 https://www.kanorail.com/EF65PF/EF65PF.htm

 

 

ef651000番台の西日本の拠点といえば宮原機関区と下関運転所で、国鉄時代には宮原客車区にサロンカーなにわが登場したことで、この二つの機関区と運転所が担当することがよくありましたが、

 

サロンカーなにわには、今もJR西日本に残る客車のジョイフルトレインですが、今では本当に貴重になった車両で、唯一14系の客車として残る編成で、デビューしてから40年近くが経過していますが、平成には上皇様がまだ天皇であられた頃にはお召し列車として運転されたという実績もある車両になります。

 

あと、西日本で国鉄時代あったジョイフルトレインは、お座敷客車が広島などに配属されていたということもあり、これらの車両と組み合わさって運転されることもよくありましたし、サロンカーなにわは、東日本までの遠征をしたともあり、この遠征を撮影した方もいるのではないでしょうか。

 

それと下関運転所のef651000番台は、門司局12系のお座敷客車の海編成と山編成も担当したことがありますから、国鉄時代には東京機関区ともにさまざまなジョイフルトレインを担当して西日本管内を駆け回っていましたが、これらの車両も今はありませんが、その当時撮影した方には懐かしい思い出の一枚ではないでしょうか。

 

 

激変の最中:JNRからJRへの移行期におけるef651000番台の運用。

 

 


引用先 https://ameblo.jp/kitatetu-dd/entry-12508359960.html

 

ef651000番台が担当したブルートレインは、国鉄がJRに移行してから大きく変化しましたがどんな変化があったのでしょうか。

 

 

 

 


ef651000番台が担当したブルートレインef66が担当するようになった。

 

 

引用先 https://rekitetsu.com/ef66-bluetrain/

 

ef651000番台が担当したブルートレインは、昭和60年の3月のダイヤ改正で大きく変化しましたが、特に東京発の九州行きの寝台特急ef66が担当することになりましたが、

 

その理由は、寝台特急富士とはやぶさにロビーカーがついた関係で牽引トン数も増えたということで、ef651000番台では無理であるということで、下関運転所に配属されているef66が担当することになりました。

 

その関係でこの時のダイヤ改正でef651000番台は、東京と岡山を結ぶ寝台特急瀬戸、東京と出雲市を結ぶ寝台特急出雲1、4号だけとなりました。

 

 

これに対して、新大阪発の寝台特急は引き続き、宮原と下関が担当することになりましたが、この年の3月のダイヤ改正寝台特急明星が廃止となりました。

 

そして国鉄が分割民営化を迎えることとなりましたが、その結果、いろいろと東京発の寝台特急や新大阪発の寝台特急にも変化が出ましたがどんなことかというと、

 

これまで東京発の寝台特急を担当してきた東京機関区が廃止され、その代わりに田端機関区が担当することになりましたし、新大阪発の寝台特急はすべて下関機関区に集約されたということですから、

 

昭和60年の3月から昭和62年の3月にかけては、ef651000番台にとって大きな変化が出た年となりました。

 

 

 

田端機関区のef651000番台が担当したブルートレインは?

 

 

引用先 https://shonan253.blog.jp/archives/20784402.html

 

 


JRになって東京機関区が廃止され、田端機関区が寝台特急を担当することになりましたが、田端機関区が担当した列車は、

 

寝台特急「出雲」

寝台特急「瀬戸」

寝台特急「彗星」

寝台特急「あけぼの」

 

になりますが、新たに寝台特急彗星の運用が加わりましたし、

これまで宮原機関区が担当していた急行列車も担当することになりましたが、田端機関区のef651000番台が担当した急行は次の2つになります。

 

・急行「銀河」

・急行「ちくま」

 

あと、田端機関区のef651000番台ですが宇都宮機関区も廃止になった関係で、上野と青森を結ぶ急行八甲田と津軽も担当することになりました。

 

 

下関のef651000番台が担当したブルートレインはどうなったの?

