本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

キハ20との違いを探る:キハ22は北海道向けに特化した車両だった。

 

 

 



引用先 https://www.kanorail.com/DC_local/kiha20kei.htm

 

 

キハ20系の一員のキハ22は北海道や東北地方でも一部の車両が活躍していましたが、キハ22とはどんな車両だったのでしょうか。

 

 

 

 


キハ22は北海道のために作られた車両だった。

 

 

 

引用先 https://tetsumaru.jp/user/81/photo/19751/


北海道や東北で活躍したキハ22は北海道向けに作られた車両で、キハ20とは別物といっていいくらいに車両の作りなども異なりますが、その理由は北海道の寒さが半端でないということで、これまで使われてきたキハ21ではまともに冬場の運転ができないということで作られた車両ですが、

 

キハ22の一つ前のキハ21ですが、キハ20の北海道向けの車両ですが、車体はキハ20の前期型と同じくバス窓で、デッキが車体の中央にありますが、本州などではそれでもいいかもしれませんが、北海道ではまともに使えない作りになっていました。

そうしたこともあってキハ22は、運転台の後ろに乗客用の扉がついていて、運転台と客室の間に仕切り板があるのも寒さ対策を強化していましたし、窓も小さく、さらに2重窓になっているのも寒さ対策の一環でありました。

 

 

この辺はその後、キハ45系のキハ24や46にキハ40 100番台などの北海道向けの車両にも取り入れられました。

 

 


キハ22は急行列車でも活躍していた。

 



引用先 https://railway-photo.hatenablog.com/entry/36866620

 

キハ22ですが、北海道のローカル線で運転されていた急行でもよく使われていましたが、その中でも有名なのが札幌発札幌行きの循環急行の急行いぶりですが、


急行いぶりの時計回りの列車は札幌を出発する際は、急行ちとせの豊浦編成に連結され、伊達紋別で切り離し単行で胆振線を走破したのち、倶知安で急行らいでんに連結され札幌に向かうというルートで運転されていましたが、

 

 

逆に反時計回りの場合はというと急行らいでんで倶知安に到着後、切り離されてから胆振線を走破して急行ちとせに連結されて、札幌へと向かうというルートで運転されていましたが、もし今の時代に胆振線が残っていて急行いぶりも運転されていたら面白い旅行ができたのではないでしょうか。

 

それとキハ22が急行で使われたケースは留萌本線の急行ましけ、標茶線の急行しれとこなどで、キハ22が使われていましたが、

なぜ?キハ22が急行に使われていたかというと、本線で運転されていた急行は、キハ56が使われていましたが、ローカル線から本線に乗り入れていた急行には専用の車両がなかったということで、キハ22がその代わりを務めていましたから、それだけキハ22の使い勝手が良かったということになります。

 

 


キハ22には簡易荷物車の600番台も存在していた。

 

 



引用先 https://raillab.jp/photo/5438


キハ22は改造された車両は多くありませんが、唯一簡易荷物車にも改造された車両もあり、簡易荷物車に改造された車両は600番台の区分番台になりましたが、

600番台の車両は車内の半分が荷物室になった関係で、客室の途中から仕切り板で荷物室に仕切られていましたが、本来であればキハニになってもおかしくないはずですが、

 

それがキハ22 600番台となっていましたが、本州にもキハ22 600番台と同じく簡易荷物車になったあったキハ20 600番台や650番台とは大きく異なる点になりますが、

 

本州で使われていたキハ20 600番台や650番台はアコーディオンカーテンで室内を仕切ることができましたが、北海道で活躍したキハ22 600番台は完全に客室と荷物室を分けていましたから、この辺も北海道の寒さが影響していたということなのでしょうか。

 

キハ22 600番台ですが国鉄時代にすべての車両が廃車となりましたが、中には改番されないまま、簡易荷物車のまま使われていた車両もありました。