本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

岩手県のラサ工業: c10 8号機の現役時代はどんな仕事をしていたのか?

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/pkm135/e/f9dabb740a6da13ceeb108248ed8774d

 

大井川鉄道に所属しているc108は、国鉄で廃車になった後は岩手県宮古市にあるラサ工業で使われていましたが、現役時代はどんな仕事をしていたのでしょうか。

 

 

 

c108が所属していたラサ工業専用線はどこで接続していたのか?

 



引用先 https://plaza.rakuten.co.jp/isehara/diary/201402220000/

 

c10 8号機が最後に使われていたラサ工業ですが、どこで専用線が接続していたのかというと、今は三陸鉄道リアス線の一部となった山田線の磯鶏駅構内で接続していましたが、ラサ工業宮古工場から磯鶏駅までの0.5キロの距離になりますが、

 

c10 8号機は、磯鶏駅とラサ工業の間を1日3往復していましたが、c10 8号機がラサ工業で使われていた当時も山田線にも解結貨物列車が運転されていましたから、

 

山田線でもそれなりに貨物輸送が行われていたということになりますが、それも1984年の2月のダイヤ改正によりこれまで運転されていた解結貨物列車の運転本数も大きく減ったということで、

 

ラサ工業専用線が接続していた磯鶏駅がある山田線の貨物列車もまともにダメージを受けたということではないでしょうか。そして磯鶏駅から接続していたラサ工業専用線1986年の11月のダイヤ改正でその役目を終えました。

 

 

c10 8号機が使われていたラサ工業宮古工場はどんな工場なのか?

 

 


引用先 https://blog.goo.ne.jp/pkm135/e/f9dabb740a6da13ceeb108248ed8774d


c10 8号機が使われていたラサ工業宮古工場はどんな工場だったかというと、銅鉱精錬を行っていましたが、1936年にラサ工業田老鉱山の銅鉱石採掘が再開され、それから3年後の1939年6月に宮古工場精錬所が操業を開始しました。

 

そういうこともあってラサ工業宮古工場の宮古市もかなり昔になりますがそれなりに街がにぎわっていたというのですから、宮古市もそれなりに活気もありました。

 

そしてc10 8号機ですが現役時代はというと、ラサ工業宮古工場で使われる資材を積んだ貨車や空になった貨車を運ぶ役目を担っていましたが、

 

こうした工場があるところには必ずというくらいに工場で使う資材を運ぶ専用線がありますが、ラサ工業宮古工場の専用線も最盛期にはそれなりに忙しかったということになります。

 

 

それとラサ工業宮古工場にはc10 8号機と予備機としてc11 247号機もいましたから、

 

 

引用先 https://ameblo.jp/shigerin1/entry-10829193516.html


国鉄で使われたタンク機関車が2種類揃っていたということになります。

 

 

c10 8号機はいつ役目を終えたのか?

 

 

引用先 http://c5557.photoland-aris.com/0001/rasa-miyako1976-1.htm

 

ラサ工業宮古工場で使われていたc10 8号機ですが、役目を終えたのがいつだったかというと、1976年の4月でその役目を終えましたが、それ以降はDLが工場と磯鶏駅との間で貨車の受け渡しをしていましたが、そうなるとc11 247号機が廃車になったのもその辺になるのではないでしょうか。

 

そして1986年の11月のダイヤ改正によりラサ工業宮古工場から伸びていた専用線も廃止となったということで廃車となり保管されていましたが、

 

 

翌年に宮古市に譲渡されて宮古臨港線を走るSLしおかぜ号として復活しましたが、これも長くは続かず最終的には、大井川鉄道に引き取られて今日に至ったということですが、1976年の4月からラサ工業専用線については貨車の受け渡しについてはDLになりましたが、その際、c11 247号機も廃車とならずに残していたらどうなっていたでしょうか?一つの可能性として大井川鉄道に引き取られて使われていたということもあり得たのではないでしょうか。