引用先 https://scales.co.ke/category/browse.php?node=83&page=279
ef64 0番台もお召し列車を担当したことがありましたが、それはいつのことだったのでしょうか。
●ef64 0番台が担当したお召し列車は少なかった。
●ef64 0番台が最初に担当したお召し列車はやまびこ国体の時だった。
●ef64 0番台が2度目に担当したお召し列車は国鉄最後のお召し列車だった。
引用先 https://igtad.blog.fc2.com/blog-entry-8369.html
電気機関車が担当したお召し列車で回数が少なかった車両といえば、ef62もそうですし、ed62も1回だけお召し列車を担当したことがありましたが、電気機関車でなおかつ直流機のお召し列車はef5861号機が、よく使われていたというこで、ef5861号機以外の電気機関車がお召し列車を担当しなかったのも、
ef5861号機が存在していたということでありましたが、ef5861号機は作られた当初からお召し指定機として作られた電気機関車ですから、この点は他の直流電気機関車にはない点になります。
そうした関係で、ef5861号機以外の直流電気機関車がお召し列車に入らなかった理由ですが、ef5861号機が入れない区間では他の直流の電気機関車がお召し列車を担当していましたが、
ef64 0番台もお召し列車の運転回数が少ないのもそうした事情があったからです。
●ef64 0番台が最初に担当したお召し列車はやまびこ国体の時だった。
引用先 https://ameblo.jp/ak7193907/entry-12182117235.html
ef64 0番台が担当したお召し列車で最初はいつだったかというと、1978年の10月に長野県で開催されたやまびこ国体の時でした。
この時、お召し列車を担当したのがef64 58号機でしたが、やまびこ国体この時はお召し列車が碓氷峠を越えたということもありましたが、碓氷峠ではef62 11号機が本務機を務め、補機にはef63 11と13号機が付きましたが、お召し列車が新1号編成になってから初めて碓氷峠を越えましたが、
旧1号編成時代には昭和天皇が長野で避暑を過ごすということもあり、その関係でed42が碓氷峠を越える際にお召し列車に使われたということはありましたが、碓氷峠のルートが新しくなって最初で最後のお召し列車でもありました。
それでef64 58号機が担当した区間は10月14日に長野から松本、翌日は塩尻から原宿までという区間を担当しましたが、この時、運転されたお召し列車で信越線の碓氷峠で撮影された写真と復路の10月15日にef64 58号機が担当したお召し列車の写真が、国鉄時代Vol.33の長野国体お召し列車の思い出という記事の64ページから67ページに掲載されていますが、特に66~67ページは碓氷峠を行く新1号編成の写真が見開きで掲載されていますが、やまびこ国体の時は、ef62~ef64までの車両がお召し列車を担当したことになります。
●ef64 0番台が2度目に担当したお召し列車は国鉄最後のお召し列車だった。
引用先 https://rail.travair.jp/?p=379
2度目にef64 0番台がお召し列車を担当したのは1986年10月に山梨県で開催されたかいじ国体の時で、この時お召し列車を担当したのがef64 77号機ですが、
ef64 58号機が担当した1978年の10月のやまびこ国体の時とは変わり、ef64 77号機のエアーフィルターの下の方に銀色の帯を入れましたが、この点がef64 58号機が担当したお召し列車との大きな違いになります。
そしてこの時、運転されたお召し列車が国鉄最後のお召し列車ということでも良く知られていました。
その後、国鉄が分割民営化になり、ef64 77号機もJR貨物に移籍しましたが、更新色になるまではエアーフィルターの下の方に銀色の帯を入れたままの状態で貨物列車の運用に入っていました。
そして更新色となったのちに廃車となりましたが、廃車になった後ですが再びお召し指定機の姿に戻りましたが、最終的に解体処分されましたが、何らかの形で残すことはできなかったのでしょうか。
ef64 0番台が担当したお召し列車はこの2例だけになりますが、2度にわたり運転されたお召し列車はすべて国体絡みでの運転でありました。