本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

注目のレールバス!北海道型のキハ03形が動力ユニット改良で再登場!

 



引用先 https://raillab.jp/photo/160833

 


8月にtomixからキハ03形レールバスセットが販売されますが、キハ03形はどんな目的で作られた車両なのでしょうか。

 

 

 

 

 


キハ03は北海道の閑散ローカル線向けに作られた車両。

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/kiza3jp/e/7df2587f2ceeecdf55ab75cba893f9bf


キハ03形は北海道向けに作られた2軸レールバスですが、作られた目的は閑散ローカル線の収支改善と列車の増発を目的として作られ、1956年に20両が落成しましたが、落成した当初はキハ10200形で、のちにキハ03形へと形式が変更されましたが、

 

 


キハ03形は、同じ2軸のレールバスとして作られた暖地向けのキハ02形の北海道向けで、窓が2重窓でスノープラウに屋根にはホイッスルカバー、エンジンは機関覆いがついていたところが、キハ02形との大きな違いになります。

 

 

キハ03形が使われた路線道東・道北の路線で使われていましたが、実際に使われていた路線は、今は廃線となった勇網線であったり、根北線などの本当に閑散した路線で使われていましたが、全長10 m余りということもあり、ラッシュ時には乗客が乗れないなどの問題が出てきましたが、この点は同じ系列の車両であるキハ01形やキハ02形でも同じようなこともありました。

 

 

そうしたこともあって、昭和40も年代の初めまでにすべての車両が廃車になりましたが、唯一手宮にある小樽総合博物館にキハ03-1が展示保存されていますが、キハ03-1は準鉄道記念物に指定されています。

 

 

 

 

 

キハ03がtomixから改良品で再登場する。

 

 

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/kiza3jp/e/07c0c4f6e2700beaa2723ceaf28f3779


キハ03形もtomixから製品化されていますが、tomixから国鉄で使われていた2軸のレールバスですが、トミックスブランドに移行してからキハ02が製品化されましたが、トミックスが25周年記念の際に復刻版が製品化されました。

 

 

 

それからしばらくして、キハ02を含めて国鉄で使われたレールバスはすべて製品化しましたし、南部循環鉄道で使われていたキハ101とキハ102も製品化しました。

 

 

今回、販売されることになった国鉄キハ03形レールバスセット は、過去に販売された製品の動力ユニットなどを改良した製品になりますから、昨年の夏に南部循環鉄道のキハ101とキハ102が改良の上で再生産されたのと同じことですが、

 

 

 

キハ03を含めて国鉄で使われていたレールバスのセットですが、中古品でもなかなか手に入りにくくなってきていましたから、それが再び手に入るようになったということ自体が朗報ではないでしょうか。

 

 


キハ03以外のレールバスtomixから再生産されるか?

 

 

 

 

 


引用先 http://sakikawa.michikusa.jp/kiha01-3.html

 

今年の8月にtomixから、動力ユニットを改良した上で国鉄キハ03形レールバスセットが販売されることとなりました。

 

そうなるとこれから先、これまでにtomixから製品化されたキハ01形を含めてレールバスセットも動力ユニットを改良したうえで、販売されるのでしょうか。

 

 

実際に昨年の夏に南部循環鉄道のキハ101とキハ102が、今年の8月に国鉄キハ03形レールバスセットが販売されることが決まっていますから、ひょっとしたら、来年の夏あたりにキハ01形もしくはキハ02形が動力ユニットを改良の上で販売されるということもあり得るのではないでしょうか。どちらが先になるかということはわかりませんが、昨年と今年ということですから、キハ01形もしくはキハ02形のどちらかが出てきてもおかしくないのではないでしょうか。

 

 


あと、国鉄で使われていた2軸のレールバスですがキハ01形で廃車を免れた車両がキユニ01に改造されて廃線となったJR西日本三江線がまだ、南北に分かれていた時に三江北線で使われていましたが、これなんかも動力ユニットを改良したうえで製品化されてもおかしくないのではないでしょうか。

 

キハe130系の製品化と今後の展望 500番台も製品化されるか?

 



引用先 https://raillab.jp/car/51557

 

 

 

8月にキハe130系のバリエーションとしてキハe130 100番台が鉄コレで製品化されますが、キハe130系とはどんな車両なのでしょうか。

 

 


キハe130系が作られた理由とは?

