本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

c57に門デフが装備された理由と効果はあったのか?

 



引用先 http://c5557.kiteki.jp/html/C57196.htm

 

c57にも門デフが装備されたということはよく知られていますが、実際に効果はあったのか?どんな理由で装備されたのでしょうか。

 

 

 

c57も装備した門デフとはいったい何なのか?

 



引用先 http://blog.livedoor.jp/angulon/archives/51589808.html

 

 

九州で活躍した蒸気機関車で見られることができた装備品といえば門デフになりますが、門デフは本当に九州だけでしか見かけることができなかったということで、蒸気機関車が終焉に向かいつつある頃には、

 

門デフを装備した蒸気機関車を撮りたくて、その当時、社会人や大学生、高校生に中学生であった方達が九州周遊券を手にして夜行の急行で、九州を目指していたということでありましたが、

 

門デフですが正式には小倉工場式デフレクターでありますが、門鉄型デフレクターとも呼ばれていますが、それがいつの間にか門デフということになりました。

 

門デフについてはいろいろとバリエーションがありますが、具体的な分類についてはネコパブリッシングから刊行された門デフ物語に詳しい門デフの種類が出ていますが、

 

門デフについては本当に九州で活躍した蒸気機関車では当たり前のように装備されていたということでも有名でした。

 


なぜ?c57にも門デフが装備されたのか?

 



引用先 https://c5557.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-2d0989.html

 


c57も門デフが装備されたということはよく知られていますが、なぜ?c57が門デフを装備したかということについては、高木宏之氏が書いた国鉄蒸気機関車史の第7章のc54、c55、c57の94ページから95ページにかけて門デフに関する記述が出てきていますが、

 

その記述によると門デフが作られた理由は、


バイパス弁の検修をしやすくするため。

 

煙室前面中央部にあたる風の補足。

 

という目的でc57にもつけられましたが、じゃあ?効果はあったのか?というとバイパス弁の検修のについては角形のデフレクターの時よりも若干やりやすくなった。

 

あと、煙室前面中央部にあたる風の補足についてですが、これについては煙室前面にあたる空気の下半分が左右に逃れるようになりましたからそれなりの効果があっただけで、決して満足できる結果は得られなかったというのが本当のところでありましたが、

 

逆に言えば門デフはc57であったり、c55にぴったりと合うというのですが、特にc57はボックス式動輪というともあり門デフとの組み合わせについては不思議と似合うというのですから、むしろ風の補足よりも見た目がよくなったというのが本当のところでしたが、

 

 

晩年、宮崎機関区に集結したc57は門デフを装備した車両が多かったというのも、c57のスタイルの良さに門デフが組み合わさったからこそできたものではないでしょうか。

 


c57で門デフの装備した車両と配属先はどこか?

 

 


引用先 http://pleiades.la.coocan.jp/dataroom/JNR/C57/C57112.html


門デフを装備したc57が配属された機関区は九州の主要な機関区になりますが、その筆頭が門司港機関区ではないでしょうか。

 

門司港機関区といえば京都と博多を結ぶ特急かもめを担当していた関係で、スハ44系時代の頃にはc57 11号機や65号機が特急かもめ専用機として整備されたということはよく知られていますし、

 

この他にも晩年に急行日南3号を担当した宮崎機関区もありますし、さらに長崎本線担当の鳥栖機関区に長崎機関区、鹿児島本線担当の熊本機関区に鹿児島機関区、そして日豊本線担当の大分機関区になりますが、

 

 

長崎や鳥栖機関区に配属されていたc57については大村線佐世保線の運用もありまし、20系時代でさらに電源車がマニ20の時には寝台特急さくらを担当していましたから、それこそ九州各地の路線では門デフのc57が活躍していたということになります。

 

それでc57で門デフを装備したのは何号機だったのかというと、

 

国鉄時代Vol.51の39ページに門デフを装備したc57の一覧表が出ています。

 

その表を見ていきますと、

 

・1次型は9 11 21 27 36 60 6572 83 100 109 111 112 116 117

 

・2次型は150 151 154 155 158

 

・3次型が175

 

・4次型が196

 

になりますが、実際に門デフを装備したc57は22台ありますが、特に1次型が圧倒的に多いということらなります。

 

逆に3次型や4次型についてはそれぞれ1台づつということになっていますが、3次型や4次型については数が少なかったということですから、門デフを装備した車両も少ないということになります。

 

それで1次型のグループで注目のナンバーといえば、11号機になりますが、

 

11号機については門司港に所属していたということで、

 

 

引用先 http://kotatsu11242006.livedoor.blog/archives/281705.html

 

特急かもめ時代には門デフにかもめの翼と波の装飾を入れていたということでも知られていますが、晩年は播但線で活躍していましたが、煙突に集煙装置をつけて、

 

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/39721


蒸気ドームの後ろの部分には重油タンクを装備した姿となり果てましたが、なぜ?そうなったのかというと、播但線には生野トンネルという難所があるということで、

 

その関係でc5711号機については重油併燃装置がついて、煙突に集煙装置がついたということになります。

 

65号機といえば、門司港時代には11号機とともに特急かもめを担当した門司港のエースとしても有名でしたし、晩年は日豊本線の宮崎機関区に移動し、急行日南3号の宮崎から都城区間を担当していたということでも知られています。

 

117号機については蒸気機関車による最後のお召し列車をけん引した車両ということでも知られていますが、なぜか?保存されなかったということでも知られています。

 

門デフを装備したc57については本当に美しい姿の機関車であったということもあり、いまだにその当時の姿を知っている方達からも根強い人気があるというのも、

 

c57がスタイルの良さにさらに門デフが加わったことでより一層スタイルが良くなったということでありました。