本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

花輪線で活躍した8620が3重連で貨物列車を担当した理由とは?

 


引用先 https://www.omotetsu.com/omoide1/hanawa86/index.htm

 

花輪線といえば、8620が3重連で貨物列車を担当していましたが、なぜ?そのような運用が行われていたのでしょうか。

 

 

 

 


花輪線で8620が活躍した理由は、dクラスの蒸気機関車が入れなかったから。

 

 

 

 

引用先 http://kemurinimakarete.moo.jp/z1204hanawa.html


8620が活躍した路線で特に有名なのが花輪線ですが、花輪線で8620が使われ続けた理由は、軌条が弱いことともう一つの理由は半径300メートルの急カーブ存在しているということで、dクラスの蒸気機関車では入線することができないということもあり、花輪線では開業以来無煙化の日まで8620が活躍していました。

 

そして花輪線で活躍した8620を担当した機関区は、盛岡機関区荒屋新町機関支区が担当しましたが、実際に花輪線で乗務した荒屋新町機関支区の方達も8620について、空転しにくく使いやすい機関車だったと証言していますから、それだけ8620が使いやすい機関車でありました。

 

 


花輪線で8620が3重連で貨物列車を担当した理由は?

 

 

引用先 http://locomotivesteam.web.fc2.com/PhotoHanawa1.htm


花輪線では、8620が3重連で貨物列車を担当していましたが、なぜ?3重連で貨物列車を担当したその理由は、岩手松尾から33.3‰の上り坂があるということで、花輪線を通過する貨物列車は3重連で運転していましたが、

 

花輪線自体が奥羽山脈を越えるために作られた路線で、急カーブもなどもあるということで、無煙化の日まで8620が3重連で貨物列車を担当していましたが、

 

花輪線で見ることができた8620が3重連のパターンにはいくつかあり、前に3両がつくケースもあれば、前に1両後ろに2両や前2両、後ろ1両、さらに前1両に後ろは炭水車が前側に向いて2両がつくというケースなどもありましたから、

 

それこそSLブームの時には多くの方が訪れましたが、当日でなければ3重連の形がどんな形で来るかというのがわからなかったということでありましたが、こればかりは運しだいということになります。

 

 

花輪線で使われた8620にもボックス式の車両も存在していた。

 

 

引用先 https://ameblo.jp/studio4310fukui/entry-12601118745.html


8620も晩年になると、動輪をスポーク式からボックス式に交換した車両も存在していましたが、c51も晩年になってから動輪を廃車となったc57から交換したことでボックス式の車両となったのもありましたし、

 

8620でもボックス式の車両もありましたし、実際に花輪線で使われていた8620にもボックス式の車両もありましたが、何号機だったかというと48633号機になりますが、

 

ドキュメント感動の所在地の2巻62ページの下の方に、48633号機の写真が出てきていますが、動輪をボックス式にした理由は、盛岡工場が試作したものだと記述も出てきていますが、

 

c51は動輪の大きさが1750mmですからc57の動輪も使えますが、8620は動輪が1600mmですから、そのためにに新しく作ったということになりますが、

 

ボックス式の8620は、花輪線で使われた車両以外にも複数存在していましたが動輪を交換したのも48633号機と同じ理由だったからなのでしょうか?

 

この点については、今も謎のままですが、花輪線で8620が使われていた当時にはボックス式の動輪の車両も存在し、3重連で運転されていた貨物列車にも入ることもありました。