本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

地方の私鉄にも受け入れられた:C11の民間向けに作られた車両もある。

 

 

 

 

引用先 http://www.lok.jp/prototyp/mahoroba/C11_vari.htm

 

c11は戦前の鉄道省、戦後の国鉄東武だけでなく、民間向けに作られた車両も多数存在していました。

 

 

 

c11で東武以外に民間向けに作られた車両が作られたその理由とは?

 



引用先 http://www.lok.jp/prototyp/mahoroba/C11_war_.htm

 


タンク式機関車のc11ですが、終点で転車台を使って向きを変えることなく使えるということもあり、東武が所有した車両以外にも民間向けに作られた車両が存在していましたが、その理由もタンク機関車という特性が地方の私鉄にも受け入れられたということになるのではないでしょうか。

 

 

 

c11には朝鮮やサハリン向けに作られた車両もあった。

 

 

引用先 http://www.lok.jp/prototyp/mahoroba/39_1_12m.htm


戦前の日本は朝鮮半島も統治していましたし、サハリンの南側も日本の領土でありましたから、これらの地域向けに作られたc11もありましたが、どんな車両があったかというと、


朝鮮京南鉄道

 

朝鮮半島に向けに作られたc11は、朝鮮京南鉄道向けに作られた車両で25と26がありましたが、いつ作られた車両かというと25は1935年、26は1936年で、

 

国鉄で使われていたc11の2次型と同じ車両になりますが、戦後、朝鮮半島は南北に分かれたということで、朝鮮京南鉄道向けに作られた25と26は、その後どうなったかということについては不明のままですが、もしかしたら朝鮮戦争の最中に戦災で被災し、廃車になったということもあり得るのではないでしょうか。

 

それとサハリン向けに作られたc11は民間向けに作られたものでしたが、所有した会社は樺太人造石油のちの帝国燃料興業内淵鉄道と内淵人造石油で、この2社に共通しているのは石炭を原料として人造石油を作る会社になりますが、

 

太平洋戦争が勃発した原因アメリカから石油が輸入できなくなったことで、ブルネイなどにあるオランダの会社が所有していた油田を占領するしかなかったということでしたが、

 

その一方で、石炭を原料にして人造石油の開発も進められていましたが、この2つの会社もそうした狙いで作られた会社で、この2つの人造石油が所有したc11は、樺太人造石油のちの帝国燃料興業内淵鉄道のc11についてはc111とc112で、前者は国鉄で使われた3次型のc11後者は戦時型のc11と同じ形になります。

 

内淵人造石油のc11は4~6という番号で1944年製戦時型のc11になりますが、サハリン向けに作られたc11は戦後、ソ連が接収したということは判明していますが、それ以降のことは不明となっていますが、もしかしたらそのまま使われたのではないでしょうか。

 


c11には炭鉱鉄道向けなどに作られた車両もある

 

 

 

引用先 http://www.lok.jp/prototyp/mahoroba/C11_335_.htm

 

c11で国内の民間向けに作られた車両は炭鉱や化学工業向けに作られた車両も多数存在していましたが、これらの車両はc11の戦時型と同じ車両ばかりでありましたが、どこが所有していたかというと次のようになります。


    
・日本炭鉱高松鉱業所

 

松尾鉱山

 

宇部油化工業

 

・雄別炭礦尺別専用鉄道

 



引用先 https://nkurashige.wordpress.com/2018/10/29/1968%E5%B9%B4%EF%BC%88%E6%98%AD%E5%92%8C43%E5%B9%B4%EF%BC%893%E6%9C%88%E3%80%80%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E8%92%B8%E6%A9%9F%E6%92%AE%E5%BD%B1%E6%97%85%E8%A1%8C10%E3%80%80%E9%9B%84%E5%88%A5%E9%89%84/

 

江若鉄道

 



引用先 https://www.kojak.co.jp/recruit/mission/


三井鉱山芦別鉱業所専用鉄道

 

・同和鉱業片上鉄道

 

 


引用先 http://m-horikoshi.a.la9.jp/lac12_Sitetu/_Rs_22_00_Katagami.htm


これらの会社が所有したc11と似た車両については、日本炭鉱高松鉱業所が所有した車両については日産化学と日本鉱業が発注した車両が日本炭鉱高松鉱業所に流れてきたということなのでしょうか?それとも発注した会社が不要になったということなのでしょうか。


宇部油化工業c11は国鉄のc11の3次型と同じ車両で、1942年製で1952年に釧路にあった雄別炭鉱鉄道に譲渡されました。

 

雄別炭礦尺別専用鉄道のc11ですがこの車両は、雄別炭礦尺別専用鉄道から江若鉄道三岐鉄道、最後は今は廃線となった羽幌線に接続していた羽幌炭鉱鉄道に譲渡され、廃車となりましたが、最初の所有した会社でもある雄別炭礦尺別専用鉄道はあまり知られていなかったということで、いつの間にか廃線となった炭鉱鉄道でありましたが、かつての接続駅であった尺別駅についても廃止となりました。

 

江若鉄道にもc11があり、今は東武鉄道c11123ですが江若鉄道時代はひえいで、もう1台は元雄別炭礦尺別専用鉄道のc11でひらでありましたが、前者は1950年にc111に後者はc112となりました。

 

そして前者は雄別炭鉱鉄道に譲渡され、そこが廃止となったのちは釧路開発埠頭で使われ廃車となり、江別で個人の方が所有していましたが、日本鉄道保存協会を通じて東武鉄道へと譲渡されました。

 

あとc11ですが、道内の炭鉱では三井鉱山芦別鉱業所専用鉄道でも使われていましたが、この車両もその後、同じ系列の三井鉱山砂川鉱業所奈井江専用鉄道へと譲渡されました。

 

c11には同和鉱業片上鉄道にも似た車両がありましたが、ここで使われた車両も戦時型のc11と同じ車両で、廃車になったのが1968年になります。


同和鉱業片上鉄道といえば、現役時代にはキハ04やキハ07が最後まで使われた路線ということでも知られいますし、今もキハ04やキハ07が動態保存されているということでも知られていますが、

 

c11は民間向け作られた車両もいろいろとあったというのですから、そこはタンク式機関車ということで使い勝手が良かったということで作られたのではないでしょうか。