本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

関門トンネルの主だったef30とはそもそもどんな機関車だったのか?

 

 

引用先 http://ef586169.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-27a946.html

 

ef30は関門トンネルで長年活躍してきた電気機関車でしたが、どんな車両だったのでしょうか。

 

 

 

 

ef30は関門トンネルのために作られた車両だった。

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/34327

 

ef81400番台が登場するまで、関門トンネルで使われていたef30ですが引退するでずっと関門トンネル一筋で活躍してきた車両で、ef80と同じく国鉄が量産した本格的な交直流機になりますが、

 

ただ、ef80と同じく限られた場所でしか使われなかった車両になりますが、それでも関門トンネルには欠かせない存在の車両でありましたが、


今も本州と九州を結ぶ重要な役目を果たしている関門トンネルですがいつ開通したかというと1942年になりますから、太平洋戦争でいえばミッドウェー海戦やガ島の攻防があった年になりますが、その当時にすれば本当に画期的なことでありました。

 

それで関門トンネルですが、開通した当時からef30が登場するまでは、この区間については直流1,500Vで、戦前の代表的な貨物用の機関車であるef10がこの区間で貨物列車や客車で編成された普通列車京都と博多を結ぶ特急かもめ、東京と博多を結ぶ寝台特急あさかぜなどで活躍していましたが、

 

ef10が関門トンネルで使われていた時ですがステンレス製の車体を茶色に塗装していましたが、唯一24号機のみが無塗装の車体で活躍していましたし、

 

関門トンネルで使われていたef10についてはef30が門司に配備されると同時に入れ替わる形で首都圏に移動し、晩年は飯田線の南部での貨物輸送に活躍していました。

 

それで関門トンネルですが開通した当初から九州もまだ電化されていない時代で蒸気機関車が活躍していた時代でもありました。

 

そして1961年6月1日に鹿児島本線門司港から久留米間までが交流で電化された際ですが、門司駅構内も交流20,000V、周波数60Hzで電化されたということで、専用の電気機関車が必要になり、ef30が開発されたということになりますから、

 

ef30が開発された背景からもその当時の電化の事情がうかがえるということらなりますが、もし鹿児島本線門司港から久留米間の区間が直流だったらef10が引き続き活躍し、その後、別の後継機が出てきたとも考えることもできますね。

 

 


ef30は1号機と量産車は全くの別物だった。

 

引用先 http://www.lok.jp/prototyp/loco_el/61_3_30_.htm


関門トンネル用として作られたef30ですが、先行量産車の1号機と量産機の2から22号機については全く別物といっていいくらいに違う車輌でありますが、

 

どんな点が違うかというと、全長については1号機については17000mmに対して量産機の2から22号機については15700mm量産機の方が車体の全長が短いという点。


車体については1号機がコルゲート無しのステンレス製で、量産機についてはコルゲート付きのステンレス製であること。

 

さらに車体の窓配置も1号機は、運転台の後ろにある乗務員扉の後ろにヨロイ戸×2、採光窓、ヨロイ戸×2、採光窓、ヨロイ戸×2、採光窓、ヨロイ戸×2に対して、量産機はというと、乗務員扉の後ろから採光窓、ヨロイ戸×3、採光窓、ヨロイ戸×3、採光窓、となっているというのも、

 

1号機の方が全長が長かった分だけヨロイ戸が増えて、量産車については車体の全長が短い分だけヨロイ戸が減ったということになりますが、

 

ef30の1号機については先行量産車という位置づけの車両になりますから、量産車とはいろいろと異なる点もあるということになりますが、


同じ車両であってもこれだけ違いが出ているというところがef30の特徴ではないでしょうか。


そしてef30については交直流機ということで、屋根にガイシがたくさんついていましたが、これ、ef80も同じでしたが、この当時作られた交直流電気機関車については屋根がガイシなどがたくさんついていて当たり前でありましたが、

 

逆にef81が屋根がスッキリしているのもそれだけ車両を作る技術が進んだ結果でありました。


ef30はブルートレインから貨物まで幅広く担当していた。

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/92029

 

現役時代のef30ですが登場してから引退するまでどんな列車を担当していたかというと、それこそその当時運転されていた様々な貨車で編成された車扱いの貨物列車はもちろんのことですが、

 

九州から出ていたレサ10000系で編成された高速の鮮魚輸送列車であったり、コキ10000系で編成されたコンテナ列車も担当していましたし、

 

門司と下関の間で運転されていた旧型客車による普通列車もあれば、

 

 

引用先 https://twitter.com/expresstokiwa/status/1422116459489095683

 

オハ50系で編成された普通列車もありましたが、

 

 


引用先 http://www.kanorail.com/EF30/EF30.htm


旧型客車で編成された普通列車といえば、門司発福知山行きの824列車もef30が担当していましたが、この列車については日本一長い普通列車としても有名な列車でありましたし、

 

もちろんブルートレインも担当していたということはよく知られていますが、

 



引用先 https://ks-kaz2.hatenablog.jp/entry/26014271

 

下関駅ではそれこそef60500番台やその後継機でもあるef65500番台もあれば、ef651000番台にef66それこそこ歴代のブルートレインを担当してきた機関車下関駅で交代していたというのですから、

 

 

ブルートレインが20系と呼ばれていた頃からずっとブルートレインの先頭になって門司までの区間を担当していたというのですが、

 

実際に担当したブルートレインについては東京発の寝台特急あさかぜにはやぶさ、富士にみずほそしてさくら、新大阪発の彗星に明星、あかつきとまあこれだけのブルートレインを担当していたというのですから、まさに寝台特急が一番輝いていた時代と重なるということになりますし、

 

それ以外にも関西発九州行きの旧型客車で編成された急行列車もあれば汐留と九州を結ぶ荷物列車も担当していましたが、

 

 


引用先 http://matti1741stst.seesaa.net/article/a65454951.html

 

荷物列車については東小倉まで担当していましたし、貨物列車についても重連で東小倉まで担当していました。

 

あと、晩年には東京と東小倉の間で運転されていたカートレインも担当していたということもありましたが、

 

 

引用先 https://ameblo.jp/7197013/entry-12442384753.html

 

その際には専用のヘッドマークも付けていましたし、さらに151系の特急電車で運転されていた特急つばめが昭和39年の10月より1往復が博多まで乗り入れるということで、

 

その際にも交流区間151系用の電源車であるサヤ420を連結して関門トンネルを通過していたというのですから、本当にef30ついては門司に配属されてから最後まで本当に華々しい活躍をしていたということになりますが、

 

これだけ様々な列車を担当していたというのですから、ef30については幸せな電気機関車ではなかったのではないでしょうか。