引用先 https://expechizen.exblog.jp/11480803/
荷物列車でスニ40ともに活躍したワキ8000ですが荷物列車の編成で何両くらい連結されていたのでしょうか?
●ワキ8000とはどんな車両だったのか?
引用先 https://expechizen.exblog.jp/11491098/
そもそもワキ8000ですが車両運用の共通化を企図して開発された荷貨物兼用車という車両になりますが、
この手の計画についてですが国鉄でもたびたび行ってきましたがまともに使えたためしはなかったということになりますが、
なぜ?荷貨物兼用車が開発されたのかというと、行きは荷物車としてパレット台車に積んだ新聞紙などを運び、帰りは貨車としてパレットに貨物を積んで貨物列車に連結して返ってくるということをその当時の国鉄が考えていたのではないでしょうか?
ただ、この当時すでに高速貨物用のワキ10000もありましたからそれであればあえて荷貨物兼用車を作らなくても良かったのではないでしょうか。
それゆえでしょうかワキ8000にはワキ10000から編入されたワキ8750 - ワキ8792、ワキ8950 - ワキ8955が存在していましたが、
それでも当初の計画でもあった荷貨物兼用車の運用には入らずもっぱらパレット台車で荷物を運ぶ荷物車として使われていたというのですから、
その当時、荷貨物兼用車として考えていた国鉄の計画が失敗であったということをあらわしています。
●ワキ8000が実際に連結された荷物列車の編成は?
引用先 https://expechizen.exblog.jp/11477240/
荷貨物兼用車として作られたワキ8000ですが実際には貨物列車の運用には入らず、荷物列車で活躍していましたが、
ワキ8000が荷物列車の編成に入る場合ですが、2両くらいが定期的に荷物列車の編成に入っていますが、
実際の編成はどうだったのかということについては、
懐かしの国鉄客車列車に昭和59年2月のダイヤ改正時の下りの荷物列車の編成がいろいろと掲載されていますが、その中からいくつか拾っていくと、
汐留から東小倉を経由して熊本に到着する急荷35列車の編成では、
進行方向、門司側から順にマニ44、ワキ8000、スユ15、スユ44、マニ、ワキ8000、ワサフ8000×2、マニ44という編成になりますが、
このうち2号車のワキ8000と6号車のワキ8000についてはマニ44と共通運用になっていますから、荷物列車によってはワキ8000がマニ44になることもあったということです。
これに対して同じく汐留と東小倉を結んだ急荷37列車の編成では、汐留を出発する際は進行方向、門司側から順にマニ44×2、スユ15、オユ14、ワキ8000×2、マニという編成ですが、急荷37列車では1号車のマニ44は大阪止まりになります。
それとワキ8000についてはマニ44との共通の運用になっていないというところが急荷35列車との大きな違いになります。
●ワキ8000が集中的に連結された荷物列車の編成もあった。
引用先 https://raillab.jp/photo/62849
ワキ8000については荷物列車では2両くらいがいつも連結されていますが、以外にもパレット式の荷物車だけで編成された荷物列車ではワキ8000が多く連結された編成もありましたが、
この荷物列車ですが新大阪から広島まで新聞や雑誌などを運んだ列車でありますが、
実際の編成については懐かしの国鉄客車列車に昭和59年2月のダイヤ改正時の下りの荷物列車の編成にも出てきていますが、
新大阪から広島まで新聞や雑誌を運ぶために特化した荷物列車ですが、急荷1031列車と急荷1033列車になりますが、
実際の編成はというと急荷1031列車については広島側からワサフ8000、ワキ8000×2、マニ44となりますし、急荷1033列車はというとマニ37、ワキ8000×5、マニ44になりますが、
この荷物列車ですが折り返し広島を出発する急荷1032列車については急行荷1031列車と急行荷1033列車の折り返しということで、ワキ8000が編成のほとんどを占めていたということでも知られていましたし、
広島に配属されていたef61が担当していた荷物列車ということでも知られていますし、その当時は急荷1031列車もマニ37が連結していましたが、晩年はマニ37も少なくなったということで、ワサフ8000が連結されていましたが、
それにしてもパレット式の荷物列車で編成された列車ですから編成美も整っていましたが、このような荷物列車ですが本来であれば今の時代にこそ必要な列車ではないでしょうか。