本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

蒸気機関車c58が担当した急行大雪と変遷の記録。

 

 


引用先 https://news.livedoor.com/article/detail/24168146/

 

c58が担当した列車の中で、一番有名な列車が急行大雪で、担当した区間は北見から網走になりますが、急行大雪とはどんな列車だったのでしょうか。

 

 

 

 


c58が担当した急行大雪は道内でも古参の急行列車だった。

 

 



引用先 http://www.sl-story.jp/04/yoru_041.html

 

今は特急列車として旭川から網走を結ぶ特急大雪ですが、そのルーツをたどっていくと道内でも古くから運転されていた優等列車でありましたが、

 

急行大雪運転が始まったのは1950年の11月からで、その当時の急行大雪は函館と網走を結ぶ急行列車として運転されていましたが、まだ、この当時の北海道には本格的な特急も運転されていなかった関係で、函館と道東を結ぶ列車は長距離を走る普通列車が運転されていましたが、急行大雪函館と札幌との間だけが急行で、札幌より先は普通列車として運転されていましたが、

 

急行大雪には旧1等寝台車のマイネ40が連結されていましたが、この車両も最初は進駐軍が発注した車両を国鉄が、引き取ったといういわくありげの車両ですが、それだけ急行大雪の重要性を表していますが、急行大雪に連結されていたマイネ40は、北海道と本州との間を連絡船で航送されていましたが、

 

本州から来るときは上野と青森を結んでいた急行みちのくに連結され、青森に到着後連絡船で航送され函館まで到着したのちに、急行大雪に連結され札幌までの運用まで入っていましたが、翌年の1951年の5月に津軽海峡に浮遊機雷が見つかったこともあり、旧1等寝台車のマイネ40も連結されることなく、ただの座席車だけで編成された列車となりましたが、

 

 

c58も急行大雪が運転が、はじまった当初から北見から網走の区間を担当したいましたが、その裏付けとなる資料がガイドブック最盛期の国鉄車両 蒸気機関車編2118ページに1947年の3月末のc58の配置状況の表が出ていますが、その当時、道内で一番多くc58が配置されたのが苗穂区の16両で、次いで釧路区の14両になりますが、この時点ですでに釧路区の車両は釧網本線も担当していましたから、それから3年後に釧路区のc58が急行大雪を担当していたということになります。

 

 

c58は急行大雪の一つ前の準急時代の石北も担当していた。

 

 



引用先 https://raillab.jp/photo/46066

 

c58が担当した急行大雪はこの後、運転区間旭川までと短縮されますが、その代わりに1958年の7月のダイヤ改正によりこれまで函館と網走を結んでいた準急列車石北という名前がつき、小樽から網走の間にマロネロ38が連結されるようになりましたが、

 

準急石北ですが名前がつく前からその当時の2等寝台車、今でいうB寝台車のナハネ10も連結されていましたから、準急石北はその後の、急行大雪へと繋がる重要な役目を果たしたということになります。

 

そして1968年の10月のダイヤ改正で、準急石北も急行大雪へと統合されたことで、札幌と網走を結ぶ列車に変わりましたが、c58は引き続き、準急石北時代と変わらず北見と網走の間を担当していましたから、急行大雪ができた当時からの縁が続いていたということになります。

 

 


c58が担当した急行大雪で有名な車両といえば。

 

 

 

引用先 http://homepage3.image.coocan.jp/taisetu.html

 

北見機関区のc58が担当した急行大雪には、この当時、全国的にも数少ない車両を連結していましたが、それがオロハネ10です。

 

 

 

引用先 https://expechizen.exblog.jp/31238421/

 

オロハネ10は客車の半分がA寝台で、半分がB寝台になりますが、準急石北時代から連結されている車輌でc58ともそれなりの縁で繋がっている車両になりますが、

 

オロハネ10については道内で使われていた列車は、急行大雪のほかに急行利尻にも連結されていましたが、本州では見かけることができなくなり、晩年は北海道だけでしか見かけることができなくなった優等客車ということでも有名な車両でありました。

 

急行大雪に連結されたオロハネ10は1978年に急行大雪の運用から外れ、B寝台車のオハネ12へと変わりましたが、最後までオロハネ10が連結されていた急行列車としても知られていましたが、このような車両が今の時代にあったらどんな旅行ができるのかなとも思いましたが、オロハネ10は急行大雪を担当したc58よりも少しだけ長く活躍しました。

 


c58が担当した急行大雪は、函館と網走を結ぶ列車がすべての始まりであり、その後いろいろな変遷をへて札幌と網走との急行へと変わっていきましたが、カトーからも製品が出ていましたが、今ではなかなか手に入りにくいものとなっているだけに、今後、再生産してもらいたい製品になりますし、その際に、北見機関区に配属されていたc58も製品化してもらえたらと思いますし、33号機も製品化してもらいたいものです。