引用先 https://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/52-db83.html
キハ52にもいろいろなカラーリングをした車両も多数ありましたが、JR東日本エリアどんな車両があったのでしょうか。
●キハ52の色といえば。
キハ52で使われた色といえば、国鉄時代のオレンジ色と肌色のツートンカラー(クリーム色4号+朱色4号)の国鉄標準色がよく知られていますが、
引用先 https://raillab.jp/photo/97259
このカラーリングは、只見線で運転されていた急行いなわしろに使う車両で最後まで使われていましたし、さらに木次線で使われていたキハ52128は、JRになってからもこのカラーリングで活躍していたということでも知られていますし、定期運航から離れたいすみ鉄道のキハ52125もこのカラーリングで運転されていましたし、
晩年には日本各地のディーゼルカーで見かけることになったたらこ色もありますが、この二つの色が国鉄時代にキハ52で見かけることができた色になります。
●キハ52で見かけることができた東北地方の色とは?
キハ52は、国鉄からJRに引き継がれてからもJR東日本エリアで使われていましたが、その中でも東北地区で使われていた車両についてはいろいろな塗装の車両もありました。
・盛岡暫定色
東北管内の盛岡に在籍した車両は、最初は盛岡暫定色と呼ばれるカラーリングになりましたが、
引用先 http://mm12121975.tea-nifty.com/blog/2010/09/52-5028.html
盛岡暫定色は従来のたらこ色に白帯を巻いただけの姿で、キハ20系やキハ40系でも見かけることができた色で、それからしばらくして白ベースに赤帯が巻かれたカラーリングの盛岡色に変わりましたが、
引用先 http://ssrweb.cocolog-nifty.com/rweb/2007/11/58_7480.html
キハ52154は最後まで盛岡色のままで、他のキハ52は前面の部分も赤く塗装した赤鬼と呼ばれるこんな感じになりました。
引用先 http://www12.plala.or.jp/dc52/dc52/dc52152.html
盛岡支社で使われていたキハ52ですが、どこの路線で使われていたかというと、今は廃線となった岩泉線と三陸鉄道に移行した山田線でも使われていましたが、盛岡支社で使われたキハ52は晩年は防寒対策で、これまでの2段窓から1段窓に変わった点が一番のポイントになります。
引用先 https://www.mid-9.com/1m-microace/h-5-009.htm
JR東日本管内で活躍したキハ52には、クリーム色と緑に上下二分割され、中心に濃緑のラインが入る塗装の車両もあり、このカラーリングの車両は、JR東日本の小牛田運輸区・郡山総合車両センター会津若松派出所に所属するキハ52だけに見られたカラーリングで、只見線と石巻線・気仙沼線系統で見かけることができましたが、盛岡支社のキハ52とは違い窓が原型の2段窓のままでした。
キハ52には新潟地区と飯山線でも活躍していましたが、この二つの路線で使われていたキハ52は、キハ58などと同じく複雑な塗装の車両だったということでも有名でした。
・新潟色
引用先 https://ks-kaz2.hatenablog.jp/entry/7685957
新潟地区で活躍したキハ52といえば、何はなくても新潟色の車両が有名ですが、新潟色は国鉄が分割民営化する前の年から115系1000番台で採用された色で、日本海の海の色であると青と新潟の県花でもある雪椿を表した赤の帯を配した塗装で、
その後の地域色のはしりでもあるということでも知られていますし、新潟地区で活躍したキハ40もこのカラーリングになりましたが、
ただ、新潟色は特に115系の先頭車のクハ115やキハ40は複雑な塗り分けということで、マスキングをしての塗装でありましたから、塗装を担当した現場の方達も大変だったのではないでしょうか。
新潟色のキハ52が活躍した路線はというと磐越西線や米坂線になります。
・飯山線色
引用先 https://kuromarukuromaru.blog.fc2.com/blog-entry-1196.html
新潟色と並んで複雑なカラーリングのキハ52は飯山線色ですが、このカラーリングも飯山線で活躍したキハ40でも使われましたが、飯山線色の特徴は青とアイボリーホワイトの塗装で、さらに正面と側面に橙・山吹色・黄の三色ストライプが入りますから、これも塗装を担当した現場の方達も大変だったのではないでしょうか。
さらに飯山線で使われたキハ52にもそうですが、キハ40も含めて車体にフランス語で友情の列車を表すVOITURE AMITIEという表記が入っていましたから、本当に飯山線で使われていた車両については現場泣かせの色分けでありましたが、
フランス語で友情の列車を表す VOITURE AMITIEという表記は95年頃まで見かけることができましたが、晩年は VOITURE AMITIEという表記を消してしまいましたが、飯山線色については塗り分けといい、フランス語の表記といい本当に現場泣かせの塗り分けでありましたから、実際に担当した工場の職員の方達も、マスキングなども大変だったのではないでしょうか。
●キハ52の塗装変更はときめきの恋列車から始まった。
JRに引き継がれたキハ52は路線ごとで様々な色がありましたが、その大本はというと、小海線で運転されていたときめきの恋列車に行き着きますが、
引用先 https://人生旅人.tokyo/?p=414
ときめきの恋列車は、国鉄時代の86年の夏からJR後の1990年まで夏の間、小淵沢から小諸そして軽井沢の間で運転され、さらに定期列車としても使われていた車輌で、車体には山並みや気球のイラストが描かれていましたから、
この車両も本当に現場泣かせの塗装でありましたが、小海線で運転されていたときめきの恋列車が、あったからこそ、その後、JR東日本エリアでいろいろな色のキハ52が出てきたのではないでしょうか。