本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

c11の活躍:20系寝台特急さくらの運行区間とその理由とは?

 

 

 


引用先 https://mypac.exblog.jp/22916134/


c11にまつわる話として20系時代の寝台特急さくらの佐世保編成で早岐から佐世保の間を担当しましたが、なぜそうなってしまったのでしょうか。

 

 

 

 


c11が担当した20系のさくらの佐世保編成には変わった車両が連結されていた。

 

 

 

引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/96759

 

20系時代の寝台特急さくらですが、肥前山口で長崎編成と佐世保編成に分割されて運転されていましたが、20系時代の寝台特急さくらは集中電源方式で、長崎編成に電源車のカニ21が連結されていました。

 

それで佐世保編成はというと、簡易電源車のマヤ20が連結されていましたが、マヤ20ですがそのルーツは、最初はスハ32として作られ、戦後になってから半室食堂車のオハシ304~5に改造された車両ですが、

 

オハシ30が登場した理由は戦後という時代で食堂車はすべて進駐軍が管理していた関係で、一般向けの食堂車はなかったということもあり、それであれば何か暖かいものを提供できる車両をということで改造されたのがオハシ30で、そのうちの4番、5番がスハ32から改造された車両になりますが、

 

蛇足的な話になりますがオハシ30はオハ35から改造された1~3もありました。

 

マヤ20にはスハ32から改造された10番台もありますが同じ車両でありながらも窓配置などが異なっていましたが、c11が担当した佐世保編成にはマヤ20が連結されていました。

 

 


c11がなぜ?20系のさくらの編成の佐世保行きを担当したのか?

 

 

 

引用先 http://locomotivesteam.web.fc2.com/PhotoNagasaki.htm

 

20系時代の寝台特急さくらですが、佐世保行きの編成は肥前山口で分割して早岐まではdd51が担当していました。

 

そして早岐から佐世保までの区間でc11が担当していましたが、なぜ?c11が早岐から佐世保までの間で寝台特急さくらを担当したかというと、

 

 

早岐駅に構内がスイッチバックになっている関係で、到着した寝台特急さくらの機回しを行う時間を惜しんだということで、

 

 

c11が早岐から佐世保の間だけ20系で編成された寝台特急さくらを担当したとことになりますが、c11が寝台特急さくらを担当した裏には早岐駅に構内の線路の配置が絡んでいました。

 


c11が担当した寝台特急さくらの編成は?

 

 

引用先 https://sl-taki.blog.ss-blog.jp/2008-04-10

 

c11が担当した佐世保行きの寝台特急さくらですが具体的な編成は、東京方向から順にdd51、マヤ20、ナハネ20×5、ナハネフ22、c11になりますが、20系時代の寝台特急さくらですが佐世保編成にもプルマン式のA寝台車のナロネ21が連結されていましたが、

 

まだこの当時ですが20系の寝台特急は花形列車でありましたから、寝台特急さくらの佐世保編成にA寝台車が連結されていたのも、それだけの利用客がいましたが、

 

それが14系14形になってからは、佐世保編成についてはB寝台車だけの編成に変わってしまいました。

 

じゃあ?c11がいつまで寝台特急さくらを担当したかというと、1965年から1968年の9月までで、10月からは肥前山口から佐世保までの区間dd51が担当することになりましたが、それでも3年ほどですがc11が寝台特急を担当したというのも早岐駅に構内の線路の配置が大きく関わっていたということでありました。