本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

マニ30と北海道とはただならぬ縁で結ばれていた。

 

 

引用先 https://www.kanorail.com/PC/Mani30.htm

 

日銀が所有していた現金輸送車のマニ30ですが北海道との縁の強い車両でありました。

 


日銀が所有したマニ30とはどんな車両か?

 



引用先 https://mamezoo.com/pc/PC-CLUB/LOG/SP/724-NISEKO-MANI30.html

 

そもそも日銀が所有した現金輸送車のマニ30とはどんな車両かというと、

 

客車で唯一存在した現金輸送のために作られた車両になりますが、

 

マニ30が作られた背景を遡っていくと、太平洋戦争が終わって間もないころまでたどり着くことになりますが、

 

太平洋戦争が終わったころに発行された紙幣で最高額はというと100円札になりますが、今どきの若い方には100円札があったということすら知らない方の方が多いのではないでしょうか。

 

 

その当時では一番の最高額で発行枚数も多く特に昭和23年度には23億枚発行されましたが、

 

その当時ですがどのようにして現金を鉄道で輸送していたかというと木造の有蓋車に大量の紙幣と職員の方が一緒に乗り込むということで、

 

まだこの当時ですが現金輸送も貨物列車で行われていましたが、戦後間もない時代ですから本当に物騒な時代であり、

 

日銀の方でも現金輸送のための専用の車両を作りたいとGHQに話してもなかなか実現には至らなかったのですが、

 

それがひょんなことから窃盗団がつかまり、さらに現金輸送列車の襲撃を計画していたということが明らかになったことで、

 

GHQの方でも日銀が所有する現金輸送車を作ってもいいと認めたということになりますから、

 

マニ30が作られた裏には本当に戦後まもないころの物騒な時代背景があったということになります。


そして昭和53年になってから初代のマニ30が老朽化したということで、2代目のマニ30が登場しましたが、

 

番号については初代のマニ30からの続きとなり、一時期は初代と2代目のマニ30が配属されていたということもありました。

 

マニ30は北海道の日銀の支店に現金を運んでいた。

 

 



引用先 https://khkar2.exblog.jp/16360141/

 

それで日銀が所有したマニ30についてですが、実は初代と2代目が存在していましたが、

 

マニ30については鉄道好きの方であれば知っている人は知っているというくらいに
秘匿性の高い車両でありましたし、

 

初代のマニ30については落成してから冷房を搭載するまではマニ34でありましたが、

それがいつの間にかマニ30に変わってしまったというのですから、この辺のいきさつについては謎のままになります。

 

それで日銀が所有したマニ30も北海道にある日銀の支店まで現金を運んでいましたが、

 

北海道にある日銀の支店は今は札幌と釧路ですが、かつては小樽にありましたが、

今は金融資料館になっています。

 

 


マニ30はどのようにして北海道まで現金を運んだのか?

 



引用先 https://noble-joker.com/nj_home/@5top_pc/mani30.htm

 

日銀が所有したマニ30ですが北海道にある日銀の支店までどのようにして現金を運んだのかというと、

 

マニ34時代は、上野を出る急行列車に連結され、青森に到着後、今度は青函連絡船で函館に到着後、急行まりもにされましたが、

 

急行まりもですが函館と札幌、釧路を結ぶ急行ということで、釧路にある日銀の支店まで現金を運ぶ場合は、片道3日、往復で1週間かかったというのですが、

 

この場合、同行する日銀の職員の方は出張扱いになります。

 

その後、隅田川駅から出発する急行の荷物列車に連結され、急行ニセコに連結されて札幌に到着後、苗穂で急行まりもに連結されるというような形に変わりましたが、

 

それでも青函連絡船を挟んでも往復1週間ということになりますが、

 

それが急行ニセコが廃止になったのちは今度はコンテナ列車で札幌貨物ターミナルまで来て、そこから釧路行きのコンテナ列車へと変わっていきましたが、

 

最終的には青函トンネルが開通したことで、釧路までの現金輸送の日数も短縮されたというのですから、

 

北海道まで日銀の本店で印刷された紙幣を運ぶのも大変だったということになります。


マニ30と北海道との縁は廃車後も続いていく。

 



引用先 https://railway-photo.hatenablog.com/entry/36722606

 

マニ30については秘匿性の高い車両ということもあって、公には公表できない車両でありましたが、

 

それゆえ写真を撮影しても鉄道雑誌などには投稿することができなかったというのですが、

 

この件についてですがRMライブラリー208巻の現金輸送車物語の中で、

 

レイルマガジン編集長を務めた名取紀之さんの話が出てきていますが、

 

レイルマガジン時代の話になりますが、日本型16番でペーパーでマニ30の2代目を作品として作って投稿した方がいましたが、

 

その際ですが模型化なる5図面も投稿してしまったということで、

 

後日、名取紀之さんが日銀の本店に呼び出しを食らったという話が出てきていますが、

 

それだけ秘匿性の高い車両で現役時代は鉄道公安官物々しい警備をしていたということでも知られています。

 

そうした車輌ゆえ、2004年に廃車となり、そのうちの1両が今の小樽総合博物館の手宮エリアに保存されることになりましたが、

 

その裏では日銀の支店の削減で小樽と北九州の支店が選ばれたということになりますが、

 

北九州の支店については政治問題まで発展してしまったということで、小樽の支店が札幌の支店に統合される形で削減されることとなり、

 

その代わりに小樽の日銀の支店が今の金融資料館となりましたが、それと合わせる形で日銀からマニ30が小樽に寄贈されたということになりましたが、

 

こうしてみていきますと、マニ30については初代の車両ができてからずっと北海道とはただならぬ関係で結ばれていたということになります。