引用先 https://www.kanorail.com/EF65_500/EF65500.htm
ef65 500番台のf型は不運な電気機関車であったことは知られていますが、なぜ?不運だったのかその理由は何だったんでしょうか?
●ef65 500番台のf型は高速貨物専用機だった。
引用先 http://ef58176.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/blue-blue-st-11.html
ef65 500番台のf型は貨物用のでありましたが、ef65 500番台のf型も何かと不運な車輌でありましたが、ef65 500番台のf型は、最高速度100キロで運転される高速貨物列車のために作られた車輌で、
番号で行けば513号機~517号機、518号機~526号機、532号機~534号機までで、旅客用のP型との違いは、F型は重連運転ができるようにジャンパー栓などがスカートについているという点が、旅客用のP型との一番の違いになります。
そうしたこともあって落成した当初は、東京発の寝台特急で足慣らしをしてから、高速貨物列車の運用に入りましたが、落成した当初は東京機関区に配属され、その後吹田第二機関区にすべてのf型が集結して、100キロで運転される高速貨物列車の運用を担当することになりましたが、
なぜ?100キロで運転される高速貨物列車が作られたかというと、ef65 500番台のf型が登場した当時ですが国鉄の貨物列車はトラック輸送に徐々に押されてきました。
それに対抗するために100キロで運転できる高速貨物列車の運転が始まりましたが、この辺は昨今問題となっているトラックドライバーの2024年問題と絡んでいるのではないでしょうか。そういう意味でも、その当時の国鉄もすでに将来の貨物輸送に対して不安を感じていたのではないでしょうか。
そうした最中に、100キロで運転できる高速貨物列車が登場しましたが、その当時、一番の注目の列車は東京市場駅と長崎港の間で運転されていた鮮魚特急列車のとびうお号で、鮮魚特急列車とびうお号はレサ10000系で編成され、九州で水揚げされた魚や広島で採れたカキなどを積んで東京市場駅に向かう列車でありましたが、
とびうお号はef65 500番台のf型が下関から東京市場駅までの区間を担当していましたが、下関から姫路までが単機で、姫路から先が重連運転の運用になっていました。
そして折り返しの空になった列車は吹田まで重連で、吹田から下関のでは単機で担当していましたが、この場合、一部の区間で重連運転でありましたから、機関車の運転効率も悪かったということで、それならば新たな機関車をということで作られたのが、ef66でした。
ef66も最初は試作機のef90として落成し、試験走行などをして問題点を洗い出して量産車が作られるようになったということで、ef65 500番台のf型は高速貨物列車の運用から解かれました。
引用先 https://www.kanorail.com/EF65_500/EF65500.htm
高速貨物列車の運用から解かれたef65 500番台のf型は、今度は新鶴見機関区に17両が移動しました。
そして東北本線で運転が始まった高速貨物列車のほっかいを重連運転で担当したり、上越線での貨物列車の運用も加わりましたが、ここでの運用も長くなく、
その後、ef65 1000番台のpf型が出てきた関係で、再び活躍の場を失いましたが、ef65 500番台のf型は、当初の計画通りには使われないままに、あちこちを移動しなければならなかったというのですから、この点だけで見てもef65 500番台のf型は、本当に不運としか言いようがありません。
●ef65 500番台のf型は最後は高崎機関区で終焉を迎えた。
引用先 https://blog.goo.ne.jp/antonrokuichi/e/e19ddcc9be6bb58dd07c505ab71cc38d
ef65 500番台のf型は、国鉄からJRに移行する際に17台すべてが、高崎第二機関区へと移動し、首都圏での貨物列車の運用に入っていました。
その後、国鉄からJR貨物に移行したのち、高崎第二機関区が高崎機関区へと変わり、引き続き首都圏の貨物の運用を担当していましたが、晩年のef65 500番台のf型も車齢が高い関係で、更新工事を受けた関係で車体の色も特急色から1次更新色にすべての車両が変わった末に終焉を迎えましたが、
引用先 http://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/ef65-500_takaki.html
ef65 500番台のf型は、ライバル機の登場で活躍の場を失っていく羽目に遭うなど、本当に不運な機関車でありましたが、それでも一時期は寝台特急などでも活躍していたということもありましたが、どちらかといえば貨物列車での活躍の場が目立っていました。