引用先 https://raillab.jp/photo/27537
荷物列車でよく見かけることができたマニ50ですが急行にも連結されていました。
●マニ50とはどんな車両だったのか?
引用先 https://expechizen.exblog.jp/12776659/
かつては全国各地いたるところで見かけることができたマニ50ですが改めてどんな車両かというと、
特ロや普通車から改造したマニ36の代わりに作られた車両ですが実は冷房化も計画されていましたが、
それは幻のままとなりましたし、晩年はほとんどの車両が廃車となりましたが、それでも一部の車両が救援車に転用されました。
●マニ50が急行列車になぜ?連結されていたのか?
引用先 https://plaza.rakuten.co.jp/marutetsuex/diary/202208150000/
マニ50ですが荷物列車では当たり前のように連結されていましたし、晩年の荷物列車ではパレット式についてはマニ44が、それ以外の荷物についてはマニ50というふうに使い分けられていました。
ということもあって、北海道では長距離を走る普通列車などにも当たり前のように連結されていましたが、
なぜ?急行列車にマニ50が連結されていたのかというと、荷物列車では途中の駅で積み下ろしであったり、切り離して他の車両を連結するという作業がありますから、荷物の到着に時間がかかってしまうということになります。
その点、長距離を走る急行列車であればよほどのことがない限り列車が遅れるということはありませんので、荷物が確実に到着するということになりますから、
そうしたことでマニ50が急行列車にも頻繁に連結されていたということになりますが、その一例として函館本線で運転されていた急行ニセコの例で見ていきますと、
急行ニセコですが晩年は函館を出発するときはマニ50が2両連結され、さらに区分式の郵便車も連結されていましたが、昭和59年の2月のダイヤ改正で区分式が廃止となり、
護送式のスユ15へと変わりましたが、荷物車についてはマニ50のままでありましたが、
急行ニセコに連結されるマニ50については本州を急行荷物列車で出発し、青森に到着後連絡船で運ばれ、函館に到着後急行ニセコに連結され、札幌に到着後今度は苗穂で急行まりもに連結されて釧路まで行くというコースになっていたというのも、
道内ではマニ50などで編成された荷物列車については苗穂と旭川を結ぶ列車だけでありましたから、
道内ではもっぱら急行ニセコのように急行列車に連結され終点を目指したということになりますから、裏を返せば急行列車がどれだけ重要な役割をはたしていたかということをあらわしていますが、
急行ニセコ以外にも上野と秋田を結んでいた急行鳥海にもマニ50が連結されていたというのも速達性を重視した結果でありますが、
急行鳥海のような夜行の急行列車ですがかつては上野駅から青森や金沢などに向けて運転されていましたが、
上越新幹線の開業などで消えていきましたが、料金が安いということで利用者も多かったということでも知られていますが、その裏側で地味だけでマニ50が急ぎの荷物輸送に使われていたということになります。
●マニ50が最後まで定期列車として連結された急行列車は?
引用先 https://expechizen.exblog.jp/12740834/
そんなマニ50ですが最後まで荷物車として連結された列車には何があるかというと、
道内で運転された列車であれば、
・急行ニセコ
・急行大雪
・急行利尻
・急行まりも
となりますし、本州であれば上野と青森を結ぶ急行八甲田に連結されていましたが、
急行八甲田についてはその昔バイクで夏北海道ツーリングする方のための車両としてマニ50が増結されていたということはよく知られていますが、
実際に画像がこれになります。
https://www.kanorail.com/PC/50kei.htm
MOTOトレイン用マニ50については青函トンネルが開業してからも引き続き急行八甲田に連結されていましたが、1998年に運転が終了しましたが、
それ以外の列車に連結されていたマニ50については昭和60年の9月一杯で運用を終えましたが、
なぜ?そうなったのかというと、この年の10月のダイヤ改正ではその当時運転されていた荷物列車がすべて廃止になるということで、
その流れで急行列車に連結されていたマニ50もその役目を終えたということになります。
そして余剰となった車両については廃車となった末に解体されましたが、それでも一部の車両が救援車などとして残りましたが、今はそれらの車両も廃車となりましたが、
唯一伊豆急行にJR東日本から譲渡されたマニ502186だけが残っているだけとなりましたが、あれだけあったマニ50も今たった1両だけとなりましたが、それでも現存しているというのも奇跡的なことではないでしょうか。