本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

キハ52の軌跡を辿る: 急行列車で輝いた存在感 ローカル線だからできた運用。





引用先 https://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/52-db83.html

 

キハ52にも急行の運用にも充てられていましたが、なぜ?そのようなことになったのでしょうか?

 

 

 

 

 


キハ52が急行の運用に充てられたそもそもの理由は?

 

 

 


引用先 https://raillab.jp/photo/100604

 

キハ52が急行に充てられたそもそもの理由は、ローカル線を起点とする急行列車には普通列車で使われている車両が使われていましたが、なぜ?ローカル線の急行列車に普通列車でも使われている車両が充てられたかというと、

 

輸送力も極端に多くないということありましたし、本線などで運転されている急行にはキハ58を使っていましたからそうした流れでローカル線で運転されている急行は、キハ20などが充てられていましたが、

 

この手のケースとしては、今は廃線となった伊紋別から昭和新山を迂回する形で倶知安までを結んでいた胆振線で運転されていた急行いぶりがありましたが、

 

急行いぶりは、キハ22が急行に使われていた列車ということでも有名で、さらに札幌発札幌着という循環急行時計回り、反時計回りの2つのコースで運転されていたということでも知られていますが、

 

急行いぶりも、胆振線という輸送力の少ない路線を走るということでキハ22が使われていましたが、本州のローカル線でも似たようなケースもありました。

 

 

キハ52の急行といえばいなわしろが有名だった。

 



引用先 https://yasuziro.blog.fc2.com/blog-entry-1286.html

 

キハ52が急行に使われたケースとして有名なのが、只見線で運転されていた急行いなわしろすが、急行いなわしろ只見線区間普通列車として運転され、只見線を抜けると今度は急行に変わるというのですから、

 

この辺もローカル線での運転を前提しているからこそ、普通列車から急行に変わる設定になっていましたが、只見線で急行いなわしろに使われていた車両は、国鉄色と呼ばれた朱色とクリームの塗装の車両で、急行いなわしろの運転が終ったのち、今度はキハ52で有名な木次線で活躍していました。

 

 

 

キハ52が急行いなわしろよりも前に使われていた。

 

 

引用先 https://www.kanorail.com/DC_local/kiha20kei.htm

 

キハ52が担当した急行ですが、急行いなわしろよりもはるか前に、急行からくにとして運転されていましたが、急行からくには昭和37年の2月15日から運転が始まりましたが最初は準急として運転され、その後急行になりました。

 

急行からくには、宮崎と博多を結んで運転されていた急行えびのに増結される形で宮崎と出水を結ぶ形で運転されていましたが、急行になってからは、出水から吉松の間を普通列車で運転したこともあれば、快速列車としても運転されていたという経歴を持つ列車でありますが、

 

キハ52が急行列車の車両として使われたのはこの2例だけとなりますが、キハ52が急行に使われたのにはそれなりの理由があったということでありました。