 

 

 

引用先 http://kanorail.peewee.jp/DC_local/DCE130kei.htm

 

鉄コレ32弾で製品化されたキハe130系ですが、作られた理由は0番台は水郡線の混雑の緩和が目的で、これまで使われてきたキハ110系の気動車の置換を目的としていましたが地方のローカル線でも通勤・通学の時間帯は混雑しますから、

 

 

それをどのように解消するかが悩みのタネでありますが、JR東日本ではそうした悩みを解消する方法として新しい車両を導入しました。それがキハe130系ですが、

 

キハe130系は、JR東日本陸羽西線向けのキハ110系を作ったのが1999年で約7年ぶりの新造車で、さら新形式の車両としては16年ぶりになりますから、JR東日本でも久しぶりに作った新型のディーゼルカーになります。

 

 


キハe130には100番台や500番台もある。

 

 

 



引用先 http://kanorail.peewee.jp/DC_local/DCE130kei.htm


キハe130系は0番台のほかに、久留里線向けの100番台や八戸線向けの500番台もありますが、これらの車両も久留里線で使われてきた国鉄時代に作られて使われてきたキハ30やキハ37キハ38を置き換える目的であったり、500番台は八戸線で使われていたキハ40を置き換える目的で作られた車両になります。

 

そうしたこともあり、キハe130系の登場により、JR東日本管内でも国鉄時代に作られたディーゼルカーが消えていきました。

 

 

 


キハe130で鉄コレで製品化されている車両は?

 

 

 

 


引用先 https://raillab.jp/car/51559

 

 

キハe130系が鉄コレで製品化されたのは、鉄コレ32弾で初めて0番台の水郡線むけの車両が製品化されましたが、シークレットは2022年3月に、水郡線全線が運転再開から1周年を記念して黄色に塗装された「Suigun Line イエローハッピートレイン」として運行されるキハe130 7ですが、

 

 


引用先 https://raillab.jp/car/51554

 

 

これまで鉄コレで製品化されてきたのは、キハe130系の0番台だけで、新たに8月に久留里線向けの100番台が製品化されます。

 




引用先 http://さささっ.jp/train/e130.html

 

 

 


キハe130で鉄コレから500番台やキハe130 13も製品化されるか?

 

 

 

 

引用先 http://jrrollingstock.travel.coocan.jp/Urban/DCE130-0~jp.html


キハe130系鉄コレで32弾で0番台が製品化され、100番台は8月に2両セットが販売されますが、そうなると500番台の車両も製品化されるのでしょうか。

 

 

 

引用先 https://www.cafe-dragoon.net/trip/train/kiha_e130/kiha_e130_hachinohe.html

 

この辺も気になりますが、500番台の車両ももしかしたら2025年の夏当たりには製品化されるということもあり得るのではないでしょうか。

 

あと、キハe130系にはオレンジ色ラッピングのキハe130 13もありますから、キハe130 13も製品化されてもおかしくはないのではないでしょうか。

 

 


引用先 https://raillab.jp/car/51560

 

この辺はトミーテックしだいですが、500番台とキハe130 13も製品化されてもおかしくないものであります。

 

 

電車ファン必見!京阪電車大津線700形ラッピングの魅力とその種類。



 


引用先 https://raillab.jp/news/article/2000

 

 


8月に京阪電車大津線700形「響け!ユーフォニアム」ラッピング電車2023 2両セットが販売されますが、京阪電車大津線700形はどんな車両なのでしょうか。

 

 

 

 

京阪電車大津線700形は計画変更で登場した車両。

 

 

 

引用先 https://hirolrt.sakura.ne.jp/syaryou/keishin/700/709.html

 

 

京阪電車大津線で600形ともに活躍している京阪電車大津線700形が作られたのは、京阪電車大津線から京都市営地下鉄東西線に直通運転が決まりましたが、車両の規格が決まったのが1990年で、車両の大型化を含めて石山坂本線を含んだ大津線全体の架線電圧もこれまでの600 Vから1,500 Vに変わるということで、当初の計画では600形を増備する予定でしたが、計画を変更し新たな車両をということで作られたのが京阪電車大津線700形でした。

 

 

新しく作られることになった、京阪電車大津線700形1次車は京阪電車大津線350形2次車は500形車体と台車を流用して作られた車両ですが、書類上は新製扱いになってますが、京阪電車大津線700形も古くなった車両を車体の更新などをして作られた車両でありました。

 

 

 

 

京阪電車大津線700形で鉄コレで製品化されたものは?

