本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

c57の台湾向けの車両とはそもそもどんな車両か?

 

 

引用先 https://toyokeizai.net/articles/-/315576?page=2

 

 

c57ですが、国鉄に向け作られた車両だけでなく、台湾向けの車両も存在していました。

 

 


c57の台湾向けの車両は2次型がベースだった。

 

 

引用先 http://tyunerkkk.xsrv.jp/sl3.html

 

台湾向けのc57はCT270型で、1942年から1943年にかけて日立、川崎で6両作られたましたが、ベースになった車両はc57の2次型でありました。

 

そして戦後になってから1953年にアメリカの援助によりさらに8台が作られましたが、


国鉄で使われていたc57とはどう違うかというと、

 

・カウキャッチャーが付けられていたこと。

 

・先台車の車輪がディスク先輪。

 

・炭水車も大型化された点。

 

など、国鉄で使われていたc57とは若干異なる仕様となっていましたが、カウキャッチャーがついている点についてはまさに台湾向けであるという証にになります。

 

 

 

なぜ?c57に台湾向けの車両があったのか?

 

 


引用先 http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress/index.php?p=1559


それでなぜ?台湾国鉄で使われていたc57と似た車両があったかというと、台湾ですが日本が日清戦争で勝利したことでその当時の清王朝から獲得した領土ということで、

 

日本の統治時代にレールの幅が狭軌だったということで台湾で使われていた蒸気機関車については鉄道省で使われていた車輌と似た車両が使われていたということになりますが、d51の標準型でも台湾向けの車両もありましたし、c57の一つ前のc55型やタンク式のc12もあれば、大正時代に作られて活躍した8620に9600なども台湾向けの車両もありましたから、

 

そういう点から見ても台湾では戦前の鉄道省時代に作られた車両が活躍していたからこそ、戦後になってからも引き続きc57の2次型と同じ車両が作られたということになります。

 

 


台湾向けのc57にも動態保存車があった。

 

 



引用先 https://www.taipeinavi.com/special/5052759

 

台湾向けのc57ですが、CT273が今から10年前の2014年に動態保存機として復活したというのですから、国こそ違えど蒸気機関車に対する熱い思いがあったからこそ、CT273が復活できたということではないでしょうか。


それと台湾でもc57と同じCT278とCT284も保存されているというのですから、こうした貴重な車両が残されていること自体に意義があるということではないでしょうか。

 

台湾にはc57以外にも国鉄で使われていた蒸気機関車と同じものあった。

 

台湾では、戦前の鉄道省時代から戦後の国鉄になってからも国内で使われていた蒸気機関車もいろいろと活躍していましたがどんな車両があったかというと、

 

晩年は旭川機関区で宗谷本線で活躍したc55と同じCT250形を筆頭に、

 

 

引用先 https://toyokeizai.net/articles/-/315576?page=2


c50と同じCT230型


c12と同じCK120形

 

 

 

引用先 https://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E5%8F%B0%E9%90%B5%E8%92%B8%E6%B1%BD%E6%A9%9F%E8%BB%8A

 

 

9600と同じDT580形

 

 

引用先 https://www.kurogane-rail.jp/kurogane-doc/traloco/tradt580.html


8620と同じCT150形

 

 

 

引用先 https://wra5.blog.fc2.com/blog-entry-1527.html

 

がありましたが、レールの幅が狭軌だったということで鉄道省から国鉄にかけて使われていた蒸気機関車が台湾にもあったということでしたが、

 

実際に国内から蒸気機関車が引退した後も台湾に残っていた蒸気機関車を撮影しに行ったという方もいたというのですから、それくらいに台湾では蒸気機関車の活躍が長かったということになりますが、


台湾でも蒸気機関車の活躍が長く続いていましたが、その一方で現地で蒸気機関車を撮影することは難しかったとも言われていますが、

 

その理由は台湾も一時期までは民主化がされていなかったということで、実際に台湾に日本から蒸気機関車を撮影しに行ったのはいいのですが、

 

中国共産党のスパイだと思われて撮影した写真すら没収されることもありましたから、それだけ台湾で蒸気機関車が使われていた時代については、別な意味で大変な時代でもあったということでした。