引用先 http://t-okada1408.sakura.ne.jp/ptrain/train006.htm
c57ですが、d51が入線することができない区間で貨物列車も担当していましたがどこの区間だったのでしょうか。
●c57が貨物列車を担当したその理由は?
引用先 http://d51791.com/pg21nippou.html
c57ですがライトパフィシックということで、d51が入れない区間で貨物列車も担当したのも、d51が重かったということもあれば、使える機関車がそれしかなかったなどという理由もありましたが、
逆に言えばc57が、貨物列車を担当するは本来の使われ方ではなかったということでもありますし、軌道強化も行うべきだったということでありましたが、c57を使わざる得なかったというのがその当時の国鉄を表していたということになります。
●c57は播但線でも貨物列車を担当していた。
引用先 https://www.pinterest.jp/pin/639933428326396002/
c57が貨物列車を担当した区間のひとつが兵庫県を走る播但線でありますが、播但線は線路の規格が低いということもあり、蒸気機関車が終焉を迎えるまでc57が貨物列車を担当していましたが、c57が来る前はc55が貨物列車も担当していたということで、
同じライトパフィシックが二代続けて貨物列車も担当していたということになります。
実際に貨物列車の運用に入っていた画像が
次の画像です。
引用先 https://ameblo.jp/etopirika-horse/entry-12598464823.html
播但線といえば晩年c5711号機が配属されていたということでも知られていますが、
c5711も貨物列車を担当していたのかというと、その可能性は十分にあります。何しろ晩年のc5711ですが集煙装置を煙突につけ、ボイラー上には重油タンクを装備していたのですが、その理由も途中にあるトンネルの作りが関係しているということでありましたからそれであればc5711も貨物列車の運用に入った可能性は十分にあります。
●c57は日豊線戦でも貨物列車を担当していた。
引用先 https://blog.goo.ne.jp/miya22ka152133/e/e948c97dff0ac2e2cf41f2260be7740b
c57が貨物列車を担当したもう一つの区間ですが日豊本線になります。
日豊本線といえば宮崎機関区のc57が活躍していた場所ですが、なぜ?日豊本線でc57が貨物列車を担当したのかというと、日豊本線もd51が入線できなかったということで、c57が貨物列車を担当していました、
日豊本線の普通列車や急行日南3号も担当していましたから、それこそ宮崎機関区に配属されていたc57についてはフル動員するという体制でありました。
それで日豊本線で運転された貨物列車ですが大分方面と鹿児島方面とでは貨物列車に連結される貨車の数も少なく、鹿児島方面に向かう貨物列車は定数が25両でありましたから、d51でなくても十分にこなせたということですが、本来であれば貨物についてはd51が担当すべきだったのではないでしょうか。
ただ、日豊本線については青井岳や霧島神宮という難所もあるということですから、そこをライトパフィシックのc57で乗りえるというのですから、それこそ乗務員の技術にかかっているということになります。
画像は宮崎機関区に所属していたc57の4次型が貨物列車を担当していたものになります。
引用先 https://blog.goo.ne.jp/hanjiro8044/e/9e632984291e4a73796eeb06e32c8a6f
それと宮崎機関区といえばJR東日本に所属しているc6120号機も在籍していた場所ですが、なぜ?宮崎機関区c61が来たかというと、
c57の代わりが務まるかということで奥羽本線が電化された際に青森機関区に配属されていた6台のc61が来ましたが、実際に走らせてみたところ、とてもではないが青井岳や霧島神宮などの難所を乗り越えることができなかったというのですが、
その理由は何かというと、c61にはメカニカルストーカーがついていましたが、これの調整が難しかったということと、軸重がC57が14.12tに対してc61はというと、13.7tであったということで、空転も起こしやすかったということで、
日豊本線の難所でもある青井岳や霧島神宮越には向かないということで、日豊本線の宮崎以南の運用に充てられていたということですが、その結果、青井岳や霧島神宮越については引き続き、
c57が日豊本線が無煙化する日まで貨物列車を担当していましたが、本来ならば軌道強化でd51が入線できるようにするべきところでありますがそれができなかったということになりますが、今ではef81や新たに配備されるef510 300番台が活躍するようになったのも軌道強化のおかけでありますが、蒸気機関車時代に軌道強化しておけば後から楽になっていたのではないでしょうか。