本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

マニ30の謎:貨物列車との関係の裏には荷物列車の廃止があった。

 

 

 

引用先 https://www.kanorail.com/PC/Mani30.htm

 

2代目のマニ30は晩年は貨物列車に連結される形で、現金輸送を行っていましたが、なぜ?そうなってしまったのでしょうか。

 

 


マニ30が貨物列車に連結された理由は荷物列車の廃止。

 

 

 

 

 

引用先 http://blog.livedoor.jp/tec_300x/archives/52116019.html

 

マニ30で、2代目の車両は国鉄で運転されていた荷物列車が廃止になってからは、コンテナ車で編成された貨物列車に連結されるようになりましたが、その理由も国鉄時代に運転されていた荷物列車自体が廃止が関わっていましたが、

 

国鉄で運転されていた荷物列車が廃止になった理由はヤマト運送などの宅配便に国鉄で行っていた荷物輸送が負けてしまったということがありましたが、

 

国鉄時代に運転されていた荷物列車は汐留や隅田川駅などを拠点としていました。

 

その当時、日銀のマニ30も、首都圏であれば隅田川駅汐留駅で印刷された紙幣を積み込んだり、回収した古くなった古札を下ろしたりしていましたが、

 

今度は東京貨物ターミナルで、現金の積み込みなどをしなければなりませんし、到着した先がコンテナターミナルということで、街中に出るさいも一々タクシーを呼ばなければならないなど、日銀の職員の方達も大変な目になってしまいました。

 

 


マニ30が貨物列車で青函トンネルを通過していた。

 

 

引用先 https://khkar2.exblog.jp/16360141/

 

 

2代目のマニ30は荷物列車が廃止なってからは、コンテナ車で編成された貨物列車現金輸送を行っていましたが、JRになってからの話になりますが、隅田川貨車区に配属されていたマニ30は、青函トンネルができる前は青函連絡で青森と函館との間を行き来していましたが、

 

 

青函トンネルができてからは、青函トンネルを通過して北海道と本州との間を往復していましたが、国鉄時代に運転されていた荷物列車は青函トンネルの開通を待たずに廃止となりましたが、2代目のマニ30は青函トンネルが開通したのちに唯一、青函トンネルをまともに通過した荷物車ですが、

 

青函トンネルができてから青函トンネルを通過した荷物車はモトトレインで、使われていたマニ50オリエントエクスプレス88が運転された際に控え車として連結されていたマニ50だけですが、これらのケースは本来の荷物列車の運用とは異なるものでありましたが、2代目のマニ30はまともに荷物車として青函トンネルを通過していました。

 

 

マニ30が貨物列車連結された場合は場所はどこか?

 



引用先 http://blog.livedoor.jp/tec_300x/archives/52116019.html

 

 

マニ30が、コンテナ車で編成された貨物列車に連結されていた場所は、日銀の各地の支店に古札や廃札を回収する際は、機関車の次に連結しますが、この辺も荷物列車や急行列車などに連結されていた際の名残で、現金を積んだ場合は最後部で、これも荷物列車時代の名残ですが、

 

 

日銀の釧路支店まで現金輸送を行う場合は、このケースが当てはまりません。なぜかというと、札幌貨物ターミナルで進行方向が変わってしまうということで、

 

現金を積んだ場合の連結位置が、従来の指定された場所から違う場所になりますが、この点はコンテナ車で編成された貨物列車だからこそ起きてしまったことでありますが、

 

 

これはあくまでも日銀の釧路支店との間での現金輸送を行う際だけに見られたものでありますが、以前は急行ニセコで到着したのちに、苗穂駅で急行まりに連結されていましたが急行ニセコが廃止になった関係で、日銀の本店と北海道との間の現金輸送も大きな変化がでました。

 

 

 

マニ30が貨物列車に連結される車種も限られていた。

 

 

 

引用先 http://warheads.s5.xrea.com/jouka_photoroom/jouka_scene03_35.html

 

 

2代目のマニ30は荷物列車が廃止されてからは、コンテナ車で編成された貨物列車に連結されていましたが、その場合でも連結される車両も限られていましたが、2代目のマニ30が連結されることができるコンテナ車は、コキ5500とコキ50000だけですが、


なぜ?その2つだけになったかというと、2代目のマニ30の台車が関係していましたが、2代目のマニ30の台車は、オハ50系で使われていたTR230で、TR230は最高速度が95kまででありましたから、コンテナ車で編成された貨物列車に連結する場合、コキ5500やコキ50000だけに限られますから、コキ50000系の100kで走行できる25万台や110kで走行できる35万台、コキ100系のコンテナ車には連結できません。

 

 

そうしたこともあって、マニ30を使った現金輸送が車での現金輸送に変わっていく理由にもなりましたし、マニ30を使った現金輸送が廃止になるきっかけの一つでもありました。