本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

新紙幣発行から見るマニ30の変遷と現金輸送の軌跡。

 

 

 

 

 

引用先 https://www.kanorail.com/PC/Mani30.htm

 

 

今年の7月3に20年ぶりに新紙幣が発行されますが、新紙幣が発行された際は、日銀のマニ30が活躍していましたが、いつから現金輸送に従事していたのでしょうか。

 

 

 

 




マニ30で行われた現金輸送はいつから。

 

 

 

引用先 https://mamezoo.com/pc/PC-CLUB/LOG/SP/724-NISEKO-MANI30.html

 


マニ30で現金輸送がいつから行われていたかは、RMライブラリー208巻の現金輸送車物語の中に出てきていますが、日銀ではマニ30を使って行っていた現金輸送現送と呼んでいました。

 

 

マニ30で最初の現金輸送が行われた日時は、初代のマニ30がマニ34時代の頃で、1949年の8月4日で、日銀の本店から広島と下関の支店向けに運行されたのが、

 

 

 

初代のマニ30がマニ34時代に行われた最初の現金輸送ですが、初代のマニ30がマニ34として落成したのが1949年の7月ですから、落成した翌月に早速現金輸送の運用に入りましたが、この当時の高額紙幣は100円札で、初代のマニ30がマニ34として落成する前の年の1948年だけでも23億枚の100円札が発行されていましたから、

 

 

それだけの枚数を全国各地にある日銀の支店に運ぶにも専用の車両が必要で、ありましたがこの辺のいきさつは、RMライブラリー208巻の現金輸送車物語の中にも触れられています。

 

 

 

マニ30が出てくる前は現金輸送はどう行っていたのか?

 

 

引用先 https://khkar2.exblog.jp/16360141/

 


マニ30による現金輸送は、初代のマニ30がまだマニ34として落成した1949年の8月からですが、それ以前はどんな方法で日銀の支店から各地に支店との間で現金輸送が行われていたかというと、15トン積みの有蓋車日銀の本店で出来上がった紙幣を積み込み、さらに同行する日銀の職員の方も一緒に乗り込んで、各地の日銀の支店との間を往復しましたが、

 

 

なにぶん、15トン積みの有蓋車ですから、扉も完全に締めることもできなかったなどの苦労もあれば、さらに現金輸送に使う有蓋車を連結する貨物列車もいろいろな貨車を連結した解結貨物でしたから、本店から出来上がった紙幣を各地の支店に届ける間に、複数の操車場で貨物列車の編成を整えますが、

 

 

車内には日銀の職員の方も乗っていますが、操車場で貨車を切り離すに有蓋車の中でけがをするという事故も起きていたというのですから、それであればなおさら専用の車両が必要になるということでありましたが、初代のマニ30がまだマニ34が登場する前でもそうでしたから、それなら戦前に行われた現金輸送も同じような形で行われていたのではないでしょうか。

 

 


マニ30で一番最後に行われた現金輸送はいつか?

 

 

引用先 https://noble-joker.com/nj_home/@5top_pc/mani30.htm

 

最後に新紙幣の発行で、マニ30で行われた現金輸送はいつだったのかというと、1984年で今から40年前のことになりますから、2代目のマニ30がフル稼働して日銀で出来上がった新紙幣を全国各地の日銀の支店に届けていましたが、じゃあ?今から20年前の2004年に1000円札と5000円札が新しくなった際には、マニ30で行われた現金輸送が行われたのかというと、この時はマニ30で現金輸送は行われず、


2003年度でマニ30を使った現金輸送は終了しましたが、その時点では日銀の本店と各支店との間で、新しく印刷された紙幣と古くなった紙幣を交換するためにマニ30が使われていましたが、

 

これも1992年の日銀の本店と新潟支店との間で車を使っての現金輸送が行われるようになってからは車での現金輸送が主力となり、マニ30を使った現金輸送は徐々に運行の方も減っていきました。