本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

8620は北海道の私鉄から台湾へ。現地で形式変更になった車両も存在する。

 


引用先 http://www.lok.jp/prototyp/mahoroba/1o_58685.htm


8620には北海道の私鉄向けの作られた車両もあれば、台湾や樺太向けに作られた車両もありました。

 

 

 

8620は北海道の私鉄でも使われていた。

 

 

引用先 https://d51.handcrafted.jp/items/52569973


8620は、北海道の私鉄でも使われ、2つの私鉄が所有していましたが、このうち1社については自社発注機、もう1社については国鉄で廃車になった車両を譲渡して使っていましたが、どんな会社だったかというと次の会社になります。

 

 


北海道拓殖鉄道8620形

 

 

引用先 https://w.atwiki.jp/qtrain/pages/71.html

 

北海道拓殖鉄道ですが、この会社を知っている人は本当にその方面に詳しい方ではないでしょうか。

 

北海道拓殖鉄道根室本線新得から分岐し、今は廃線となった士幌線の上士幌までを結んでいましたが、北海道拓殖鉄道根室本線新得から分岐し、今は廃線となった士幌線の上士幌まで鉄道が開通することで、

 

沿線に入植者も増えるのではという目算があって、開業した私鉄ですが、その後、石北線が開業したり、昭和恐慌で資金不足になるなどの災難が続き、当初は足寄まで路線を建設するはずが、途中の上士幌まで開通した段階で工事を中断しなければならなくなってしまった路線でありました。


北海道拓殖鉄道で使われていた8620は、自社発注機で、ナンバーは8621と8622の2両だけで、8621は1960年7月に廃車となり解体されましたが、8622号機は廃車された後も鹿追駅跡で保存されています。

 

 

 

羽幌炭礦鉄道

 

 


引用先 https://nkurashige.wordpress.com/2018/11/14/1968%E5%B9%B4%EF%BC%88%E6%98%AD%E5%92%8C43%E5%B9%B4%EF%BC%893%E6%9C%88%E3%80%80%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E8%92%B8%E6%A9%9F%E6%92%AE%E5%BD%B1%E6%97%85%E8%A1%8C19%E3%80%80%E7%BE%BD%E5%B9%8C%E7%82%AD/

 

 


羽幌炭礦鉄道ですが、廃線となった羽幌線に接続する形で乗り入れていた炭鉱鉄道ですが、羽幌炭礦も国の石炭政策によって閉山しなければならなくなった中小の炭鉱の一つでありました。

 

羽幌炭礦鉄道で使われていた8620は、2両あり、1両は8653でもう1両は58629になりますが、前者が1957年の3月で北見機関区で廃車になった車両で、後者はそれから2年後の1959年の3月に湧別機関区で廃車になったものですが、

 

羽幌炭礦鉄道は、明治時代に作られた8100形や9040形の古典ロコが、活躍していましたがこれらを置き換える目的で、国鉄で廃車になった8620が使われていましたが、

 

最終的には羽幌炭礦が閉山し、鉄道も1971年で廃止となりましたが、8620の中では唯一運転台が密閉式に改造されていた車両になりますが、それだけ羽幌地区が寒かったということになります。

 

 

8620と同じ車両が樺太にも存在していた。

 

 

 

引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/116279

8620は、日本が領土としていた樺太にも存在していましたが、樺太に存在していた8620は樺太庁鉄道の車両になりますが、国鉄で使われていた8620と同じ車両で、樺太がまだ日本の領土だった当時の樺太庁鉄道時代には豊原、泊居、真岡機関庫に配属されていました。

 

そして太平洋戦争が激戦を迎えている中で、樺太庁鉄道鉄道省に移管したことで新たに樺太鉄道局が設置された関係で、番号も88652から88666号機に編入されましたが、太平洋戦争が終わったことで、再びソ連樺太を統治することとなり、その後の消息については不明となっています。

 

 


台湾でも8620が使われていた。

 

 


引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/3924


台湾といえば、日本が統治していた頃には、国鉄で使われていたd51やc57と同型の車両が使われ、国民党政権になってからも引き続き使われていたということはよく知られていますが、

 

台湾は、国鉄の路線と同じく1067mmというレールの幅でありましたから国鉄で使われていた蒸気機関車と同じものが使うことができました。

 

台湾にあった8620は、台湾総督府鉄道E500形ですが、ただ、台湾総督府鉄道E500形については1937年に形式が変更されc95形となりました。


そして太平洋戦争が終わって国民党政権が台湾を統治するようになってからは、鉄道は台湾鉄路管理局が管理するようになり、c95も1947年にCT150形へと形式が変更されましたが、これだけ形式が二転三転した機関車も珍しいのではないでしょうか。

 

8620は北海道の地方鉄道だけでなく、樺太や台湾にもあったのも使いやすい機関車だったからではないでしょうか。