 

 

引用先 https://aucfree.com/items/k1050879832

 


国鉄からJRになって、東京機関区が廃止となるだけでなく、関西の寝台特急の拠点でもあった宮原機関区も廃止となリ、

 

その結果、新大阪発の寝台特急彗星以外を除き、下関運転所のef651000番台が担当することになりましたが、JRに移行されてから東と西の名門の機関区が廃止となりましたから、鉄道好きの方達には大きな衝撃を与えたということになります。


それで宮原機関区から新大阪発の寝台特急を引き継いだ、下関運転所ですがef651000番台が担当した列車はというと、


寝台特急「なは」

寝台特急「あかつき」

 

だけとなりましたが、この他にも臨時列車として繁忙期に運転されていた、


・「ムーンライト山陽

・「ムーンライト九州

・「ムーンライト高知

・「ムーンライト松山

 

も担当していましたが、国鉄からJRに移行する期間ですが、寝台特急を担当してきたef651000番台にとっても激変の最中にありました。

 

 

 

ef651000番台:貨物と旅客列車で活躍し続けた名機。

 

 

 

引用先 http://www.uraken.net/rail/alltrain/ef65.html


今では限られた数が、JR東日本と西日本そして貨物に残るef651000番台ですが、どんな目的で作られた電気機関車なのでしょうか?

 

 


ef651000番台とはどんな機関車か?

 

 


引用先 http://salesiorailway.cyber-ninja.jp/pickup_page/ef65.html


今も限られた数が残っているef651000番台ですが、どんな電気機関車かというと次のようになります。

 

・貨物列車や旅客列車を問わずに使える電気機関車

パンタグラフで前期型か、後期型が区別で来た。

・東京発や新大阪発の寝台特急で活躍していた。

国鉄時代には様々なジョイフルトレインとの共演もあった。

国鉄、JRにかけて派手なカラーリングの車両も出てきた。

 

 

 

ef651000番台が作られた理由は?

 

 

 

引用先 https://ameblo.jp/roots-masa/entry-12470053929.html

 

 

ef651000番台が作られた理由は何かというと、東海道山陽本線の貨物輸送の強化という目的で、登場したのがef651000番台になります。

 

それ以降も数を増やしていきましたが、その理由は首都圏で使われていた戦前に作られた旧型のef10戦後になってから作られたef15を置き換える目的もありましたが、

 

首都圏で使われていた戦前作られたef10であったり、戦後に作られたef15は、ef80を直流機に改造して置き換える計画もありましたが、それよりも新しく電気機関車を作った方がいいということで、ef80を直流機に改造する計画は消滅しましたが、その裏にはef651000番台の増備も絡んでいましたし、


東京発の寝台特急を担当していたef655000番台のP型を置き換える目的もありましたが、ef65 5000番台のP型は長年、九州行きの寝台特急を担当していましたが予備車が少なかったということで、車両も連日酷使していた状況でありましたから、その状況を改善するためということもありましたから、それだけ九州行きの寝台特急の運用が大変だったということになります。


それで今、JR東日本や西日本そして貨物に残っている車両のほとんどが、首都圏で使われていた旧型の貨物用の電気機関車の置き換えと、ef655000番台のP型を交代させる時に作られた車両ばかりになります。

 


ef651000番台の前期型と後期型の違いはどこか?

 

 

ef651000番台も、製造年代によって細かく異なる部分もありますが、一番わかりやすい点は、パンタグラフが2種類あり、それで前期型か後期型かを区別することができましたが、前期型パンタグラフがひし形のPS17で番号で見ていきますと、ef651000番台の1001から1055まで、

 

 

 

 

引用先 https://mokeitetsu.com/kato/kato-ho/201901-ef65-1000

 

このグループでもっもと有名なのが、スーパーエクスプレスレインボーの指定機でもあった1019号機該当しますし、

 

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/98991

ef651000番台の前期型のうち1001から1017号機は、デビューした当初はひさしがついていなかったのですが、その後、上越線などの運用に備えてひさしがつきましたし、上野と青森を結ぶ寝台特急あけぼのや急行八甲田なども担当していました。

 

そして、後期型のef651000番台はパンタグラフが下枠交差のPS22Bで、番号で見ていきますとef651000の1056から1139ですが、

 

 

引用先 https://mokeitetsu.com/kato/kato-n/201901-ef65-1000-jr


二代目のスーパーエクスプレスレインボーの指定機でもあった1118号機は後期型になりますが、

 

 

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/60475

 

偶然にもスーパーエクスプレスレインボーの指定機のef651000番台は、二つのパンタグラフを搭載した車両が担当していましたが、ef651000番台は貨物でも使えて、旅客でも使えるということで、今もJR東日本であったり、西日本や貨物でも使われているというのもそうしたことがあったからですが、逆に言えばef651000番台はなかなか後継機に恵まれなかったということでもありました。

高速貨物専用のEF65 500番台のf型も不運な車両の一つだった。



引用先 https://www.kanorail.com/EF65_500/EF65500.htm

 

 

ef65 500番台のf型は不運な電気機関車であったことは知られていますが、なぜ?不運だったのかその理由は何だったんでしょうか?