 

 

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/ltd-exp-suiseigou/e/856e47dba33200eecffb560e7ca6152b

 

京阪電車大津線700形も、京阪電車大津線600形と同じく鉄コレで、製品化されてきましたがこれまでに製品化された車両は、


京阪電車大津線 700形2両セット


京阪電車大津線700形(新塗装)2両セット


京阪電車大津線700形 80型塗装 2両セット


京阪電車大津線700形「けいおん!」5th Anniversary 2両セット


京阪電車大津線700形 鉄道むすめラッピング2015 2両セット


京阪電車大津線700形 トーマス号2015 2両セット


がありますが、京阪電車大津線700形も京阪電車大津線600形と同じくいろいろなラッピング電車もありました。

 

 

そこに新たに京阪電車大津線700形「響け!ユーフォニアム」ラッピング電車2023が、加わりますが、

 

 

 



引用先 https://ameblo.jp/orange-train-201/entry-12820811683.html

 


響け!ユーフォニアム」ラッピング電車ですが、これまでは京阪電車大津線600形でありましたが、それが昨年度は京阪電車大津線700形に変わったというのですから、

 

 


京阪電車大津線600形で「響け!ユーフォニアム」ラッピング電車2023バージョンが、出てくると思っていた方には残念な結果になってしまったということでありました。

 

 

京阪電車大津線700形のラッピング電車で製品化されていないものは?

 

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/89035

 


京阪電車大津線700形にも、鉄コレでもまだ製品化されていないラッピング電車もありますがどんな車両かというと、

 

 


京阪電車大津線700形 Mother Lake

 

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/itakogb/e/a56ecc36fe4edd019682476b1832fc51

 

 


京阪電車大津線700形 ekenet PiTaPa

 

 

 

 

引用先 http://www.agui.net/imglog/21/21img-51.html

 


京阪電車大津線700形 ちはやふる

 

 



引用先 http://kanorail.peewee.jp/keihan/keihan.htm

 

 

 


京阪電車大津線700形 トーマス号2011

 

 

 

引用先 https://plaza.rakuten.co.jp/naochans117955/diary/201203300000/

 

 


京阪電車大津線700形 和歌山国体「きいちゃん」号

 

 

 

引用先 http://sonotablog.mogiriya.com/article/115634951.html

 

 

などがありますが、ちはやふるラッピングは、将来的に製品化されてもおかしくない編成になりますが、もしかしたら新たなラッピング電車が京阪電車大津線700形に登場して、それが鉄コレで製品化されるということもあり得ますから、

 

 

この辺は今後どんなラッピング電車が京阪電車大津線700形が出てくるかで、決まってくるのではないでしょうか。

秘匿性の高い謎の車両:マニ30の物語 なぜ?タブーとされたのか?

 

 

 

引用先 https://www.kanorail.com/PC/Mani30.htm

 

現金輸送で活躍したマニ30は、現役時代はその存在すらタブーとされてきましたが、どんな理由があったのでしょうか。

 

 

 

マニ30がタブーとされだしたのは1970年頃。

 

 


引用先 https://mamezoo.com/pc/PC-CLUB/LOG/SP/724-NISEKO-MANI30.html

 

 


現金輸送で活躍したマニ30がタブーとされたのはいつかというと、RMライブラリー208の現金輸送車物語の中にも出てきていますが、それによると1970年に形式がマニ34が初代にマニ30に形式変更になってからではという記述が出てきていますが、なぜ?形式が変更になったか、その理由にも現金輸送車物語の著者の和田洋さんの話が記事の中に出てきていますが、和田洋さんが国鉄とのパイプを持つ鉄道ファンの方から聞いた話では、マニ34はすでに一般にもその存在が知られているとのことで、

 

 

形式をマニ34から初代のマニ30に変更したのではないかとことのようですが、マニ34から初代のマニ30に変更になったあたりからその当時の国鉄が、初代のマニ30の存在には神経を使っていました。

 

 


マニ30 がブタブーとされたのは公に公表できないから。

 

 


引用先https://khkar2.exblog.jp/16360141/

 

