引用先 https://raillab.jp/photo/123374
c58には、北海道の炭礦向けに作られた車両であったり、サハリン向けに作られた車両もありました。
●c58には北海道の炭鉱向けの車輌もあった。
●c58と似た蒸気機関車はどこの炭鉱路線で使われいたのか?
●c58にはサハリン向けのけの車両も作られていた。
●c58も戦時中に旧陸軍に供出された車両もあった。
●c58には北海道の炭鉱向けの車輌もあった。
引用先 https://mokeitetsu.com/microace/microace-n/201705-c58
北海道はかつては炭鉱王国とも呼ばれていました。そうしたつながりで国鉄で使われていた蒸気機関車と似た車両を導入するというケースもありましたし、
国鉄で廃車となった蒸気機関車が使われていたというケースもよくありましたが、それだけ北海道各地にあった石炭を産出する炭鉱では、国鉄で使われていた蒸気機関車と似た車両が当たり前のように使われていましたが、
実はc58と似た蒸気機関車も道内の炭鉱鉄道で使われていましたが使われていた路線が2つほどありましたが、これらの路線は炭鉱も閉山し、今は廃線となっています。
●c58と似た蒸気機関車はどこの炭鉱路線で使われいたのか?
引用先 http://www6.plala.or.jp/abetanpidf50568/saninsyaryou1.htm
c58と似た蒸気機関車についてですがどこにあったのかというと、
一つが留萌地方にあった天塩炭礦。そしてもう一つは三井芦別鉄道になりますが、この二つの炭鉱に国鉄にあったc58と似た車両がありましたが、
どう違うかというと、天塩炭礦と三井芦別鉄道にあったc58と似た車両は、煙突の後ろにある給水加熱器がついていない点になります。
さらに天塩炭礦と三井芦別鉄道にいたc58と似た車両も違いがはっきり出ていますが、
天塩炭礦の車両は戦前型。
引用先 https://w563p0j9cfbo.blog.fc2.com/blog-entry-4098.html
三井芦別鉄道の車両は戦後型。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/44721
でありますから、国鉄で使われていたc58とも似ていますが、これらの車両は炭鉱自体が廃坑になってみたり、ディーゼル機関車の導入などで廃車となりましたが、数少ないc58と似た車両が存在していました。
ちなみにですが三井芦別鉄道のc58ですが、旭川にあったニュー温泉に展示保存されていましたが、ニュー温泉が廃業したことにより解体処分されたというのですが、唯一炭鉱向けのc58として残っていた車両だけに、何らかの形で残すことはできなかったのでしょうか。
●c58にはサハリン向けのけの車両も作られていた。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/87613
それとc58ですが、サハリン向けの車両も存在していましたが、なぜサハリンけの車両があったかというと、樺太今のサハリンは日本が日露戦争でロシアに勝利したことで、南半分が日本の領土の時代もありました。
そうしたこともあってレールの幅も狭軌に変更されたという関係で、戦前型のc58の369から382までの14両が作られましたが、太平洋戦争で日本が敗北したことで、
その後、ソ連に接収されましたが、それ以降のことは不明のままとなりましたが、何しろサハリン自体がソ連領になったというのですから、南樺太で使われていた車両についてはその動向もわからなくなるのも当然のことでありますが、
c58は戦前から戦後にかけて作られた蒸気機関車ですが、北海道の炭鉱向けに作られた車両やサハリン向けに作られた車両も存在していたというのですから、それだけ使いやすい蒸気機関車であったということではないでしょうか。
●c58も戦時中に旧陸軍に供出された車両もあった。
引用先 https://raillab.jp/car/75265
あと、c58も戦時中に旧陸軍に供出された車両も存在していましたが、なぜ?旧陸軍にc58が供出されたのかというと、1944年に旧陸軍の南方作戦のために250両の蒸気機関車が必要ということで、
その当時の鉄道省から蒸気機関車が旧陸軍に供出されたということですが、その中にc58も含まれていましたが、旧陸軍に供出されたc58は25両で、タイ鉄道向けにメーターゲージに改軌されるなどの改造が施されましたが、
大戦末期ということで、肝心な車両も制海権が日本になかったということもあり、輸送船ごと沈没してしまうということで、タイに届いたのは数両のみでありましたが、戦時中に旧陸軍に供出された蒸気機関車といえばc56が有名ですが、
実はc58も供出されていましたから、太平洋戦争がなかったとしたら旧陸軍に供出されたc58も国内で活躍していたのではないでしょうか。
c58は北海道の炭鉱鉄道にも似た車両があれば、戦時中に旧陸軍に供出された車両も存在していましたが、何しろd51に次いで多く作られた車輌でありますから、そうした車両も存在していたということになります。