本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

c57とc55とはどんな関係で、どんな違いがあるのか?

 

引用先 https://toyokeizai.net/articles/-/284484?page=5


ライトパフィシックのc57とc55は違いはどんなところか?共通点があったのでしょうか。

 

 

 



c57はc55のボイラー出力を強化した改良型だった。

 

 


引用先 https://raillab.jp/car/65416


ライトパフィシックの傑作機のc57は、c55の改良型でありましたが、当初の計画ではc57についてはc55の4次型として作られる予定でしたが、

 

仮にc55の4次型として製造されていたらひょっとしたらボックス式の車両になっていた可能性もありますが、c57が作られたのが1936年で、c55のラストナンバーの3次型の63号機が落成したのも1936年で、

 

さらに貨物用のd51の半流線形の車両が落成したのも1936年になりますから、c57とc55そしてd51とはただならぬ関係で繋がっていたということになります。

 

それでc57ですが当初の計画ではc5563号機、64号機として落成する予定でしたからボックス式のc55が出てくる可能性もあったということになりますし、

 

c57のボイラーの強化が若干遅くなった場合ですが、c55の4次型が出てくる可能性もあり得たということになります。

 

それでc55のボイラーの出力を強化したことで誕生したのがc57でありますがc57はボイラーの厚さが16ミリで蒸気圧が16㎏/㎡にあるのに対して、c55はボイラーの厚さが14ミリで蒸気圧が14㎏/㎡になりますから、ボイラーについてはc57の方がc55よりも上回っているということになります。


この辺については戦前に作られた旅客用の電気機関車のef56とef57との関係と似ていますが、ef57はモーターの出力がef56より大きくなったということで、新たな形式になりましたが、EF571号機についてはEF56の2次型と同じ車体で、落成しましたが2号機以降は車体が全くの別物になりますから、c55とc57との関係と似ているということになります。


c57とc55で大きく異なる点はどんなところか?

 

 

引用先 http://shinanomachi.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/sl-ea28.html

 

c57とc55はボイラーの性能の違いで新形式になりましたが、他にはどんな違いがあるかといえば、c55は2次型が流線形の車両で落成しましたが、晩年は通常のc55と似た外見で、運転台などに流線形時代の名残が出ています。

 

 

これに対してc57はc55では成し遂げることができなかった201台が作られただけでなく、戦後になってからも3次型そして4次型も作られましたが、c57の4次型は別物の車両といっていいくらいにc57の1次型から3次型と比べても大きく変わっていますが、

 

この点はc55ではなかった点でもありますから、それだけc57が乗務員の方からも使いやすかったからこそ200台近い数が作られたということではないでしょうか。

 

 

c57とc55は北海道仕様でも大きく異なっていた。

 

 


引用先 https://raillab.jp/car/75268

 

c57とc55は最後は北海道で活躍しましたが、北海道で活躍したc57とc55も違いがはっきりと出ていましたが、どんなところかというとc57については運転台密閉式になった車両もあれば、開放キャブのまま廃車となった車両もありますが、

 

 

c55は北海道で使われた車両はすべての車両が運転台が密閉式となりましたが、その理由は晩年にc55が配属され活躍した宗谷本線がありますが、c55が活躍した当時の宗谷本線は真冬はとにかく寒いということで防寒対策で、旭川機関区に配属されていたc55についてはすべての車両が運転台が密閉式でありましたが、

 

それが晩年になるとc55が全般検査切れで廃車になると本州で使われていたc57が移動してきたということもありますが、本州で使われていたc57については運転台が開放式ということでしたから、冬場の宗谷本線での運転も大変だったのではないでしょうか。

 

それくらいに北海道で使われたc57とc55には違いが出ていたということになります。

 

 

 

c57とc55は貨物列車も担当していた。

 

 


引用先 http://t-okada1408.sakura.ne.jp/ptrain/train006.htm


c57とc55はライトパフィシックで、貨物用のd51が入線できない路線で貨物列車も担当していましたが、どこで担当していたかというと、和田山に配属されていたc57とc55については播但線で貨物列車も担当していましたし、

 

 

日豊本線では宮崎機関区のc57が、その前はc55が貨物列車を担当していましたが、日豊本線には青井岳や霧島神宮などの難所もあるということですから、

 

そこをライトパフィシックのc57やc55で貨物列車を担当していたというのですから実際に乗務した宮崎機関区の方達も大変だったのではないでしょうか。

 

c57とc55ですが同じライトパフィシックの車両になりますがボイラーなどの違いで別形式になったというのですが、もしかしたらc57の初期ロットもc55になりえたかもしれないということもあり得たということになります。