マニ30は、現役時代も含めてその存在はタブーとされてきましたが、積み荷が日銀で印刷された紙幣と、今は財務省に変わりましたが昔の大蔵省の大阪にある造幣局で作られた硬貨を運んでいるということもありましたから、その存在自体を知られたくないということではないでしょうか。

 

何しろ積み荷が積み荷だけに警備も厳重にされていましたし、実際にあった話として、大阪に配属されていた2代目のマニ30が高松まで現金輸送を行った際には、

 

日銀の職員の方が同行しますが、さらに各県警の警察の方も同行しますが、県が変わると警察の方も交代していましたから、それだけ警備が物々しかったのですが、それであれば、マニ30の存在自体は知られてほしくないというのが本当のところではないでしょうか。



秘匿性の高い列車といえばお召し列車もそうですが、お召し列車についてはどこで情報を手に入れたのか、走るとわかると全国各地から鉄道ファンの方が撮影に来ますが、

 

お召し列車は撮影しても公に公表することができましたが、マニ30は2003年に現金輸送が終るまで公には公開すらできなかったのですから。それだけ秘匿性の高い車両だけに、存在自体がタブーとされていたということになります。

 

 

マニ30がタブーとされるようになってこんなこともあった。

 

 

 

 

マニ30はその存在自体がタブーとされていましたが、その関係で撮影した方も公に公表できませんが、これ初代のマニ30も二代目のマニ30もそうでした。

 

マニ30が公に公表できるようになったのが2004年になってから公に現役時代に撮影した写真などが鉄道の専門誌でも公表できるようになりましたが、

 

 

それまでは鉄道友の会の会誌その存在や動向を知るだけとなりましたから、それだけ日銀もそうですし、国鉄そしてJRもマニ30の存在を公にしたくなかったということになりますが、そんな最中にあった出来事として、レイルマガジンの編集長を務めていた名取紀之さん日銀の本店から呼び出しを食らうということがありましたが、

 

これもRMライブラリー208の現金輸送車物語の中にも出てきますが、二代目のマニ30を日本型16番で作り、さらに図面も載せさらにマニ30の寸法などを撮っている時に鉄道公安官に制止されたということも記事として書いて投稿したということで、

 

 

その当時、レイルマガジンの編集長を務めていた名取紀之さんが日銀の本店に呼び出しを食らったということですが、たまたま日銀の職員の方にレイルマガジンの読者の方がいたということで、そうなってしまったとのことでしたが、

 

 

それだけマニ30は決して触れてはならないタブーとする車両でありましたが、2003年にマニ30を使った現金輸送も終わったことで、その存在も公にできるようになりましたから、それだけマニ30は秘匿性の高い車両でありました。

 

マニ30の謎:貨物列車との関係の裏には荷物列車の廃止があった。

 

 

 

引用先 https://www.kanorail.com/PC/Mani30.htm

 

2代目のマニ30は晩年は貨物列車に連結される形で、現金輸送を行っていましたが、なぜ?そうなってしまったのでしょうか。

 

 


マニ30が貨物列車に連結された理由は荷物列車の廃止。

 

 

 

 

 

引用先 http://blog.livedoor.jp/tec_300x/archives/52116019.html

 

マニ30で、2代目の車両は国鉄で運転されていた荷物列車が廃止になってからは、コンテナ車で編成された貨物列車に連結されるようになりましたが、その理由も国鉄時代に運転されていた荷物列車自体が廃止が関わっていましたが、

 

国鉄で運転されていた荷物列車が廃止になった理由はヤマト運送などの宅配便に国鉄で行っていた荷物輸送が負けてしまったということがありましたが、

 

国鉄時代に運転されていた荷物列車は汐留や隅田川駅などを拠点としていました。

 

その当時、日銀のマニ30も、首都圏であれば隅田川駅汐留駅で印刷された紙幣を積み込んだり、回収した古くなった古札を下ろしたりしていましたが、

 

今度は東京貨物ターミナルで、現金の積み込みなどをしなければなりませんし、到着した先がコンテナターミナルということで、街中に出るさいも一々タクシーを呼ばなければならないなど、日銀の職員の方達も大変な目になってしまいました。

 

 


マニ30が貨物列車で青函トンネルを通過していた。

 

 

引用先 https://khkar2.exblog.jp/16360141/

 

 

