引用先 https://raillab.jp/photo/184722
国鉄で使われたデンター式の蒸気機関車の中で一番小さい車両のc56ですがどんな理由で開発されたのでしょうか。
●c56が開発されたのは小型で軽量な蒸気機関車が必要になったから。
引用先 https://www.kiyosato-nippou.com/c56
c56といえばJR西日本の160号機、大井川鉄道で復活を目指して整備されているc56135号機がありますが、
どういった理由でc56が開発されたかというと、簡易線向けの機関車が必要になったということで作られた車両で、同じ理由で作られたc12もありますが、c56はc12をデンター式にした車両になりますが、
c12との違いはc12はボイラー側面に水タンク、そして運転台の後ろにはコールバンカーがついていますし、足回りも1-c-1であるのに対して、
c56はデンター式で運転台が開放キャブになっていますし、炭水車もついていますがc56の炭水車についてはバック運転がしやすいようにと炭庫側面を大きく欠き取っていますし、足回りも1-c-0で、デフレクターがついている点がc12との大きな違いですが、
ボイラーはc12とc56については同じものを使っていますから、c12とc56は姉妹機になります。
c56ですが現役時代はというと、簡易規格で作られた路線で使われていましたが代表的なところは小海線であったり飯山線などでも使われていましたし、西日本では木次線でも使われていましたし、九州の廃線となった妻線などでも使われていました。
●c56は旅客から貨物まで担当していた。
引用先 https://raillab.jp/photo/54181
c56ですが現役時代はというと、小海線では昭和40年代に高原野菜の出荷の時に、通風車や通風コンテナを積んだ貨物列車で活躍していたということはよく知られていますし、
木次線でも貨物列車を担当していたということはよく知られていますが木次線といえばスイッチバックで終点を目指すというような作りの路線になっていましたから、まさにc56にふさわしい路線だったということになります。
それと小海線では昭和40年代になりますが3両編成の旧型客車で編成された八ヶ岳号を担当したこともありましたし、木次線ではオハユニ61だけの編成もありましたが、c56については小型のデンター式の蒸気機関車ということで客車については最大で3両までしかけん引することができませんでしたが、それでも簡易規格の路線で旅客に貨物にと活躍していました。
●c56もお召し列車を担当していた。
引用先 https://chipsystems.com/0011028377476966.html
国鉄で使われていたデンター式の機関車で一番小型のc56ですが、これでもお召し列車も担当したこともありましたが、戦前にc56がお召し列車を担当した記録があり、1936年の10月に恵庭市で開催された陸軍大演習の視察のため恵庭から札幌の間でc56がお召し列車を担当した記録がありますが、
この時担当したのがその後、軍事供出でタイに送られそして日本に戻って大井川鉄道で使われていたc5644号機ですが、c5644号機は1936年の3月に落成した車両で札幌機関庫に新造配備され、しばらくしてからお召し列車を担当することになりました。
そして戦後になってからc56がお召し列車を担当したのは1972年の鹿児島国体の時に、枕崎線などに乗り入れた際にc56がお召し列車を担当しましたが、
引用先 http://shiino-goichi.sakura.ne.jp/menu6_c5691_kajiki.htm
この時は重連運転でc5691と92の重連となりましたが、この時お召し列車を担当したc5691号機は国内に残っていたc56で一番番号の若い車両ですが、それ以前の車両はすべて戦地に赴いていたということでありました。
そして翌年の4月の宮崎県で開催された全国植樹祭の時にもc5692号機がc11200とともに日南線に乗り入れたということもありましたが、
引用先 https://www.aguapuro.com/?product%2FZ%3F1300521=wquasiinnocentlyc
c56がお召し列車を担当したのはこの時限りですが、c56がお召し列車を担当しなければならなかったのは枕崎線などが簡易規格で作られた路線であったということですが、
それでもお召し列車も担当したというのですから、これはc56にとっても名誉であったのではないでしょうか。