引用先 https://aucfree.com/items/d366063277
8620もお召し列車を担当したことがありましたが、担当した路線はどこだったのでしょうか?
引用先 https://tkamada.web.fc2.com/shiryokan/old_days/station2/station2.htm
花輪線といえば、8620が3重連で貨物列車で活躍したということでも有名な路線ですが、1961年の10月の秋田国体の時に花輪線で8620が重連運転で、お召し列車を担当しましたが、
この時、お召し列車を担当した機関車は本務機が48633で後補機が38688で、前と後ろに8620がついていたということになりますが、
蒸気機関車が担当したお召し列車でお召し列車の前後に機関車がつくというのは、本当に稀なケースになりますが、この時は本務機と後補機の乗務員の方もうまい具合に車両の速度などを合わせることができたのでしょうか?
この点がどうだったのかというのが気になりますが、さらにこの時は荒屋新町から盛岡までの区間でc58342と48633が重連で担当しましたから、蒸気機関車が運転されたお召し列車では異例のケースだったということですが、無事にお召し列車を運転し終わった乗務員の方達も大変だったのではないでしょうか。
引用先 https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/08/2022exhb/202209mini/20220906mini.html
8620が2度目にお召し列車を担当したのが、1968年の福井国体の時で、福井国体の時はお召し列車を担当した機関車はいろいろとあり、交流区間ではef70が、そして米原から田村の区間でde10が重連で、小浜、宮津線ではc58が重連で担当したり、播但線ではdd54が重連で担当しましたが、播但線については福知山機関区が担当しましたが、
dd54が重連で担当したのも、万が一のためでありましたが、お召し列車の運転が終ったあとに、お召し列車を担当したdd54が故障するというようなことが起きましたが、その辺についてはSL甲組の肖像の福知山機関区の話の中でも出てきていました。
それで8620が担当した区間は越美北線越前大野から福井までになりますが、この時担当したのは、デフなしの88635と28651が重連で担当しました。
●8620が最後にお召し列車を担当したのは長崎国体の時。
引用先 https://honosha.hatenadiary.com/entry/2023/01/09/164506
8620が担当したお召し列車はすべて国体絡みでの運転でありましたが、最後に8620がお召し列車を担当したのが福井国体の翌年の1969年の長崎国体の時で、この時は松浦線の佐世保から平戸口、平戸口から伊万里の区間になります。
そして担当したのが、48647と28629が重連で担当しましたが、両方とも門デフを装備した8620でありましたし、蒸気機関車が終焉に向かい始めたころに運転されたお召し列車ということで、沿線には多くの方が撮影に来ていましたが、
この時を最後に8620はお召し列車を担当しなくなりましたが、8620が担当したお召し列車についてはすべてが国体絡みでの運転でありました。
あと、お召し列車以外にも8620が1953年の愛媛国体の際には、お召し列車の一つ前を走る指導列車として松山機関区の48681がその役目を担いましたが、こうした役目も8620が担当していました。