引用先 https://www.kanorail.com/EF65_500/EF65500.htm
今後、その動向がどうなるかということで注目の高い車両が、JR東日本高崎支社に残るpトップこと、ef65 501ですが、ef65 500番台はどんな車両なのでしょうか?
●ef65 500番台が作られた理由は?
●ef65 500番台は旅客用と貨物用にも分かれていた。
●ef65 500番台といえば何はなくてもブルートレイン。
●ef65 500番台のf型は高速貨物専用車として作られた車両だった。
●ef65 500番台が作られた理由は?
引用先 https://www.kanorail.com/EF65_500/EF65500.htm
ef65 500番台は、これまで20系で運転されていた寝台特急あさかぜなどを担当していたef60 500番台が高速運転で無理がかかり、故障が起きてしまうしてしまうことがありましたが、元々ef60は貨物用の電気機関車として作られた電気機関車で、それゆえスピードも出しずらかったということで、
高速運転の際にはモーターに負荷がかかってしまい、フラッシュオーバーが起きてしまうこともありましたが、東京と九州を結ぶ寝台特急はその当時の花形列車でありました。
そうした関係で、その当時の国鉄の関係者の方達もこのままでは大変なことになるということで、貨物用として作られたef65 0番台をベースにして新たに高速運転向けの機関車として作られたのがef65 500の旅客用のP型であり、貨物用のF型でした。
●ef65 500番台は旅客用と貨物用にも分かれていた。
ef65 500番台は2つあり、旅客用のP型と貨物用のF型に分かれていますが、旅客用と貨物用は、番号で見ていきますと今もJR東日本に残っているef65のpトップこと、
引用先 http://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/takaki/ef65501_jre.html
501号機から512号機、527号機から531号機、0番台から500番台に編入された535号機から542号機が旅客用のP型になります。
これに対して貨物用は、513号機から517号機、そして518号機から526号機、532号機から534号機までが貨物用のF型になりますが、
引用先 https://www.kanorail.com/EF65_500/EF65500.htm
ef65 500番台のp型とf型の違いは、スカートにその違いがはっきり出ていますが、P型は旅客用でスカート周りもスッキリしています。
これに対して、F型は重連運転用のジャンパー栓などがついているところが旅客用のP型との大きな違いで、最盛期の国鉄車両ガイドブックの第10巻の49ページの下の方にP型とF型を正面から撮影した写真が掲載されていますが、同じ機関車であっても旅客用と貨物用とでは、こうも違うのかというくらいのその違いがはっきりとしています。
引用先 http://seishunm.blog.fc2.com/blog-entry-7.html
ef65 500番台といえば、一番華々しい活躍の舞台といえばやはり寝台特急を担当していた頃になりますが、ef65 500番台が担当していた東京発の寝台特急もいろいろとあり、
・あさかぜ
・みずほ
・はやぶさ
・さくら
・富士
がありますが、寝台特急で20系が使われていた時にはこの5つの列車でありましたが、その後、さくらとみずほが14系14形に変わり、さらに急行として運転されていた出雲と瀬戸が寝台特急に繰り上げられた際には20系で運転されていました。
そして、富士とはやぶさも24系24型に変わり、最後まで20系で運転されていたのは、あさかぜでしたが、これも24系25型に変わった際にef65 500番台のP型が寝台特急の役目を解かれました。
ちなみにですが、東京発の寝台特急は下関で台車検査を行っていた関係で、今もJR東日本に残るpトップこと501号機から504号機までが、下関機関区に移動し、台車検査を行う際には代わりに下関と東京の間を往復していました。
あと、東京機関区に配属されていた500番台のF型の513号機から517号機も1965年の秋から翌年の1966年の春までの半年の間、東京機関区に配属されていた500番台のP型とともに東京発の寝台特急を担当していましたが、
なぜ?貨物用のF型が寝台特急を担当した理由は、1966年から最高速度100㎞で運転される高速貨物列車の運転に向けての足慣らしで、F型の513号機から517号機も東京発の寝台特急の運用に入りました。
じゃあ?関西から運転されていた寝台特急はどうだったのかというと、500番台のP型が担当したのは大阪と青森を結んでいた寝台特急日本海に、新大阪と宮崎を結んでいた寝台特急彗星、新大阪と西鹿児島、長崎を結んでいた寝台特急あかつき、同じく新大阪と西鹿児島そして佐世保を結んでいた寝台特急あかつき2・1号になりますが、これらの列車もヘッドマークがついていました。
それと、東京機関区に配属されていた500番台のP型が1971年の11月から少しの間ですが、上野発の寝台特急あけぼのの直流区間を担当していましたし、
下関と広島に配属されていた500番台のP型とF型は、1972年の3月から10月の間にef58が20系を牽引するための工事をする関係で、寝台特急日本海と彗星、あかつきを担当してみたり、1975年の1月から3月のダイヤ改正まで、広島に配属されていた500番台のF型が米原に移動し、3月のダイヤ改正の直前まで米原に配属されていたef58が担当していた寝台特急彗星の代走を務めたこともありましたから、
こうしてみますと、500番台のP型とF型はとにかく寝台特急との縁が強かったということになります。
●ef65 500番台のf型は高速貨物専用車として作られた車両だった。
引用先 http://ef58176.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/blue-blue-st-11.html
ef65 500番台の中で寝台特急を担当したP型と対照的なのがF型のグループで、F型は高速貨物列車を担当するために作られた車両で、どんな列車を担当したかというと、
ef66が出てくるまでコキ10000系で編成されたコンテナ列車に、博多港と大阪市場駅との間で運転されていた鮮魚特急貨物列車のぎんりんに、長崎港と東京市場駅との間で運転されていた鮮魚特急列車のとびうおを担当していましたが、この二つの鮮魚特急列車はレサ10000とレムフ10000で編成され、さらにef65 500番台の中でF型が重連運転で担当していたということでありますが、
この時がef65 500番台のF型が一番輝いていた時代になりますが、その後、ef66が登場したことでこの役目も解かれて一般の貨物列車の運用に入りますが、この辺はP型が1000番台に移行したのちと同じこととなりましたが、ef65 500番台はP型もF型もどちらかといえば不運な車両だったのではないでしょうか。