本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

c58が担当したお召し列車の運転記録と路線はどこだったのか?

 

 

 



引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/8745

 

c58もお召し列車を担当しましたが、最初に担当したのはいつで最後はいつだったのでしょうか?

 

 


c58がお召し列車した回数はあまり多くなかった。

 

 


引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/8745


c58もお召し列車を担当することもありましたが、戦後運転された蒸気機関車によるお召し列車で頻繁に使われた車両といえば、山岳線などではd51が使われ、使いやすさと整備のしやすさの面ではc57がよく使われていました。

 

そうしたこともありc58がお召し列車を担当するということは、多くありませんが、それでも時々お召し列車を担当することもありましたが、その理由はというと、c57などが入線できないということでc58がお召し列車を担当したということでありました。

 

 


c58がお召し列車が担当したのはいつからか?

 

 


引用先 http://kantera128.blog79.fc2.com/blog-entry-572.html

 

c58が担当したお召し列車の件についてですが、国鉄時代Vol.33成田冬紀さんがまとめた戦後になってから運転されたお召し列車の記録から拾っていく限りでは、


c58が最初にお召し列車を担当したのが、1953年の10月の四国国体の際に土讃線予讃線で運転されたのが最初で、この時は、御料車旧1号編成で、運転されたお召し列車の画像が国鉄時代Vol.33の43ページの下の方に出てきていますが、本当に貴重な画像になりますが、こうした画像が残っていることが奇跡的ではないでしょうか。

 

 

そして翌年の1953年の8月に開催された北海道国体の際に、釧網本線の網走から屈斜路までの区間で、釧路機関区のc58の106号機と北見機関区のc58の83号機の重連運転になりましたが、

 

この年の北海道国体の際に運転されたお召し列車小樽築港のc57函館機関区のd51が担当したりと、いろいろな機関車がお召し列車を担当しました。


それからしばらく空いたのち、1961年の10月に開催された秋田国体の際には、荒谷新町から盛岡までの区間花輪線経由で運転されましたが、この時は花輪線経由でハチロクこと8620とc58の重連運転となりましたが、c58がお召し列車を担当した際に他の蒸気機関車と組み合わさったのは、この時限りでした。

 

そして、1965年から68年にかけてc58が集中的にお召し列車を担当するということが頻繁に起きましたが、この時がc58が担当したお召し列車の運転の中でも一番輝いていた時になりますが、


c58が担当したお召し列車は、1965年の10月の岐阜国体1966年の4月の愛媛県で開催された全国植樹祭で、4月19日に運転された予讃本線の宇和島から松山までの区間松山区のc58の294号機多度津区のc58の43号機が重連で担当しましたが、四国地方ではc58が使われていた関係で、お召し列車を担当しました。


この時、運転されたお召し列車の画像がが国鉄時代Vol.33の43ページの上の方に出ていますが、画像を見る限りでは2台とも重油併燃機で煙突に集煙装置を装備していますから、集煙装置を装備したc58が担当した貴重なお召し列車の画像となりますが、このような貴重な画像もあるところにはあるということになりますが、1966年はc58が10月の大分国体の際にも、重連運転お召し列車を担当しました。

 

担当した区間は、10月25日は豊肥本線の大分から三重町の間を往復する形で、大分運転所のc58の105号機と350号機による重連運転で、久大本線の大分から由布院27日の由布院から日田の間を大分運転所のc58の277号機と115号機による重連運転28日の豊肥本線の赤水から熊本までの区間も引き続き、大分運転所のc58の105号機が担当しましたが、1966年には3度にわたって重連運転でc58がお召し列車を担当した年になります。


そして翌年の1967年の4月に岡山県で開催された全国植樹祭の時にも運転され、姫新線の津山から中国勝山と中国勝山から姫路までの区間津山区のc58の315号機が担当し、撮影された画像も国鉄時代Vol.33の40ページに出てていますし、この時はc11も重連運転お召し列車も担当しましたが、

 

この時撮影されたc58とc11の画像が、国鉄時代Vol.33の41ページの上の方に出てきていますが、それぞれの機関車のデフレクター鳳凰レリーフなどが施されていましたが、この時がc58が一番最後に担当したお召し列車になります。

 

 

c58のお召し列車上皇様が皇太子の時にも運転されていた。

 

 

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/123374

 

 

c58が担当したお召列車は、上皇様が上皇后さまとご成婚なされた1954年の4月に伊勢神宮橿原神宮を参拝なされた時にも運転されましたが、その時は名古屋機関区のc58 216号機名古屋から亀山区間を担当し、御料車旧2号編成が使われましたが、

 


この時は山田から奈良、そして畝傍から亀山までの区間奈良機関区のc57が、前に1台そして後ろの補機として1台ついて運転されたということもありましたが、

 


c58が担当したお召し列車は、単機での運転よりもむしろ重連での運転の方が多かったということでしたが、c58も何かとお召し列車との縁があったということでした。