本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

c57で小樽築港の車両もお召し列車を担当したが、その舞台裏は?

 

引用先 https://plaza.rakuten.co.jp/isehara/diary/201010030001/

 

 

 

c57が担当したお召し列車ですが、北海道で開催された国体や全国植樹祭の時も運転されましたが、その舞台裏はどうなっていたのでしょうか。

 

 

 

 

c57で小樽築港の車両がお召し列車を担当したのはいつなのか?

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/139112


c57もお召し列車を担当することがよくありましたが、北海道の小樽築港のc57は2度お召し列車を担当することがありましたが、

最初に担当したのが1954年の8月に開催された北海道国体の際で、小樽築港機関区のc5757が本務機を務めて、予備機にはc57141で、北海道国体の時ですが復路で初めて飛行機が使われましたが、この年は洞爺丸台風があった年でありました。

 

そして2度目は1961年の5月の全国植樹祭の時ですが、この時は札幌と東京との間については往復で航空機が使われましたが、東京であれば羽田でしょうか。そして札幌ということであれば丘珠空港でしょうか。

 

 

まだこの当時あればプロペラ機でしたから、丘珠空港でも十分に間に合ったということになります。

 

 

この時も小樽築港のc57がお召し列車を担当し、c57149号機が札幌から岩見沢まで、岩見沢から栗山そして登別までがc5791号機が担当しましたが、

 

 

お召し列車を運転する際には機関車も入念に整備するだけでなく、事故が起きないようと神社から神主の方が来てお祓いを受けますが、北海道で2度c57がお召し列車を担当したときにもお祓いを受けました。

 

 

1954年の北海道国体の時のc57が担当したお召し列車の舞台裏。

 

 


引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/123162

 


小樽築港のc57がお召し列車を最初に担当したのは1954年にのお召し列車の舞台裏については、ドキュメント感動の所在地の3巻の93ページに出てきていますが、

 

この時お召し列車を担当したのが小樽築港機関区の乗務員の前川達夫さんで、前川達夫さんですが、1954年と1961年にお召し列車の機関士を2度担当しましたが、

 

前川達夫さんの話ではお召し列車を担当する機関車に乗り込む乗務員は機関士と予備の機関士そして機関助手の3人にさらに、国鉄の北海道総局機関車課長も加わった4人がc57の運転台に乗るというのですから、さすがにこの人数でc57の運転台の中もさらに
狭くなったのではないでしょうか。

 

それでお召し列車ということもあり、本番までは実際に担当する区間でブレーキをかける際のタイミングを養うという訓練を行っていました。

 

 

それで1954年に北海道で国体が行われた際ですが、江別市が新たに市政を敷くということで、江別駅に停車し、市民からの歓迎を受けるということで10分間停車することになりましたが、その際も煙も出してはいけないですし、安全弁もふかすことができない状態で、その間に完全燃焼に近い状態にしなけばならないということで、

 

江別駅に着くまでにメロンくらいの大きさの石炭の塊を5個準備しましたが、これも入れるタイミングが難しかったといわれていました。

 

 

さらに微粉炭を水で十分に湿らせてからこれも入れることで江別駅に停車中の間も石炭を入れることなく、完全燃焼の状態で江別駅を出発したというのですが、蒸気機関車によるお召し列車でもこれほどの苦労がありました。

 

1961年の全国植樹祭の時のc57が担当したお召し列車の舞台裏。

 

 

引用先 http://shinanomachi.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/sl-ea28.html

小樽築港機関区のc57が担当した2度目のお召し列車は1961年の北海道で行われた全国植樹祭の時でしたが、この時は小樽築港機関区のc57149号機がと91号機担当しました。

 

それでお召し列車が運転される前の日に苗穂機関区に移動してきた当日の夜ですが、その当時、検修掛のリーダーでもあった山下仁郎さんボイラーが沸騰する音を聞いたというのですが、それだけボイラーの状態が良かったということになりますが、


山下仁郎さんもc57149号機を整備する際も板ばねを止めるナットも注意深く外して丹念に磨き上げてから温めて留めたというくらいに入念な作業して、

 

さらにナットの締まり具合を確かめる際も手のひらをナットに添えてから銅のハンマーで叩いて、手のひらに伝わる振動で確認したというのですから、

 

まさに職人技の世界とも呼べるべきものになりますが、お召し列車を担当する機関車についても乗務員の方もそうですし、整備を担当する検修掛の方も入念に準備をして本番に備えていたということになりますから、


実際にc57でお召し列車を担当した乗務員の方も本番に向けての苦労も絶えなかったということですし、整備する検修掛の方も大変だったということでしたがそうした様々な方達の支えによって、

 

c57がお召し列車を担当することができたということになりますが、小樽築港機関区については道内の機関区で2度お召し列車を担当する栄誉を受けた機関区でもありますが、そこは道内でもトップクラスの技術力を誇る機関区だからこそできたことでありました。