本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

ef64-1000番台のが担当した急行には能登以外の列車もあった。

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/antonrokuichi/e/f856bc5e577f2220c37d4b6dc133d24f

 

 

 

 

ef64 1000番台は1982年の11月に上越新幹線が開業するまでは、複数の夜行の急行列車を担当していましたが、どんな列車があったのでしょうか。

 

 


ef64 1000番台と急行能登の組み合わせも編成美が美しかった。

 

 

引用先 http://tnk-ko.a.la9.jp/gallery1/ef64-1000.html


上越線時代ef64 1000番台が担当した急行列車の一つが上野と金沢を結ぶ急行能登がありましたが、急行能登ef64 1000番台上越線に配備されるまでは、高崎第二機関区や長岡運転所ef58が担当し、

 

上越国境越の際にはef16が補機について上越国境を越えていましたが、高崎第二機関区や長岡運転所ef58はひさし付きのef58が多数配備されていましたが、そのうちの一つが側面の窓が7つある35号機ですが、35号長岡運転所に配備されていましたし、高崎第二機関区にはef58のラストナンバーの175号機も配備されていましたが、これらの車両がef64 1000番台が配備される前まで上越国境を越える夜行の急行列車で活躍したいました。

 

急行能登の編成は、旧型客車時代は上野側から順番にスニ41、オロネ10、オハネフ12、スハネ16×5、スロ62、オハ47×3、スハフ42という編成になっていましたら、典型的な夜行列車の編成ですが、

 

 

 

急行能登ですが寝台車A寝台車とB寝台車座席車普通車とグリーン車も連結されていましたが、そこがこの手の夜行列車ということで、利用する方の予算に合わせて車両が選べたということになりますし、荷物車のスニ41東京で印刷された新聞を北陸方面に運ぶ役目もになっていました。

 

 

そして上越新幹線が開業する1982年の11月の14日の編成はというと、これまでの旧型客車で編成されていた列車から大きく変わり14系14形で編成されましたが、その理由も次の日から急行能登信越線経由での運転になるということでありましたが、

 

 

最終日の急行能登の編成は、上野から金沢に向かう急行能登51号は上野側からスニ41、スハネフ14、オハネ14×2、オハフ15、オハ14×3、スハフ14となりました。

 

逆に金沢から上野に向かう編成は、マニ50、スハネフ14、オハネ14×2、オハフ15、オハ14×3、スハフ14という編成になりましたが、

 

 

なぜ?このような編成になったかというと信越線経由の夜行列車は碓氷峠を越える関係で10両編成までと制限されている関係で上記の編成となりましたが、最終日の急行能登は翌日の急行妙高との絡みもありましたから、それもかねていたということになります。

 

 


ef64 1000番台が担当した旧型客車の急行鳥海もあった。

 

 


引用先 http://trainribero.minibird.jp/ef64%201982.html


旧型客車で編成された夜行の急行列車ですが、上野と秋田を結ぶ急行鳥海もありましたが、急行鳥海も急行能登と同じく旧型客車で編成され、A寝台車にB寝台車、グリーン車に普通車という組み合わせになりますが、秋田方面から利用する方にすれば、東京に上京する際などによく利用されましたし、

 

それこそ、今は死語となりましたが、映画 オールウェイズ 3丁目の夕日の話ではありませんが、東京に集団就職した方がお盆や年末年始の帰省に利用した列車でもありましたが、

 

急行鳥海1982年の11月の上越新幹線の開業で廃止となりましたが、名前が特急に引き継がれ、最後は上越線経由の寝台特急の名前でよみがえり、ef64 1000番台と組み合わさって運転されていましたが、

 

 

急行時代は上野側からスニ41、スニ40、マニ50、オハネフ12、スハネ16×2、オロネ10、スロ62、オハ47もしくは46×4、スハフ42でありましたが、

 

上越新幹線が開業する前の日とその2日前の編成は上記の通りで、荷物車がマニ36で列車も急行鳥海51号、52号という番号がついていました。

 

 

そして上越新幹線が開業する前の日秋田から上にの向かう急行鳥海ですが、列車も次の日から寝台特急出羽に変わる関係でその送り込みもかねて、24系24形の寝台車で急行鳥海52号という番号もつきましたが、

 

この時の編成はカニ24 100番台、オロネ24、オハネ24×4、オハネフ24、オハネ24×4、オハネフ24という編成でありましたが、この編成ですがむしろ急行よりもほぼ寝台特急といっても間違いないものになりますが、翌日からの寝台特急出羽の絡みでこのような編成となりました。

 

 


ef64 1000番台が唯一20系で担当したは急行天の川。

 

 


引用先 https://blog.goo.ne.jp/tsurukun1422/e/a73556537762ae223cb147ba47e531ff


上越線経由の夜行の急行列車天の川だけが20系が使われていましたが、天の川も20系になる前は、オロネ10やオハネフ12、スハネ16で編成された夜行の急行列車になりますが、その当時の編成は東京と大阪の間で運転されていた急行銀河に匹敵するものでありましたが、急行銀河もオロネ10やオハネフ12、スハネ16に普通車にはスハ44とスハフ43が連結されいたということでも有名でしたが、975年の3月のダイヤ改正でなどで客車が20系に変わりました。

 


急行天の川秋田行きでありますが、ただルートが白新線経由で新潟に入る設定になっていましたが、上越線経由で運転されていた夜行の急行では唯一20系が使われた編成ですが、それでもA寝台車が2両連結されているなど、寝台特急あさかぜなどを彷彿させる
編成でありましたが、

 

急行天の川は引き続き、ef64 1000番台が担当した夜行の急行列車で1985年の3月のダイヤ改正で廃止となりましたが、最後までかつての寝台特急を思わせる編成で運転されていました。