引用先 https://raillab.jp/photo/100604
キハ52は、JR西日本でも活躍した車両の一つになりますが、JR西日本ではどんな塗装の車両があったのでしょうか。
●氷見線と高山線で活躍したキハ52は今はいすみ鉄道で活躍していた。
キハ52で国内で残っている車両は、いすみ鉄道のキハ52だけとなりましたが、この車両ですが、JR西日本の高山線や氷見線、そして最後は大糸線で活躍しましたが現役時代のカラーリングは、
・氷見線
引用先 http://www12.plala.or.jp/dc52/dc52/dc52139.html
JR西日本管内で活躍したキハ52の中には氷見線で使われていた車両もありますが、どんな色の塗り分けかというと、白地に黄色と青の塗り分けで氷見線で、使われていたキハ58もこの塗り分けであったということはよく知られていますが、
ここで使われていたキハ52125は、その後、大糸線に移動し、横須賀色となり、最後はいすみ鉄道へと移動し、かつての国鉄色の塗り分けで活躍していました。
・高山色
引用先 https://www.flickr.com/photos/japanrail/5945496831
高山色は、JR西日本の高山線で使われていたキハ58で見かけることが、できたカラーリングで、唯一キハ52125が高山色の車輌でもありましたし、キハ52125は氷見線では氷見線色、大糸線では横須賀色となり、いすみ鉄道でも国鉄の標準色からたらこ色となった末に再び国鉄色になりましたが、キハ52125はいろいろな塗装を経験してきた車両でした。
キハ52が最後にJRの路線で活躍したのが大糸線で、ここで活躍した車両もいろいろな塗装のばかりでありましたがどんな色があったのかいうと、
・国鉄標準色のキハ52115
引用先 http://www12.plala.or.jp/dc52/dc52/dc52115.html
をはじめとして、
・横須賀色のキハ52125
引用先 https://www.kanorail.com/DC_local/kiha20kei.htm
・たらこ色のキハ52156
引用先 https://blog.goo.ne.jp/makikyu/e/e6f0b890210452acf694646e26e45dca
の3色が有名ですが、
国鉄色のキハ52はJR東日本でも復活しましたが、JR東日本のキハ52は防寒対策で窓が1段窓になりましたが、大糸線で使われたキハ52は2段窓のままでありましたが、唯一足回りがグレーで、トイレが撤去されている点などがJR東日本で復活したキハ52との違いになります。
引用先 http://kawayu449.blog.fc2.com/blog-entry-1228.html?sp
なぜ?越美北線色のキハ52が大糸線にいたかというと、越美北線にキハ120が導入されたことで、これまで使われていたキハ52が大糸線に移動しましたが、大糸線に残ったキハ52は、国鉄の標準色と横須賀色、そしてたらこ色へと塗り替えられたということになりました。
木次線といえば、東の小海線と並んでキハ52が活躍した路線ということでも知られていますが、木次線で活躍したキハ52といえば、JRになってからも引き続き国鉄時代の標準色のままで活躍したキハ52128が良く知られていますが、
引用先 http://kokutetsushoku.main.jp/2omoideshashinkan/1990/52128/52128.html
木次線のキハ52128は、大糸線で国鉄色のキハ52が復活するまでは、原形のままで活躍していたということでも有名でしたし、他にも木次線のキハ52にはヤマタノオロチ塗装のキハ52651も有名な車両でありますが、
ヤマタノオロチ塗装のキハ52651は一癖もある車両で、
引用先 https://raillab.jp/photo/94324
国鉄時代には簡易郵便・荷物車として改造された車輌で、座席の一部がロングシートで、仕切り用のアコーディオンカーテンがついていましたし、
さらにキハ52651は簡易お座敷仕様になるというのですから、車体のカラーリングと同様に車内についても個性的な造りになっていた車両ですが、この車両もイラストなどが入っていただけに塗装を担当した工場の職員の方達も、大変な作業をしていたのではないでしょうか。
JR西日本で活躍したキハ52は最後は大糸線だけとなりましたが、それでも現役時代には、いろいろな塗装のキハ52が存在していました。