本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

ディーゼルカーのレアケース: 混合列車で活躍したキハ52の路線はどこか?

 

 

 



引用先 https://www.kanorail.com/DC_local/kiha20kei.htm

 

キハ52に関する話として混合列車も担当したという話がありますが、実際に運転された路線はどこだったのでしょうか?

 

 

 

 


キハ52が混合列車を担当したその理由は?

 

 

 


引用先 https://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/52-db83.html

 

キハ52が混合列車を担当した理由は、これまで蒸気機関車で運転されていた混合列車が、無煙化による蒸気機関車が廃止となった関係で、キハ52が担当することになりましたが、ディーゼルカーが担当した混合列車は、本当にわずかな例しか存在しなかったというのですから、逆に言えばディーゼルカーが担当した混合列車は、本当にレアなケースでありました。

 

 

キハ52が実際に混合列車を担当した川俣線の場合は?

 

 

 

引用先 https://ameblo.jp/cavacho/entry-12592969187.html


キハ52が実際に混合列車を担当した路線の一つが、福島県福島市の松川駅と伊達郡川俣町の岩代川俣駅までを結んでいた川俣線でしたが、川俣線は今は廃線となりましたが、川俣線といえばc12がスハニ35と数両の貨車を連結した混合列車が運転されていた路線としても有名ですが、

 

スハニ35は元々特急つばめなどで使われていた車両ですが、晩年は川俣線でも使われていたというのですから、あれだけ特急つばめで活躍した車両が晩年は、ローカル線での運用に使われていたというのも皮肉なものではないでしょうか。

 

そして1966年の10月からはディーゼルカーに変わり、その際にこれまで使われていたスハニ35の代わりをキハ52が務めるということとなった関係で、


ディーゼルカーが貨車を引く混合列車となりましたが、ただディーゼルカーになってからもけん引できる貨車については1~2両程度になりましたが、その理由は連結器の強度の関係であったと言われています。


ちなみに川俣線で使われていたスハニ35もその後、荷物車にマニ35 200番台に改造されましたが荷物車としても使い勝手が悪かったということで、最後は救援車のスエ31になり果てました。

 


キハ52が実際に混合列車を担当した宮之城線の場合は?

 

 


引用先 https://c5557.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/index.html

 


あと、キハ52が混合列車を担当した路線は、鹿児島県の川内~薩摩大口間を結ぶ宮之城線でもキハ52による混合列車が運転されていましたが、宮之城線もすでに廃線となってからかなりの年数が経過していますが、


なぜ ?宮之城線でキハ52が川俣線と同様に混合列車を担当したのかというと、貨物列車を担当するための機関車が配属されていなかったという理由でありましたが、

 

この辺は、川俣線が無煙化後にディーゼルカーに移行したのと似ているのではないでしょうか。

 

キハ52による混合列車の例についてはこの二つの路線だけでしたが、実際にディーゼルカーが混合列車を担当する場合は、貨車の数も制限されてしまいますから、逆に言えばディーゼルカーの混合列車は運転が、しにくかったということではないでしょうか。