本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

学園都市線で活躍したキハ40 330番台とは?

 

 


引用先 https://blog.goo.ne.jp/komume1973/e/5d2b11348048cf3d67c9609658da6fe0


キハ40の中で学園都市線だけでしか見かけることができなかった330番台とはどんな車両だったのでしょうか?

 

 


キハ40 330番台は元急行宗谷で活躍していた車両だった。

 



引用先 https://www.torepa21.com/html/a-g99dc40ssho5e2.html


キハ40 330番台ですがどんな車両だったかというと、元をたどれば1988年11月3日のJR北海道ダイヤ改正で宗谷本線で運転されていた急行宗谷と天北に使われていた14系客車を置き換える目的で、

 

 

キハ40 100番台から改造された車両で、2000年の3月のダイヤ改正でこれまで急行として運転していた宗谷などで特急に格上げされたということで、余剰となった末に再び普通列車に使われるディーゼルカーに戻ったということになります。

 

 

ちなみにキハ40 100番台から改造された急行向けのキハ400については、急行向けに改造されてからは急行宗谷に天北、そして利尻と幅広く活躍したということはよく知られていますし、

 

 

さらに一部の車両がお座敷列車のキハ400 500番台にもなりました。

 

 

引用先 https://www.torepa21.com/html/a-g99d400naho1e2.html



 

キハ40 330番台が活躍していた学園都市線とはどんな路線か?

 

 

それでキハ40 330番台が活躍していた学園都市線とはどんな路線か?というと、元々学園都市線ですが最初は札幌と滝川の石狩沼田を結ぶ路線でありました、そういうこともあって学園都市線と呼ばれる前は、札沼線でありましたが、このうちの新戸津川と石狩沼田の区間については昭和47年に廃線となりました。

 

 

それで学園都市線についてですが、札幌を出て桑園に入りますが、それ以降北海道医療大学までの区間については札幌のベッドタウンとも呼ばれる場所で、

 

札幌市内からの大学の移転やさらに宅地の開発などもあり、通勤や通学で札幌に向かう人も増えたということもあり、これまでの農業の盛んな場所から大きく変貌した地域になります。

 

 

これに対して北海道医療大学から終点の新戸津川の間については田園区間を走るローカル線に変わるということでも知られていました。

 


そうしたこともあって、北海道医療大学から終点の新十津川の間は利用者も少なく、この区間廃線になるころはというと、一日一往復だけで、それも新十津川10:00発の列車が最終列車ということで、

 

日本一早い最終列車が運転されている区間としても有名でありましたが、この区間を利用する利用者が年々減ってきたということもあり、今から3年前の2020年の5月で廃止となりましたが、

 

ただ、この年ですが新型コロナが流行したことによって、本来ならば最終日に運転されるはずだった最終列車が運転されることなく、2020年の4月17日に新十津川を10時に出発した列車が最後の列車となりました。

 

 

それと学園都市線についてですが急行用のキハ400から改造されたキハ40 330番台以外にもワンマン運転対応のキハ40 700番台をエンジンの出力強化や冷房化、そして通勤向けとして改造したキハ40 300番台も活躍していましたし、

 

 

 

 

 


引用先 https://www.torepa21.com/html/a-cacdc40open1jg.html

 


さらに北海道医療大学から終点の新十津川の間向けに改造したキハ40 400番台

 

 



引用先 https://blog.railroad-traveler.info/entry/2021/06/09/195500

 


使われていましたし、オハ51系から改造したキハ141系

 

 



引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/100887


画像はまだ旧塗装時代で冷房化されていない頃のキハ141系になります。

 

 

あれば、キハ143形も使われていたということでも有名な路線でありました。

 

 



引用先 http://railsound.sakura.ne.jp/sndhtm/jr/jrn/dc140.html

 

キハ40 330番台で今も現存している車両もあった。

 

学園都市線の電化に伴い余剰となったキハ40 330番台はその後どうなったのかというと、今度はミャンマーに譲られた車両もありますが、

 

実は2両だけが苗穂工場の入れ替え用の車両として奇跡的に残っていますが、


番号はというと、キハ40 331とキハ40 336になりますが、なぜ?この2台だけが残ったのかというと、キハ40ですが両運転台ということもあり、まさに車両の入れ替えなどにも使えるということで、

 

 

苗穂工場での車両の入れ替えようとして残ったというのですから、キハ40 331とキハ40 336については本当に運のいい車両になりますが、今後も引き続き活躍していくかどうかという点だけが気になりますが、末永く活躍してもらいたいものであります。