引用先 https://ameblo.jp/ak7193907/entry-12632244455.html
ef58が現役時代の頃になりますが、貨物列車の運用にも入っていましたが、それがいつでどこだったのでしょうか。
●ef58で竜華機関区の車両が貨物列車に使われていた。
引用先 http://mahoroba.kir.jp/sepia/hanwa.htm
竜華機関区のef58は紀勢本線で活躍していましたが、その中でも大窓でつらら切りのついた66号機は人気が高く、引退寸前にはヘッドライトがシールドビームから原型に戻ったということで、さらに人気が高くなり、しばらくしたのちに引退しましたが、
実は阪和線でef58が貨物列車の運用に入っていましたが、なぜ?貨物列車にef58が入った理由は、阪和線も大都市圏の通勤路線である関係で、通勤列車の合間を縫うようにして貨物列車も運転されていたということで、
高速運転ができる機関車が必要だった関係で、ef58が貨物列車の運用に入っていましたが、ef58が貨物列車の運用に入る前は、国産の大型電気機関車として最初に作られたef52がその役目を担っていましたが、
1975年に下関や広島で余剰となったef58が竜華機関区に転属したことで、ef52は運用離脱し、廃車となりましたが、ef58が阪和線で担当していた貨物列車も1978年に紀勢本線が電化されたことで、広島や新鶴見、高崎第二機関区からef15が転属した関係で、阪和線での貨物列車の運用を解かれましたが、阪和線時代には、雄ノ山峠越えでef58が重連で貨物列車を担当したり、ed60やed61、ef15と組み合わせでの重連運転もありましたが、これもef15が増備された関係で竜華機関区のef58は貨物列車や補機仕業の運用が終了しました。
●ef58で浜松機関区の車両も貨物列車の運用に入っていた。
引用先 https://ameblo.jp/ak7193907/entry-12619713790.html
ef58で東海道本線の拠点の一つでもあった浜松機関区も、ef58が貨物列車を担当した機関区ですが、いつ頃担当していたのかというと、1966年頃になりますが区間貨物列車を担当していましたが、
ドキュメント感動の所在地の2巻のドキュメント感動の所在地思い出すままの233ページの御殿場線の余禄 天下の険への記事の中に撮影された写真が出てきていますが、撮影されたのが1966年の3月29日で、沼津で撮影されたものですが、この写真を撮影した方、椎橋俊之さんの父親の椎弘さんでこの日は浜松機関区のお召し予備機のef5860号機でありましたが、そうなると浜松機関区に配属されていた他のef58も区間運用の貨物列車にも入っていた可能性は十分にあります。
●ef58が担当した貨物列車はJRになってからも運転された。
引用先 https://kokutetsushoku.main.jp/1shashinkan/2007/igonana/igonana.html
ef58が担当した貨物列車は、JRになってからJR東海の飯田線でも運転されていましたが、その当時ですからそれこそ廃車後、復活したef58122や157号機ではないでしょうか。
それで積み荷は何だったのかというとレール輸送でありましたから、JR東海が所有していたチキ5200もしはチキ6000が使われたのではないでしょうか。