引用先 https://blog.goo.ne.jp/antonrokuichi/e/69da0b0d83dae2e4689ef6456d22d5e7
ef58は晩年、東海道・山陽本線の荷物列車で活躍していましたが、担当した機関区はどこで、実際に運転されていた編成はどんなものだったのでしょうか。
●ef58が担当した荷物列車を牽引した機関区はどこか?
●ef58 61も荷物列車の運用に入ることも稀にあった。
●ef58が担当した荷物列車で使われた車両は?
●ef58が担当した荷物列車の実際の編成。
●ef58が担当した荷物列車を牽引した機関区はどこか?
引用先 https://ozayo1965.blog.fc2.com/blog-entry-468.html
ef58が晩年に担当した荷物列車は、時間帯によっては日中走るということで、蒸気機関車が引退後の被写体として人気がありました。ef58が担当した東海道本線や山陽本線で担当した荷物列車で活躍したef58は、浜松、米原、宮原、広島などの機関区が担当していましたが、
実際に荷物列車を担当した宮原機関区のef58は原型の小窓の車両も多く今は京都鉄道博物館に保存されている150号機もその一つでした。米原はツララ切りつきで側面が7つ窓の36号機もいましたし、宮原同様に小窓の美しいef58もいましたし、浜松機関区もef58 1号機を筆頭にお召し予備機のef58 60号機もいましたが、晩年になると原形小窓や大窓のef58が減り、運転台の窓がHゴム化されたef58が多くなりました。
あと、九州から汐留に向かう荷物列車はセノハチ越でef59が補機について峠越えに挑んでいました。
そして1984年の2月のダイヤ改正で、ef58からef62に変わる関係で一時期、下関運転所に東京、浜松や米原、宮原のef58が集結しましたが、その中に側面7つ窓の変形機の36号機もあり、荷物列車がef62に変わるまで活躍していました。
●ef58 61も荷物列車の運用に入ることも稀にあった。
引用先 https://aucfree.com/items/f480466929
荷物列車はef58が晩年担当した東海道本線を走る列車の中でも人気がありましたが、お召し指定機のef58 61号機は荷物列車の運用に入ったことはあるのかというと、浜松機関区のef58が台枠検査で入場した際に、代走でef58 61号機が汐留を出発する荷物列車の運用に入ることもありましたが、
実際に撮影した方もいますが、ただ、ef58 61号機が荷物列車に入るということはなかなかなくて撮影できた方もどこから情報を手に入れて撮影できたものですから、ef58 61号機が担当した荷物列車は撮影の難易度も高かったということでした。
●ef58が担当した荷物列車で使われた車両は?
引用先 http://www.kanorail.com/EF58/EF58_6299.htm
ef58が担当していた荷物列車で使われていた車両は、1984年の2月のダイヤ改正で蒸気暖房仕様の車両は運用離脱、廃車となり、わずかに電気暖房仕様のマニ36が残りましたが、それ以前は、マニ35、マニ36、マニ37にマニ60、マニ61が当たり前のように使われていましたが、特にマニ36は元になった車両が並ロや特ロと呼ばれた優等客車から改造されたもの、オハ35などの普通車から改造されたものなど同じ車両でありながらも、細かい違いが出ていたバリエーションが多かったことでも知られていました。
郵便車は、区分式のオユ10とオユ11、オユ14。護送式はオユ12にスユ15。
パレット式の車両はスニ40にスユ44、ワキ8000、これに北陸方面に向かうスニ41もありましたし、ワサフ8000も使われていました。
東海道、山陽本線で運転されていた荷物列車ですが、晩年になるとマニ50とマニ44が主力となりましたが、列車によってはスユニ50も連結されていましたし、日銀が所有した初代のマニ30と二代目マニ30もイレギュラーですが連結されることがありましたが、その場合、積み荷がない時は列車の中間に、逆に積み荷がある時は荷物列車の最後部に連結されていました。
●ef58が担当した荷物列車の実際の編成。
引用先 https://trackway.exblog.jp/23411376/
ef58が担当した荷物列車で有名なのが、汐留から名古屋までを15両編成で運転されていた荷35レで、荷35レは汐留から名古屋までがef58の重連で、前が宮原で後ろが浜松という組み合わせで、宮原機関区のef58は急行銀河で上京して折り返し荷35レの運用に入る形になっていました。
そういうこともあり、宮原機関区の原型のつらら切りがついた47号機が運用に入ることもありましたし、浜松のef58ではef58 53号機も入ることもあり、場合によっては原形の大窓同士の車両での重連運転ということもありましたし、お召し予備機の60号機も入ることもありました。
ef58の重連で人気の高い荷35レの編成は次のようになります。進行方向大阪側から順にマニ36とマニ60もしくはマニ61で8両ですが、前8両は隅田川をef15がけん引してきて品川駅で増結されれます。
そして9号から15号車までは、ワキ8000、オユ12、オユ14、スユ44、マニ60、マニ36、スニ41となりますが、荷35レは15両編成でありましたから、東海道本線や山陽本線で運転されていた荷物列車の中では一番長い編成でありました。
あと、鉄道ジャーナルの1978年の8月号に汐留から京都まで鉄道ジャーナルの取材チームか乗り込んだ急荷33レの編成の記録が出てきていますが、どんな編成だったかというと、鉄道ジャーナルの取材チームが乗車した日付が1978年の5月15日で、この日の編成は浜松機関区のef5867号機が担当し、
進行方向大阪側から順番に、ワキ8000、マニ60、マニ50×2、マニ30、オユ12、オユ11、スニ40×2、マニ36、マニ50×2、マニ37でありました。
この日、急荷33レを担当した浜松機関区のef58 67号機はつらら切り付きで運転台の窓がHゴム黒の車両でありましたが、イレギュラーでマニ30が連結されていましたが、積み荷がなかったということで、急荷33レに連結されて九州まで廃札や古札を回収するために連結されたのではないでしょうか。
それと1984年の2月のダイヤ改正以降はというと、
急荷35レの場合だと、大阪側から順にマニ44、ワキ8000、スユ15、スユ44、マニ、ワキ8000、ワサフ8000×2、マニ44となりますが、このうち2号車と6~7号車はマニ44と共通で、マニはマニ50もしくはマニ36の電気暖房車になります。
同じく急荷37レはマニ44×2、スユ15、オユ14、ワキ8000×2、マニ×2、マニ44となりますが急荷37レはこの当時運転されていた東海道本線を走る荷物列車では珍しく区分式の郵便車を連結していましたし、オユ14はオユ10との共通運用で、マニはマニ50または電気暖房仕様のマニ36になりますが、機関車がef62へと移行する時期でありますが、まだマニ36も使われていましたが、これも今となっては昔話の世界となりました。