本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

秘匿性の高い謎の車両:マニ30の物語 なぜ?タブーとされたのか?

 

 

 

引用先 https://www.kanorail.com/PC/Mani30.htm

 

現金輸送で活躍したマニ30は、現役時代はその存在すらタブーとされてきましたが、どんな理由があったのでしょうか。

 

 

 

マニ30がタブーとされだしたのは1970年頃。

 

 


引用先 https://mamezoo.com/pc/PC-CLUB/LOG/SP/724-NISEKO-MANI30.html

 

 


現金輸送で活躍したマニ30がタブーとされたのはいつかというと、RMライブラリー208の現金輸送車物語の中にも出てきていますが、それによると1970年に形式がマニ34が初代にマニ30に形式変更になってからではという記述が出てきていますが、なぜ?形式が変更になったか、その理由にも現金輸送車物語の著者の和田洋さんの話が記事の中に出てきていますが、和田洋さんが国鉄とのパイプを持つ鉄道ファンの方から聞いた話では、マニ34はすでに一般にもその存在が知られているとのことで、

 

 

形式をマニ34から初代のマニ30に変更したのではないかとことのようですが、マニ34から初代のマニ30に変更になったあたりからその当時の国鉄が、初代のマニ30の存在には神経を使っていました。

 

 


マニ30 がブタブーとされたのは公に公表できないから。

 

 


引用先https://khkar2.exblog.jp/16360141/

 

マニ30は、現役時代も含めてその存在はタブーとされてきましたが、積み荷が日銀で印刷された紙幣と、今は財務省に変わりましたが昔の大蔵省の大阪にある造幣局で作られた硬貨を運んでいるということもありましたから、その存在自体を知られたくないということではないでしょうか。

 

何しろ積み荷が積み荷だけに警備も厳重にされていましたし、実際にあった話として、大阪に配属されていた2代目のマニ30が高松まで現金輸送を行った際には、

 

日銀の職員の方が同行しますが、さらに各県警の警察の方も同行しますが、県が変わると警察の方も交代していましたから、それだけ警備が物々しかったのですが、それであれば、マニ30の存在自体は知られてほしくないというのが本当のところではないでしょうか。



秘匿性の高い列車といえばお召し列車もそうですが、お召し列車についてはどこで情報を手に入れたのか、走るとわかると全国各地から鉄道ファンの方が撮影に来ますが、

 

お召し列車は撮影しても公に公表することができましたが、マニ30は2003年に現金輸送が終るまで公には公開すらできなかったのですから。それだけ秘匿性の高い車両だけに、存在自体がタブーとされていたということになります。

 

 

マニ30がタブーとされるようになってこんなこともあった。

 

 

 

 

マニ30はその存在自体がタブーとされていましたが、その関係で撮影した方も公に公表できませんが、これ初代のマニ30も二代目のマニ30もそうでした。

 

マニ30が公に公表できるようになったのが2004年になってから公に現役時代に撮影した写真などが鉄道の専門誌でも公表できるようになりましたが、

 

 

それまでは鉄道友の会の会誌その存在や動向を知るだけとなりましたから、それだけ日銀もそうですし、国鉄そしてJRもマニ30の存在を公にしたくなかったということになりますが、そんな最中にあった出来事として、レイルマガジンの編集長を務めていた名取紀之さん日銀の本店から呼び出しを食らうということがありましたが、

 

これもRMライブラリー208の現金輸送車物語の中にも出てきますが、二代目のマニ30を日本型16番で作り、さらに図面も載せさらにマニ30の寸法などを撮っている時に鉄道公安官に制止されたということも記事として書いて投稿したということで、

 

 

その当時、レイルマガジンの編集長を務めていた名取紀之さんが日銀の本店に呼び出しを食らったということですが、たまたま日銀の職員の方にレイルマガジンの読者の方がいたということで、そうなってしまったとのことでしたが、

 

 

それだけマニ30は決して触れてはならないタブーとする車両でありましたが、2003年にマニ30を使った現金輸送も終わったことで、その存在も公にできるようになりましたから、それだけマニ30は秘匿性の高い車両でありました。