引用先 https://mainichi.jp/articles/20221001/ddl/k14/040/111000c
ef58が旧型客車や20系で編成された寝台特急を担当したのはいつで、最後はいつだったのでしょうか。
●ef58が最初に担当した寝台特急はあさかぜだった。
引用先 http://www.fossil-net.com/JNR/asakaze.htm
ef58も寝台特急との縁がある車両の一つですが、ef58が寝台特急を担当したのが、1956年11月19日から運転が始まった寝台特急あさかぜがef58が最初に担当した寝台特急ですが、まだこの当時は東京から九州に向かう際は、長距離を走る急行列車しかなくて、東京から博多まで丸1日を要しますから、かねてから東京と九州を結ぶ特急を運転してほしいとの要望がありましたが、その場合、大阪はどうするのかという問題があり、大阪を深夜に停車するという時刻でこの問題を解決しましたが、
1956年11月19日が始まったころの寝台特急あさかぜの編成は、オハニ36 ナハネ10×3、ナハ10、ナハフ10、マシ35、スロ54、マロネ40、マロネフ29という編成で、見方を変えますとその当時運転されていた東京と九州を結ぶ長距離の急行と対して変わらない編成ですが、寝台特急あさかぜの方が全体的に短くなっています。
そして旧型客車時代の東京と九州を結ぶ寝台特急は、1957年7月20日に寝台特急あさかぜを補完する目的で、臨時寝台特急さちかぜが運転され、10月のダイヤ改正で定期列車に昇格しましたが、その時の編成は次のようになります。
マロネフ29、マロネ40、スロ54、ナハネ10×2、マシ38、ナハ10×3、ナハフ10
寝台特急さちかぜは1958年の10月のダイヤ改正で平和に改名され、新たに東京と鹿児島を結ぶ寝台特急はやぶさも新設されました。その関係で東京と鹿児島を2日で運転していた急行さつまが、九州だけで運転される急行に変わりました。
ef58が担当した寝台特急は20系が登場してから不定期で運転されるようになった寝台特急みずほもありましたが、寝台特急みずほは1961年の10月のダイヤ改正で当初は不定期の寝台特急として運転されていましたが、運転が始まった当初の寝台特急みずほの編成は、次のようになりますが、旧型客車や軽量客車による寄せ集めの編成でした。
スハフ43、オロネ10、ナロ10、ナハネ11×2スハフ43、オハネ17×5、スハフ43
旧型客車時代の寝台特急あさかぜやはやぶさ、さちかぜですがef58は茶色や青大将の機関車が担当していました。
●ef58は青大将の車両が20系の寝台特急でも活躍した。
引用先 http://www.fossil-net.com/JNR/hayabusa.htm
東京と九州を結ぶ寝台特急ですが、20系に移行してからはあさかぜは茶色のef58が担当していましたが、寝台特急さくらは、青大将のef58が使われていましたが、
鉄道ファン1984年12月号の国鉄の檜舞台 東京駅の名優の49ページの上の方に青大将のef58が20系の寝台特急さくらを担当していた頃の写真が出てきていますが、撮影されたのが1960年の6月で、この年の10月に特急色のef58が登場しました。
●ef58で特急色が担当した九州行きの寝台特急は?
引用先 https://blog.goo.ne.jp/terunao920/e/ae6e698ebaf3527675a15849f5ad74d0
ef58で特急色の車両が登場したのが、1960年10月のダイヤ改正で寝台特急はやぶさが旧型客車の編成から20系に変わった関係で、東京機関区、宮原機関区の20両のef58が担当し、寝台特急あさかぜにさくら、はやぶさを担当し、1963年の6月から寝台特急みずほが20系となり、1963年の12月にef60 500番台に変わるまで担当していましたが、
20系のあさかぜは茶色のef58も使われていましたが、国鉄時代Vol.25の41ページの下に茶色のef58 99号機が引く寝台特急あさかぜの写真が出てきていますが、なぜ?寝台特急あさかぜに茶色のef58がつかわれていたか、その理由は寝台特急はやぶさやみずほはカニ22を連結していた関係で、ef58の特急色の車両が優先的に使われていましたが、
その理由はef58の特急色の車両にカニ22のパンタグラフを操作するスイッチがついている関係でしたが、寝台特急あさかぜはカニ21が使われていた関係で、茶色のef58でも運転することができたということでしたが、たかだか電源車がカニ21か22かで機関車を区別していたのかということですが、その当時はそれが当たり前でした。