引用先 http://geo.d51498.com/zensin7040/miyazakicyokuzyusai1.htm
c11もお召し列車を担当することがありましたが、なぜ?C11がお召し列車を担当したのでしょうか。そして最後に担当したのはいつなのでしょうか?
●c11がお召し列車を担当した理由とは?
蒸気機関車時代に運転された列車で一番の花形といえばお召し列車ですが、お召し列車といえばc57がよく担当していましたし、d51もお召し列車を担当することがありましたから、蒸気機関車時代の花形列車になります。
c11もお召し列車を担当することがありましたが、担当した路線がローカル線というこで、c57などが入線することができなかったからc11がお召し列車を担当しました。
●c11はいつからお召し列車を担当したのか?
引用先 https://kisuki-line.jp/know/history/photo
c11がいつからお召し列車を担当したというと件については、1962年の10月の岡山国体の時がc11が初めてお召し列車を担当しましたが、
この時は津山線の岡山から津山までの区間を、c11180とc11186が重連運転で担当しました。
そして2度目は1966年の10月の大分国体の時で、この時は三角線の熊本から三角、三角から熊本の区間を担当しましたが、この時担当したのがc11190とc11161で、熊本から三角に向かう時はc11190が、そして折り返しの三角から熊本までをc1161が担当しましたが、国鉄時代Vol.33の34ページの下の方に三角線で往路を担当したc11190の写真が
35ページには熊本機関区で撮影されたお召し指定機のc1161と190そして予備機の62が並んで撮影された写真が出てきてていますが、
大井川鉄道で使われているc11190は、現役時代にお召し列車を担当していましたし、今、動態保存されている蒸気機関車で唯一のお召し列車をけん引した車両になります。
3回目にc11が担当したお召し列車は、1967年の4月に岡山県で開催された全国植樹祭の時に赤穂線と津山線で運転されました、この時は赤穂線でc11251が津山線ではc11251とc1143が重連運転で担当しましたが、
この時、運転されたc11が担当したお召し列車の写真が国鉄時代Vol.33の40ページから41ページに出ていますが、特に41ページの上の方には本務機と予備機の写真が掲載されていますが、この時のために準備された本務機と予備機のデフレクターに美しい装飾が施されていました。
4回目にc11が担当したお召し列車は、1969年の10月の長崎国体の時で、区間は松浦線でした。松浦線といえばc11がよく似合う路線の一つとしても有名な場所でありました。
この時担当したのが佐々機関区のc11165になりますが、c11が担当したお召し列車はすべて国体絡みの運転で、全国植樹祭での運転はあまりなかったということでした。
●c11が最後にお召し列車を担当したのか?
引用先 http://geo.d51498.com/zensin7040/miyazakicyokuzyusai1.htm
c11が最後にお召し列車を担当したのは、1973年の4月に宮崎県で開催された全国植樹祭の時で、この時運転されたお召し列車は、日豊本線でc57117号機が担当したということでも有名でしたし、蒸気機関車による最後のお召し列車でもありましたが、
日豊本線でc57117号機が担当した時は雨模様の中で運転でありましたが沿線に多くの方が撮影に来ていました。この時、c11が担当した区間は日南線の宮崎から串本、青島から宮崎の区間を担当し、往路はc11200とc5692の重連運転で、復路の青島から宮崎までc11200が担当しましたが、
この時c11200と重連を組んだc5692は前年の鹿児島で10月に開催された太陽国体の時にc5691とともに重連を組んで日豊本線や枕崎線を担当して、
そして翌年の宮崎で開催された全国植樹祭で再びお召し列車に抜擢されたというのですから、運のいい機関車だったということになりますが、c11が担当したお召し列車は津山線などのローカル線であったということで、
c11にお召し列車を担当することになりましたが、それでも大井川鉄道でc11190号機が今も残っているのですから、お召し列車を担当した機関車の方では運いい車両ではないでしょうか。