本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

ef81 300番台は関門トンネルのために作られた車両。

 

 


引用先 https://blog.goo.ne.jp/terunao920/e/4cb61702a4081b040cf365e30c44f333

 

ef81で300番台の車両はどんな目的で作られたのでしょうか?

 

 

ef81 300番台は関門トンネルのために作られた車両だった。

 

 


引用先 https://www.pinterest.jp/pin/673217844279255489/

 

今後、その動向が注目されている機関車の一つであるef81形ですが、

 

その中でも銀釜とも呼ばれている303号機については特に注目度の高い車両ということでも知られていますが、

 

そもそもef81 300番台が作られたその理由はというと、

 

それまで活躍していたef30形電気機関車の増備ということで昭和48年から昭和49年にかけて日立製作所で作られたというのですが、

 

今考えてみたら、この当時の門司と下関の間ですが貨物列車はもちろんのことですが東京から来る寝台特急や新大阪発の寝台特急に、

 

長距離の急行列車も運転されていましたし、汐留と九州を結ぶ荷物列車も運転されていたというのですから、

 

それであれば門司機関区に配属されていた22台のef30形電気機関車だけでは足りなかったということになりますね。

 

そこで新たにと増備されたのがef81 300番台になりますが、ef81 300番台の特徴といえば何はなくても塩害対策のため車体外板がステンレス製になったということで、

 

それが今日、303号機が銀釜とも呼ばれている理由であります。

 

ef81 300番台が一番輝いたときはブルートレインを担当していた時。

 

 



引用先 https://circle.kyoto-np.jp/train/20210104/3733.html


ef81 300番台といえば一番華やかだった運用はというと、

 

何はなくてもブルートレインを担当してたころではないでしょうか。

 


ef81 300番台が門司機関区に配備されていた当初ですが、同じ門司機関区に配属されていたef30とともにブルートレインも牽引していましたが、

 

その当時はまだ20系時代ということもありますがそれでも東京と九州を結ぶ寝台特急あさかぜに富士、はやぶさもありましたし、

 

寝台特急みずほやさくらについては年代的には14系に移行していたという時期ではないでしょうか。

 

その他にも新大阪発の寝台特急彗星にあかつき、明星と本当に数多くの寝台特急がその当時、関門トンネルを抜けて九州に向かっていたというのですから、今では考えられない光景であったということになりますが、


実際に撮影された画像がありましたが、

 

 

 

 


引用先 http://b767-281.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/198111-2-ef81-5.html

 


画像はef58寝台特急彗星を引いて下関駅に到着して、それからまだ銀色だったef81 301と交代する場面になりますが、


この当時ですが関門トンネルを担当していたef81 300番台もそうですし、ef30に門司から博多や九州各地へと寝台特急を担当したed76等にはヘッドマークがついていない時代でありました。

 

 

ef81 300番台は普通列車や荷物列車でも活躍していた。

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/terunao920/e/4cb61702a4081b040cf365e30c44f333

 

門司機関区に配属されたef81 300番台ですが、寝台特急以外にもef30とともに共通の運用で門司と下関の間で運転されていた旧型客車や50系の客車で編成された普通列車も担当していましたが、


この運用についてもef30との共通運用でありましたが、

 

実際にef81 304号機が50系の客車で編成された普通列車を担当した写真がありました。

 

 

引用先 http://b767-281.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/198111-2-ef81-8.html

 

じゃあ?今も現役で活躍している銀釜ことef81 303号機はどうだったのかというと、


国鉄時代にはef81 303号機も門司から下関の間で旧型客車による普通列車の運用にも入りましたが、


実際に運用に入ったときの記録が鉄道ジャーナル別冊38の懐かしの国鉄客車列車最長距離ドン行824列車の中鉄道ジャーナルのスタッフが1981年の10月13日に取材した日に門司から下関の区間を担当していましたが、


門司発福知山行きの824列車については日本一長い普通列車ということで、門司を5時22分に出発し終点の福知山には23時51分に到着するということですが、

 

今考えたらよくこんな列車も運転することができたということになりますが、

 

その当時の山陰本線であればこの手の普通列車は当たり前のように運転されていたというのですから、

 

それであれば、門司と下関の間にef81 300番台も運用に入るのも当然の流れになります。

 

あと、ef81 300番台については汐留からやってくる急行荷物列車の東小倉までの区間も担当していましたが、

 

 

引用先 http://b767-281.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/198111-2-ef81-8.html

 

この運用についてもef30との共通運用でありましたが、かつては銀釜ことef81 303号機もこの運用にも入っていましたが、

 

門司に配属されたef81 300番台については台数も少なかったということで貨物よりも旅客列車などの運用に用いられたということになりますが、

 

今考えてみたら銀釜ことef81 303号機もそうした時代があったということになります。