2代目のマニ30は荷物列車が廃止なってからは、コンテナ車で編成された貨物列車現金輸送を行っていましたが、JRになってからの話になりますが、隅田川貨車区に配属されていたマニ30は、青函トンネルができる前は青函連絡で青森と函館との間を行き来していましたが、

 

 

青函トンネルができてからは、青函トンネルを通過して北海道と本州との間を往復していましたが、国鉄時代に運転されていた荷物列車は青函トンネルの開通を待たずに廃止となりましたが、2代目のマニ30は青函トンネルが開通したのちに唯一、青函トンネルをまともに通過した荷物車ですが、

 

青函トンネルができてから青函トンネルを通過した荷物車はモトトレインで、使われていたマニ50オリエントエクスプレス88が運転された際に控え車として連結されていたマニ50だけですが、これらのケースは本来の荷物列車の運用とは異なるものでありましたが、2代目のマニ30はまともに荷物車として青函トンネルを通過していました。

 

 

マニ30が貨物列車連結された場合は場所はどこか?

 



引用先 http://blog.livedoor.jp/tec_300x/archives/52116019.html

 

 

マニ30が、コンテナ車で編成された貨物列車に連結されていた場所は、日銀の各地の支店に古札や廃札を回収する際は、機関車の次に連結しますが、この辺も荷物列車や急行列車などに連結されていた際の名残で、現金を積んだ場合は最後部で、これも荷物列車時代の名残ですが、

 

 

日銀の釧路支店まで現金輸送を行う場合は、このケースが当てはまりません。なぜかというと、札幌貨物ターミナルで進行方向が変わってしまうということで、

 

現金を積んだ場合の連結位置が、従来の指定された場所から違う場所になりますが、この点はコンテナ車で編成された貨物列車だからこそ起きてしまったことでありますが、

 

 

これはあくまでも日銀の釧路支店との間での現金輸送を行う際だけに見られたものでありますが、以前は急行ニセコで到着したのちに、苗穂駅で急行まりに連結されていましたが急行ニセコが廃止になった関係で、日銀の本店と北海道との間の現金輸送も大きな変化がでました。

 

 

 

マニ30が貨物列車に連結される車種も限られていた。

 

 

 

引用先 http://warheads.s5.xrea.com/jouka_photoroom/jouka_scene03_35.html

 

 

2代目のマニ30は荷物列車が廃止されてからは、コンテナ車で編成された貨物列車に連結されていましたが、その場合でも連結される車両も限られていましたが、2代目のマニ30が連結されることができるコンテナ車は、コキ5500とコキ50000だけですが、


なぜ?その2つだけになったかというと、2代目のマニ30の台車が関係していましたが、2代目のマニ30の台車は、オハ50系で使われていたTR230で、TR230は最高速度が95kまででありましたから、コンテナ車で編成された貨物列車に連結する場合、コキ5500やコキ50000だけに限られますから、コキ50000系の100kで走行できる25万台や110kで走行できる35万台、コキ100系のコンテナ車には連結できません。

 

 

そうしたこともあって、マニ30を使った現金輸送が車での現金輸送に変わっていく理由にもなりましたし、マニ30を使った現金輸送が廃止になるきっかけの一つでもありました。

 

 

 

新紙幣発行から見るマニ30の変遷と現金輸送の軌跡。

 

 

 

 

 

引用先 https://www.kanorail.com/PC/Mani30.htm

 

 

今年の7月3に20年ぶりに新紙幣が発行されますが、新紙幣が発行された際は、日銀のマニ30が活躍していましたが、いつから現金輸送に従事していたのでしょうか。

 

 

 

 




マニ30で行われた現金輸送はいつから。

 

 

 

引用先 https://mamezoo.com/pc/PC-CLUB/LOG/SP/724-NISEKO-MANI30.html

 


マニ30で現金輸送がいつから行われていたかは、RMライブラリー208巻の現金輸送車物語の中に出てきていますが、日銀ではマニ30を使って行っていた現金輸送現送と呼んでいました。

 

 

マニ30で最初の現金輸送が行われた日時は、初代のマニ30がマニ34時代の頃で、1949年の8月4日で、日銀の本店から広島と下関の支店向けに運行されたのが、

 

 

 

初代のマニ30がマニ34時代に行われた最初の現金輸送ですが、初代のマニ30がマニ34として落成したのが1949年の7月ですから、落成した翌月に早速現金輸送の運用に入りましたが、この当時の高額紙幣は100円札で、初代のマニ30がマニ34として落成する前の年の1948年だけでも23億枚の100円札が発行されていましたから、

 

 

それだけの枚数を全国各地にある日銀の支店に運ぶにも専用の車両が必要で、ありましたがこの辺のいきさつは、RMライブラリー208巻の現金輸送車物語の中にも触れられています。

 

 

 

マニ30が出てくる前は現金輸送はどう行っていたのか?