 

 

 

 

ef65 500番台のf型は高速貨物専用機だった。

 

 

引用先 http://ef58176.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/blue-blue-st-11.html


ef65 500番台のf型は貨物用のでありましたが、ef65 500番台のf型も何かと不運な車輌でありましたが、ef65 500番台のf型は、最高速度100キロで運転される高速貨物列車のために作られた車輌で、

 

番号で行けば513号機~517号機、518号機~526号機、532号機~534号機までで、旅客用のP型との違いは、F型は重連運転ができるようにジャンパー栓などがスカートについているという点が、旅客用のP型との一番の違いになります。


そうしたこともあって落成した当初は、東京発の寝台特急で足慣らしをしてから、高速貨物列車の運用に入りましたが、落成した当初は東京機関区に配属され、その後吹田第二機関区にすべてのf型が集結して、100キロで運転される高速貨物列車の運用を担当することになりましたが、


なぜ?100キロで運転される高速貨物列車が作られたかというと、ef65 500番台のf型が登場した当時ですが国鉄の貨物列車はトラック輸送に徐々に押されてきました。

 

それに対抗するために100キロで運転できる高速貨物列車の運転が始まりましたが、この辺は昨今問題となっているトラックドライバーの2024年問題と絡んでいるのではないでしょうか。そういう意味でも、その当時の国鉄もすでに将来の貨物輸送に対して不安を感じていたのではないでしょうか。

 

 

そうした最中に、100キロで運転できる高速貨物列車が登場しましたが、その当時、一番の注目の列車東京市場駅と長崎港の間で運転されていた鮮魚特急列車のとびうお号で、鮮魚特急列車とびうお号はレサ10000系で編成され、九州で水揚げされた魚や広島で採れたカキなどを積んで東京市場駅に向かう列車でありましたが、


とびうお号はef65 500番台のf型が下関から東京市場までの区間を担当していましたが、下関から姫路までが単機で、姫路から先が重連運転の運用になっていました。


そして折り返しの空になった列車は吹田まで重連で、吹田から下関のでは単機で担当していましたが、この場合、一部の区間重連運転でありましたから、機関車の運転効率も悪かったということで、それならば新たな機関車をということで作られたのが、ef66でした。

 

ef66最初は試作機のef90として落成し、試験走行などをして問題点を洗い出して量産車が作られるようになったということで、ef65 500番台のf型は高速貨物列車の運用から解かれました。

 

 

 

ef65 500番台のf型は東北本線でも不運だった。

 

 

 

 

 



引用先 https://www.kanorail.com/EF65_500/EF65500.htm

 

高速貨物列車の運用から解かれたef65 500番台のf型は、今度は新鶴見機関区に17両が移動しました。

 

 

そして東北本線で運転が始まった高速貨物列車のほっかいを重連運転で担当したり、上越線での貨物列車の運用も加わりましたが、ここでの運用も長くなく、

 

その後、ef65 1000番台のpf型が出てきた関係で、再び活躍の場を失いましたが、ef65 500番台のf型は、当初の計画通りには使われないままに、あちこちを移動しなければならなかったというのですから、この点だけで見てもef65 500番台のf型は、本当に不運としか言いようがありません。

 

 

ef65 500番台のf型は最後は高崎機関区で終焉を迎えた。

 

 



引用先 https://blog.goo.ne.jp/antonrokuichi/e/e19ddcc9be6bb58dd07c505ab71cc38d


ef65 500番台のf型は、国鉄からJRに移行する際に17台すべてが、高崎第二機関区へと移動し、首都圏での貨物列車の運用に入っていました。

 

その後、国鉄からJR貨物に移行したのち、高崎第二機関区が高崎機関区へと変わり、引き続き首都圏の貨物の運用を担当していましたが、晩年のef65 500番台のf型も車齢が高い関係で、更新工事を受けた関係で車体の色も特急色から1次更新色にすべての車両が変わった末に終焉を迎えましたが、

 

 

 

引用先 http://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/ef65-500_takaki.html

 

ef65 500番台のf型は、ライバル機の登場で活躍の場を失っていく羽目に遭うなど、本当に不運な機関車でありましたが、それでも一時期は寝台特急などでも活躍していたということもありましたが、どちらかといえば貨物列車での活躍の場が目立っていました。

 

 

失われた輝き:ef65 500番台は悲劇の特急牽引機だった。

 

引用先 https://www.kanorail.com/EF65_500/EF65500.htm


今後、その動向がどうなるかということで注目の高い車両が、JR東日本高崎支社に残るpトップこと、ef65 501ですが、ef65 500番台はどんな車両なのでしょうか?

