本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

c61にもあまり知られていないいろいろな話があった。

 

 

引用先 https://raillab.jp/series/1366/photos/list?photo_type=all&sort=new&info_type=max&pageid=5

 

2011年に本線に復帰したc61にも意外と知られていない話もいろいろとありました。

 

 

 

c61が少ないのはc62にそれなりの食われていたから。

 

 


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引用先 http://diving.tank.jp/machine/vehicle/jk/c61.htm

 

c61ですがボイラーはd51そして足回りはc57の組み合わせで作られましたが、

 

c61については当初は45両計画されましたが、それが最終的には32両になっててしまったというのですが、


その裏に何があったのかというと、

 

12両がc62に変更されたしまったということでありましたが、元々c61も当初c57の4次型として増備されるはずでしたが、戦後という時代で、インフレによりボイラーなどに使う鉄も高騰して手に入りにくかったということで、c61に使うはずの足回りがc62に使われてしまったというのですから不運としか言いようがありません。

 

そうしたこともあってc61については当初の計画より数が減ってしまったということでありましたが、d51の戦時型に余裕があったとしたらもう少し数が増えたかもしれませんね。

 


c61にも変形機が存在していた。

 

 

引用先 http://katte-kimama.twinstar.jp/railway/Special/FavoriteHudson/coment/C61013.htm


c61といえば東北本線と九州の鹿児島本線などの限られた区間で活躍していたということで、あまり個体差も少なかったとも言われていますが、


その中でもc6113号機については唯一切り取りデフでもある鹿工デフを装備していたということでも知られていますし、

 

 


引用先 https://kisyakenbutsu.blog.fc2.com/blog-entry-1537.html

 


鹿工デフを装備し、鹿児島本線で運転されていた寝台特急はやぶさも担当していたということはよく知られています。


あと、東北本線で使われていたc61については盛岡機関区に配属されていた車両については煙突を挟む形で両脇に小型のデフレクターも付けていた車両もありましたが、

 

引用先 http://katte-kimama.twinstar.jp/railway/Special/FavoriteKikanku/Coment/Morioka.htm

 


このデフレクターについてですが、盛岡機関区に配属されていたc60にも装備していたということで、同じ機関区に配属されていたということからc61も装備したということなのでしょうか?

 


c61と似た足回りの車両が戦前にも計画されていた。

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/116465


c61 といえば動輪の配置が2-c-2ということでハドソンと呼ばれていますが、c62とc60も同じハドソンクラスになりますが、ただ、国鉄が本格的にハドソンクラスの蒸気機関車保有したのは戦後になってからということになりますが、じゃあ?ハドソンクラスの蒸気機関車について戦前ですから鉄道省時代には計画されていたのかというと、

 

具体的なところについては不明でありましたが、国鉄時代Vol.49号の改造機c60・c61・c62華のハドソン3兄弟の記事の30ページに、鉄道省時代の昭和15年ですから、1940年にkc55形とkc56形として計画されていたという記述が出てきていますが、これはあくまでもペーパープランでありましたが、具体的なことについては不明でありますが、

 

この当時の鉄道省でも貨物用でc58と同じサイズの動輪で1-4-2のバークシャー型のkd53形も計画していましたが、kd53形についてはメカニカルストーカーを装備するなど最新鋭の蒸気機関車として計画されていたということでありますから、

 

それを踏まえて見ていきますと、もしかしたら鉄道省時代の1940年に計画されていたkc55形とkc56形についても、メカニカルストーカーを装備されていたという可能性もあり得たのではないでしょうか?

 

この件については高木宏之さんがまとめた国鉄蒸気機関車史の中に不発に終わった弾丸列車計画HC51・HD53の記事の中に弾丸列車計画で計画されていたHC51の図面が出てきていますが、その図面によるとHC51については2-c-2という動輪になりますから戦前の段階でハドソンクラスが計画されていたということになりますが、

 

ちなみにHC51ですが流線形の車体で計画されていたということですからそれこそc55の2次型を広軌にした車両ということになりますから、

 

kc55形とkc56形とは別物になりますが、仮にkc55形とkc56形についてですがボイラーについてはd51と同じものが使われていたということになるのではとも推測することもできますし、場合によってはc59と同様に戦前型と戦後型などもあり得たということになりそうな感じでもありますが、

 

 

高木宏之さんがまとめた国鉄蒸気機関車史にも戦前にc61と同様の機関車があったらいろいろと違った結果になっていたのではともc61に関する記事の中に出ていましたが、

 

あくまでも鉄道省が計画していた車両についてはペーパープランだったということになりますが、仮に実現していたらc形でどんな番号が付けられていたのかなど興味深いものがありますが、c61についてですが限られた路線でしか活躍できなかったということもあり、個体差もあまり少ないということであったり、国鉄時代の記事などにもいろいろと興味深い話もあるなど、深く掘り下げていくと意外と興味深い車両でもあるということになります。