本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

c56には集煙装置を装備した車両や炭鉱鉄道向けに作られた車両もある。

 

 

引用先 http://slgenneki.blogspot.com/2017/10/c56-1973218.html

 

c56には集煙装置を装備した車両や、樺太向けに作られた車両、雄別炭鉱鉄道向けに作られた車両もありましたが、なぜそれらの車両は作られたのか?

 

 

 

 

 


c56で唯一集煙装置を装備した126号機。

 

 

 



引用先 http://pleiades.la.coocan.jp/month/C56126.html

 

蒸気機関車が装備した集煙装置はd51がよく集煙装置を装備していたのは、有名な話でありますが、d51の場合は山岳路線で使われていたということで集煙装置を装備していましたが、

 

c56でも126号機が集煙装置を装備していたというのはよく知られていますが、c56126号機ですが、現役時代はというと大糸線で使われていましたが、大糸線については途中から非電化線ということで、キハ52が最後まで使われていたということでも知られていますが、


c56126号機が装備した集煙装置は長工式ですがいつ付けられたのかという点などについては不明でありましたし、実際に効果はあったのか?という点も不明であります。

 

そして大糸線無煙化になったあとは、廃線となった三江線ですが、ここもc56が使われていたということで、その当時は三江北線で浜田機関区に配属されていましたが、

 

三江北線も無煙化になったことでc56126号機については廃車となりましたが、今は山梨県小淵沢町の小学校に保存されています。

 

 

c56には樺太向けに作られた車両もあった。

 

 

 

引用先 http://b767-281.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/c56-44-96cb.html

 

c56の同形車として樺太庁鉄道向けに作られたc52形がありますが、なぜ?樺太庁向けのc56が作られたかというと、日露戦争南樺太が日本の領土となったことで、樺太で運転されていた鉄道についも日本の鉄道と同じく狭軌の間1,067 mmになりました。

 

 

そういうこともあって樺太向けのc56が作られたというのですが、c56は鉄道省の規格では簡易線向けに作られた車両でトン数も軽かったということもありました。

 

 

そうしたこともあって樺太庁鉄道C52形が作られましたが、樺太向けのc56ですが運転台が密閉式になっていましたが、その理由も樺太はとにかく寒いということで防寒対策で運転台が密閉式になりましたが、これは樺太という場所柄も絡んでいました。

 

それで樺太庁鉄道C52形ですが1943年に南樺太も内地化により鉄道省編入され樺太庁鉄道C52形はc56161~164となり、さらに1944年にはc56103と152が樺太鉄道局に移動しましたが、日本が太平洋戦争で敗戦したことでこれらの車両もすべてソ連に接収されましたが、その後のことは不明となっています。

 

c56には雄別鉄道向けに作られた車両もあった。

 

 

 

引用先 http://katte-kimama.twinstar.jp/railway/Special/FavoriteC56/Coment/C561001.htm


c56には、釧路にかつてあった雄別炭鉱向けに作られた車両もありますが、道内の炭鉱でも戦前の鉄道省で使われていた車両と似た車両を発注したということもありますが、

 

その一例が三菱美唄で使われていた4110の後期型と同じ車両ですが、4110大正時代に作られたe型の蒸気機関車で現役時代は肥薩線奥羽本線板谷峠で使われていましたが、動輪が5軸ということで急な勾配でも踏ん張りがきき重たい列車も引くことができるということもあり、三菱美唄鉄道では自社発注機以外にも国鉄で廃車となった4110も使っていました。

 

それで雄別鉄道になぜ?c56と同じ車両があったのかということについては不明ですが、形式については1001で1941年に三菱重工で作られた車両ですが、雄別鉄道時代は旅客列車で使われていましたが、

 

先輪脱線が起きたことで使用停止となり、雄別鉄道自体も1970年に廃止となり、雄別鉄道の1001も廃車解体処分されましたが、

 

c56については地方の私鉄でもいてもおかしくない車両ですが、実際にあったのは雄別鉄道の1001だけでありました。