引用先 https://raillab.jp/photo/218738
国鉄時代には試作の車両もいろいろとありましたが、その中でef80の母体となった車両がありますがそれがed92ですが、どんな車両だったのでしょうか。
●ed92形交直流電気電気機関車が作られたその理由とは?
引用先 http://steam.fan.coocan.jp/topic/topic7.htm
ed92形電気機関車ですが、常磐線を電化する際に、手取までは直流で電化したのはいいのだが、その先をどのようにするかという問題が発生しました。
そしていろいろと検討された末に、交流で電化することとなりましたが、なぜ?手取から先も直流でなくて交流で電化するのかというと、
気象庁の地磁気観測所が茨城県の石岡市柿岡にあるということで、地磁気に影響が少ない交流に決まったのはいいのですが、
そうなると今度はこの区間を走らせる車両については交直流の車両にしなければならないという問題が生じました。そうした中でどんな機関車を作ったらいいのかということでその当時の国鉄でも悩んでいたということでありましたが、
まだ、この当時ですが貨物も普通列車などの旅客列車も機関車が担当していた時代ですから、当然、常磐線で使うのであればそれなりの性能を持った機関車が必要だったということで、
その当時の国鉄が常磐線で使う電気機関車については二つ計画していたということで、
・旅客についてはdクラスの電気機関車。
・貨物についてはfクラスの電気機関車。
ということで試作車として作られたのが旅客用のed46のちのed92となりますが、ed92については落成した当初からローズピンクの車体でありましたから、その当時の国鉄の関係者から見ても斬新な色づかいであったということになります。
●ed92形交直流電気電気機関車は本当に不運な車両だった。
引用先 http://dailylifetetu.blogspot.com/2017/08/ed92.html
そうしたことがあって試作されたed92形電気機関車ですが、その後、国鉄の中でもむしろ旅客と貨物を別々に運用するよりも一つにまとめた方が効率的ではということで、
当初の計画であった旅客と貨物をそれぞれ専用の電気機関車で運用するということが消えて、その代わりに出てきたのがef80になりますから、
そういう意味でもef80について国鉄が考えていた常磐線で運転する旅客と貨物を分け隔てなく運用できるようにと開発された車両になりますが、この辺についてはその当時の国鉄内部でも常磐線の電化後をどうするかということで迷走していたということになりますが、
そういう意味でもed92形電気機関車も国鉄の考えに振り回されてきた不運な機関車になりますが、こうした1形式1両という車両については本当に不運としか言いようがありません。
●ed92形交直流電気電気機関車は最後どうなったのか?
引用先 https://blogtag.ameba.jp/news/%EF%BC%A5%EF%BC%A492%E5%BD%A2
常磐線の電化を巡った末に誕生したed92形交直流電気電気機関車ですが試作車ということもあり、ef80が出てきてからは田端機関区に転属しましたがあくまでも予備機ということで、
本線での運転も再開されないまま、今度は国分寺市の中央鉄道学園に教習用として移動したのち、1973年に再び田端機関区に戻り、それから2年後の1973年の5月に大宮工場で解体されてしまったというのですが、
ed92については試作車であってもその後の交直流電気機関車の母体となった車両ですからそれなりに意義があった車輌ではないでしょうか。
それであれば廃車にせずに何らかの形で残すべきだったのではないでしょうか?
もし残っていれば画期的な電気機関車という意味で、準鉄道記念物などになったのではないでしょうか。