 

 

引用先 https://khkar2.exblog.jp/16360141/

 


マニ30による現金輸送は、初代のマニ30がまだマニ34として落成した1949年の8月からですが、それ以前はどんな方法で日銀の支店から各地に支店との間で現金輸送が行われていたかというと、15トン積みの有蓋車日銀の本店で出来上がった紙幣を積み込み、さらに同行する日銀の職員の方も一緒に乗り込んで、各地の日銀の支店との間を往復しましたが、

 

 

なにぶん、15トン積みの有蓋車ですから、扉も完全に締めることもできなかったなどの苦労もあれば、さらに現金輸送に使う有蓋車を連結する貨物列車もいろいろな貨車を連結した解結貨物でしたから、本店から出来上がった紙幣を各地の支店に届ける間に、複数の操車場で貨物列車の編成を整えますが、

 

 

車内には日銀の職員の方も乗っていますが、操車場で貨車を切り離すに有蓋車の中でけがをするという事故も起きていたというのですから、それであればなおさら専用の車両が必要になるということでありましたが、初代のマニ30がまだマニ34が登場する前でもそうでしたから、それなら戦前に行われた現金輸送も同じような形で行われていたのではないでしょうか。

 

 


マニ30で一番最後に行われた現金輸送はいつか?

 

 

引用先 https://noble-joker.com/nj_home/@5top_pc/mani30.htm

 

最後に新紙幣の発行で、マニ30で行われた現金輸送はいつだったのかというと、1984年で今から40年前のことになりますから、2代目のマニ30がフル稼働して日銀で出来上がった新紙幣を全国各地の日銀の支店に届けていましたが、じゃあ?今から20年前の2004年に1000円札と5000円札が新しくなった際には、マニ30で行われた現金輸送が行われたのかというと、この時はマニ30で現金輸送は行われず、


2003年度でマニ30を使った現金輸送は終了しましたが、その時点では日銀の本店と各支店との間で、新しく印刷された紙幣と古くなった紙幣を交換するためにマニ30が使われていましたが、

 

これも1992年の日銀の本店と新潟支店との間で車を使っての現金輸送が行われるようになってからは車での現金輸送が主力となり、マニ30を使った現金輸送は徐々に運行の方も減っていきました。

ef65 1000番台と2000番台の更新色になった理由は?

 

引用先 http://f-liner.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-0afe.html

 

JR貨物に残るef65 2000番台で更新色の車両は3両だけですが、過去にあった更新色などについて振り返ってたいと思います。

 

 

 

 


JR貨物のef65 1000番台と2000番台が更新色に変わった理由は?

 

 


引用先 https://krfj.net/hatenaki/jrf/ef65.html


今や残り3両となったJR貨物のef65 2000番台の更新機ですが、なぜ?あのような色の塗り分けになったのかということを振り返りますと、


JR貨物に所属していたef65 1000番台は、車歴が長い車両と短い車両があり、車歴の長い車歴が長い車両は特別保全工事を随時行い、車歴の短い車両は工事を行わないということで、工事を行った車両か?そうでない車両かを、区別するために車体の色を変更しました。

 

ef65 1000番台の更新機で1回目の特別保全工事を受けた車両は、ブルーの濃淡ツートン+ホワイトの3色。

 

 


引用先 http://rabuco2019.sakura.ne.jp/EF65-1000bandai

 

2回目の特別保全工事を受けた車両は、ブルー+ホワイトの2色。

 

 


引用先 http://rabuco2019.sakura.ne.jp/EF65-1000bandai

 

になりましたが、JR貨物に所属していたef65 1000番台の前期型は、2回目の特別保全工事を受けた車両3色にならずにすべての車両が廃車となり、後期型の車両だけが3回目の特別保全工事を受けることになりました。

 

