本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

スニ41ですが、実際に荷物列車に入った編成にはどんなものがあるのでしょうか?

 

 


引用先 https://expechizen.exblog.jp/11460062/

 

スニ41ですが、実際に荷物列車に入った編成にはどんなものがあるのでしょうか?

 

 

 

 

スニ41とはどんな荷物車だったのか?

 




引用先 https://expechizen.exblog.jp/11468374/

 

晩年は東北方面や北陸方面でしか見かけることができなくなったスニ41ですがどんな荷物車だったかというと、

 

パレット式の荷物車のスニ40一般小荷物室・車掌室・緩急設備を付加した車両になりますが、車掌も乗るということで便所もついているところがスニ40との大きな違いになります。

 

それでスニ41ですが1978年までに電気暖房装置の併設改造を行ったことで、その後は東海道本線ではかけることはなくなりましたが、

 

唯一東海道筋で見られたスニ41は北陸方面からくる車両が米原から大阪の間でしか見かけることができなくなったということでも知られています。

 

 

 

スニ41が実際に入った荷物列車といえば急行荷35列車。

 

 

 



引用先 https://twitter.com/ja819061/status/1160245634395279360


スニ41が実際に連結されていた荷物列車として有名なのが急荷35列車ですが、これについては今では伝説の世界に入った列車といってもまちがいないのではないでしょうか。

 

何しろ汐留を出発したときは7両編成で、品川でさらに隅田川から来る8両編成の荷物列車を増結して15両編成で、さらに機関車もef58が重連運転で名古屋まで南下していくというのですからそれだけでも迫力のある編成であったということになります。

 

ちなみにですが急行荷35列車でスニ41が連結されている位置は一番最後部になりますから、品川を出発した時点では15両目の位置になります。

 

それで、名古屋で荷物車を切り離したのちの編成はというと、ネットで急行荷35列車の編成を調べてみましたら、京都から東小倉までの編成が記事として紹介されていましたが、京都発東小倉行きの編成はというと、


東小倉側からワサフ8000、オユ12、スユ44、オユ14、マニ36、マニ60、ワキ8000、スニ41になりますが、この編成ですが昨年カトーから販売された郵便荷物列車・東海道仕様と単品を組み合わせることで再現できるということになりますが、

 

それでも最後部にスニ41が連結されているというところが一番のポイントではないでしょうか。


スニ41が実際に入った荷物列車はほかにあるのか?

 

 



引用先 http://unicom-lra.co.jp/joomla/plugins/editors/xstandard/infos.php?qdwbi/n165838.html

 

スニ41については数が少なかったということで晩年は限られた荷物列車にしか入らかったというのですが、

 

実際にスニ41が入った編成については懐かしの国鉄客車列車の昭和59年2月のダイヤ改正の下りの編成によると、

 

隅田川発仙台行きの急行荷4031列車がありますが、この荷物列車ですが進行方向仙台側から順にスユ15、スニ41、ワキ8000×2、マニという編成になりますが、ただしスニ41、ワキ8000×2、についてはワサフ8000とスニ40との共通運用でありました。

 

この他にはスニ41が入った荷物列車はというと、隅田川直江津行きの荷2045列車がありますがこの荷物列車ですが隅田川を出発した時点の編成はというと、

 

スニ41、スニ40、マニ、マニ44、スユニ50という短めの編成ですが途中北長野でスニ41の前にマニを1両増結するなど途中で編成も変わっていきます。

 

あと、スニ41が入った荷物列車はというと大阪発富山行きの荷1048列車がありますが、この荷物列車の編成はというと大阪側からマニ、ワキ8000×2、スニ41という編成になりますから唯一東海道筋でスニ41が見られる荷物列車でありますが、

 

さらにこの荷物列車ですが米原から富山まで普通車を増結して普通列車として運転されるという変わった荷物列車になりますが、

 

増結される普通車はというとオハフ、オハ×4、オハフになりますからオハフについてはオハフ33もしくは45、オハについてはオハ35、46、47になりますが、この当時であれば車体の色は青ということになりますが、

 

ただ、この当時でもまだオハフ33やオハ35にも茶色の車両も残っていたという可能性もありますから、それらも実際に連結されていたのではないでしょうか。

 

スニ41については最後は限られた路線でしかかけることができなくなったレアな荷物車でありましたが、もっぱら急行八甲田や能登に鳥海で連結されていたというのがよく知られていました。