 

 

 


ef65 500番台が作られた理由は?

 



引用先 https://www.kanorail.com/EF65_500/EF65500.htm

 

ef65 500番台は、これまで20系で運転されていた寝台特急あさかぜなどを担当していたef60 500番台が高速運転で無理がかかり、故障が起きてしまうしてしまうことがありましたが、元々ef60は貨物用の電気機関車として作られた電気機関車で、それゆえスピードも出しずらかったということで、

 

高速運転の際にはモーターに負荷がかかってしまい、フラッシュオーバーが起きてしまうこともありましたが、東京と九州を結ぶ寝台特急はその当時の花形列車でありました。

 

 

そうした関係で、その当時の国鉄の関係者の方達もこのままでは大変なことになるということで、貨物用として作られたef65 0番台をベースにして新たに高速運転向けの機関車として作られたのがef65 500の旅客用のP型であり、貨物用のF型でした。

 


ef65 500番台は旅客用と貨物用にも分かれていた。

 

ef65 500番台は2つあり、旅客用のP型と貨物用のF型に分かれていますが、旅客用と貨物用は、番号で見ていきますと今もJR東日本に残っているef65のpトップこと、

 

 

 

 

引用先 http://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/takaki/ef65501_jre.html


501号機から512号機、527号機から531号機0番台から500番台に編入された535号機から542号機旅客用のP型になります。

 

 

これに対して貨物用は、513号機から517号機、そして518号機から526号機、532号機から534号機までが貨物用のF型になりますが、

 

 

 


引用先 https://www.kanorail.com/EF65_500/EF65500.htm


ef65 500番台のp型とf型の違いは、スカートにその違いがはっきり出ていますが、P型は旅客用でスカート周りもスッキリしています。

 

 

これに対して、F型は重連運転用のジャンパー栓などがついているところが旅客用のP型との大きな違いで、最盛期の国鉄車両ガイドブックの第10巻49ページの下の方にP型とF型を正面から撮影した写真が掲載されていますが、同じ機関車であっても旅客用と貨物用とでは、こうも違うのかというくらいのその違いがはっきりとしています。

 

 

 

ef65 500番台といえば何はなくてもブルートレイン

 

 

引用先 http://seishunm.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

 

ef65 500番台といえば、一番華々しい活躍の舞台といえばやはり寝台特急を担当していた頃になりますが、ef65 500番台が担当していた東京発の寝台特急もいろいろとあり、

 

・あさかぜ

・みずほ

はやぶさ

・さくら

・富士

 

がありますが、寝台特急で20系が使われていた時にはこの5つの列車でありましたが、その後、さくらとみずほが14系14形に変わり、さらに急行として運転されていた出雲と瀬戸が寝台特急に繰り上げられた際には20系で運転されていました。

 

そして、富士とはやぶさも24系24型に変わり、最後まで20系で運転されていたのは、あさかぜでしたが、これも24系25型に変わった際にef65 500番台のP型が寝台特急の役目を解かれました。

 

ちなみにですが、東京発の寝台特急下関で台車検査を行っていた関係で、今もJR東日本に残るpトップこと501号機から504号機までが、下関機関区に移動し、台車検査を行う際には代わりに下関と東京の間を往復していました。

 

 

あと、東京機関区に配属されていた500番台のF型の513号機から517号機も1965年の秋から翌年の1966年の春までの半年の間、東京機関区に配属されていた500番台のP型とともに東京発の寝台特急を担当していましたが、

 

なぜ?貨物用のF型が寝台特急を担当した理由は、1966年から最高速度100㎞で運転される高速貨物列車の運転に向けての足慣らしで、F型の513号機から517号機も東京発の寝台特急の運用に入りました。



じゃあ?関西から運転されていた寝台特急はどうだったのかというと、500番台のP型が担当したのは大阪と青森を結んでいた寝台特急日本海に、新大阪と宮崎を結んでいた寝台特急彗星新大阪と西鹿児島、長崎を結んでいた寝台特急あかつき、同じく新大阪と西鹿児島そして佐世保結んでいた寝台特急あかつき2・1号になりますが、これらの列車もヘッドマークがついていました。

 

それと、東京機関区に配属されていた500番台のP型が1971年の11月から少しの間ですが、上野発の寝台特急あけぼのの直流区間を担当していましたし、

 