大宮工場で、特別保全工事を受けた車両で最後まで3色の更新機で残った車両は、

 



引用先 http://www5c.biglobe.ne.jp/~harehare/hensei_EF65_PF5.html

 

1058号機で、これも2011年の5月に大宮車両所で全般検査を受けたときに2色と変わり、3色塗りの更新機が消滅しました。

 

ef65 1000番台の更新機で、広島車両所で施工されたからしと呼ばれる車両もありましたが、

 

 

 

引用先 http://blog.livedoor.jp/yoo_sa/archives/1495970.html

 

この塗り分けですが現在、2127号機のみとなりましたが、元々は岡山機関区に配属されていたef65 1000番台で見ることができたものですが、特徴は乗務員扉と前面の貫通扉だけがからしという特徴でありました。

 

ということもあって、広島車両所で施工された車両は、からし色と呼ばれるようになりましたが、ef65 10000番台で、前期型の1008、1010、1012、1031から1033号機はさらにナンバープレートもからし色でありました。

 

 

 


引用先 https://blog.goo.ne.jp/momotaro20050617/e/bb91fd51cfdcd63e093479307add7ce8

 

 

 

ef65 1000番台の更新機で広島色にまつわる謎?

 

 

 

 

引用先 http://kmh223.sakura.ne.jp/picfront/jrkikan/index8.html

 


それと広島車両所で行われた更新機は、例外的なケースで車体は3色更新機でありながらもなぜか?貫通扉だけからし色の1089号機

 

 

 


引用先 http://asama489jr.s378.xrea.com/jrfright/ef65/EF65-1089.html

 

もありましたが、この件はいまだになぜそうなったのかという謎が残ります。

 

そして1089号機は、改めて広島車両所で塗装を変更して、2色更新色になりましたが、不思議なことに青色は大宮車両所で更新工事を施工された車輌と比べても青く、

 

 

引用先 https://ameblo.jp/tohchanne/entry-12628632888.html

 

さらにナンバープレートも紅葉色でありました。

 

 

 

 


ef65 2000番台の更新機が国鉄色に変わったのはなぜか?

 

 



引用先 http://blog.livedoor.jp/ef651105/archives/cat_795600.htm

 

新鶴見に残っているef65は2000番台の車輌ばかりで、さらに国鉄色の車両ばかりで逆に更新色の車両が貴重になってしまった感じでありますが、なぜ?このようなことになったのかというと、

 

一つには経費の削減で、JR貨物も民間の会社ですからいろいろと経費もかかりますが、その中でも機関車の塗装に必要となる塗料の量は半端でありませんから、


かつて見られたようなef65の2000番台の更新機のような色は、塗装する手間や作業効率などから見ても経費もかかりますから、経費を削減する関係で、更新色が減っていきました。

 

そしてもう一つの理由は、JR貨物のef65 1000番台、今は2000番台だけですが、更新機があったころはまだ未更新機も存在していました、それを区別するために色分けをしていましたが、未更新機がすべて廃車になった関係でそうしたことをしなくてもいい状況になりましたから、

再び国鉄色に戻り、その第一号が、2139号機2017年の5月に大宮車両所での一般公開の時に、「EF65 2139 国鉄色復活 大宮車両所 新鶴見機関区」のヘッドマークが取り付けられて一般公開されましたが、

2139号機はさらに車体の側面の上についているJRマークもなく、さらにナンバープレートも国鉄時代の晩年に一部の車両で観られた赤プレートで銀文字でありましたから、それこそ国鉄時代の姿になりました。

 

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/91610

 

 

そしてこれ以降、更新機はその年の10月に出場した2065号機以降から国鉄色へと変わり、さらに側面ナンバープレート上にJRマークも復活、屋根上のモニターも黒に塗り替わりましたが、昨年の3月に出場した2085号機が最後の国鉄色として登場し、更新機の国鉄色への復帰は22両で終わりました。

 

ということもあって、今も新鶴見に所属しているef65 2000番台の主力として活躍していますが、今後はef210が増えていく関係で、2000番台の国鉄色も徐々に数を減らしていくのではないでしょうか。

 

パラレルワールド的な話になりますが、もしef65 0番台や500番台で更新工事を受けた車両が残っていたら0番台の国鉄色や500番台の国鉄色の車両も出てきたのではないでしょうか。