下関と広島に配属されていた500番台のP型とF型は、1972年の3月から10月の間にef58が20系を牽引するための工事をする関係で、寝台特急日本海と彗星、あかつきを担当してみたり、1975年の1月から3月のダイヤ改正まで、広島に配属されていた500番台のF型が米原移動し、3月のダイヤ改正の直前まで米原に配属されていたef58が担当していた寝台特急彗星の代走を務めたこともありましたから、

 

こうしてみますと、500番台のP型とF型はとにかく寝台特急との縁が強かったということになります。

 

 

 

ef65 500番台のf型は高速貨物専用車として作られた車両だった。

 

 


引用先 http://ef58176.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/blue-blue-st-11.html

 

ef65 500番台の中で寝台特急を担当したP型と対照的なのがF型のグループで、F型は高速貨物列車を担当するために作られた車両で、どんな列車を担当したかというと、

 

ef66が出てくるまでコキ10000系で編成されたコンテナ列車に、博多港大阪市場駅との間で運転されていた鮮魚特急貨物列車のぎんりんに、長崎港と東京市場との間で運転されていた鮮魚特急列車のとびうおを担当していましたが、この二つの鮮魚特急列車はレサ10000とレムフ10000で編成され、さらにef65 500番台の中でF型が重連運転で担当していたということでありますが、

 

 

この時がef65 500番台のF型が一番輝いていた時代になりますが、その後、ef66が登場したことでこの役目も解かれて一般の貨物列車の運用に入りますが、この辺はP型が1000番台に移行したのちと同じこととなりましたが、ef65 500番台はP型もF型もどちらかといえば不運な車両だったのではないでしょうか。

EF65 0番台から500番台への転用された車両とその理由とは?



 


引用先 http://tnk-ko.a.la9.jp/Izumo/Izumo.html

 

ef65 0番台には寝台特急が増発されたということで、500番台に編入された車両も存在していました。

 

 

 

ef65 0番台から500番台に編入された車両は何号機だったのか?

 

 

 

引用先 https://ameblo.jp/terkey-rider6633/entry-12496551941.html

 

 

ef65 0番台から500番台に編入された車両ですが、ef65 77から84までで、そしてef65 500番台になってからは535から542へと変わりましたが、それにしてもこの5台のef65は本当に運が良かったといってもいいのではないでしょうか?

 

何しろef65 0番台は、もっぱら貨物列車だけで使われていましたから、それが寝台特急牽引機に改造されたというのですから、一気に出世したものになりますが、逆に言えばこの5台が、貨物列車を担当していた頃に撮影した写真は貴重な記録になります。

 


ef65 0番台がなぜ?500番台に編入されたのか?

 

 

 

引用先 http://tnk-ko.a.la9.jp/Izumo/Izumo.html

 

ef65 0番台ですが、なぜ?500番台に編入された車両があったのかというと、その辺の事情についてですが、1968年の10月のダイヤ改正寝台特急が増発された関係で、

 

500番台のP型が足りなくなるという事態が、起きてしまったということで、本来なら新たに作ってもいいようなものですが、それでは時間がかかるということで、急きょ0番台のグループから5両が500番台に改造されたということになりますから、

 

 

その当時は、まさに東京と九州を結ぶ寝台特急も本数も多かったということでしたから、機関車も不足するということになりますが、それだけその当時は寝台特急の需要も高かったということを裏付けていたということではないでしょうか。

 

 


ef65 0番台から500番台になった車両はその後どうなっていったのか?

 

 

 



引用先 https://blog.goo.ne.jp/atis128/e/1afe5a684d05d2d0d303bef760f8099f


ef65 0番台から500番台になったef65は、1978年東京発九州行きの寝台特急が、1000番台に後期型に移行した関係で、500番台のP型のグループはその務めを解かれて、f型とともに貨物列車の運用に入りましたが、

 


JRに移行後は、500番台のうち501号機だけがJR東日本に引き継がれ、残りの車両はJR貨物に引き継がれましたが、そのうち535、539、541は、特急色のまま使われていたということもあり、注目度も高くなっていったということはよく知られていますし、

 

2004年には535が最終全検査を出場したということもあり、高崎機関区にて、501、535、539、541の4両が揃っての撮影会も開催されました。

 

 

 

引用先 http://geo.d51498.com/non20100/takaki04/takaki04_2.html


そして2008年に535が引退したことによって、0番台から500番台に編入されたef65もすべて消えていったということになりますが、0番台から500番台に編入された535は、今も府中にある東芝の工場で保存されています。