引用先 https://raillab.jp/car/69679
JR東海に所属したキハ47ですが他の会社とどんなところが違っていたのでしょうか。
●キハ47でJR東海に所属した車両についてはエンジンを乗せ換えていた。
引用先 https://raillab.jp/car/69149
今では限られた場所でしか見ることができなくなったキハ47ですがかつてはJR東海にも所属していましたが、
JR東海で使われていたキハ47については同じ系列のディーゼルカーを所有していたJR東日本など他の会社と違い、エンジンをカミンズ製エンジンに乗せ換えていましたが、なぜ?JR東海のキハ47がエンジンを乗せ換えたのかというその理由は、
キハ47がこれまで積んでいたエンジンでは馬力が足りなかったということでカミンズ製エンジンに乗せ換えたということになりますが、この辺については今もJR九州で使われているキハ47がエンジンを乗せ換えたのと同じことではないでしょうか。
そうしたこともあってJR東海のキハ47については5000番台という形式区分が発生したということになりました。
●キハ47でJR東海の車両といえばあのカラーリング。
引用先 http://tamanotetsu.floppy.jp/jrtkiha40mino.html
JR東海で使われていたキハ47も含めてキハ40系全体についてはアイボリー地に湘南色帯という塗り分けでありましたが、これ、飯田線で使われていた119系もそうでしたし、身延線で使われていたクモハ123系の5000番台でも同じカラーリングであったということはよく知られていますが、
その一方で急行列車などで使われていたキハ58などではアイボリー地に湘南色帯の車両がなかったということでも知られていましたが、
逆に言えばJR東海のローカル線で使われていた車両についてはアイボリー地に湘南色帯というのが当たり前だったということになりますが、今ではこの色も消滅してしまったということで、過去帳の世界に入ってしまったということになります。
●キハ47でJR東海の車両は廃車後、ミャンマーに譲渡されていた。
引用先 http://www.rbemania.com/rbe3022.html
JR東海に所属していたキハ47については廃車になった後ですがミャンマーに譲渡されていましたが、ミャンマーにはJR北海道で使われていたキハ40系なども譲渡されて現地で使われているということはよく知られていますし、
JR東日本から譲渡されたキハ38も使われているということでも知られていますからミャンマーについては別な意味で国鉄で使われていたディーゼルカーが最後に活躍している場所になります。
それでミャンマーに渡ったJR東海のキハ47ですがJR東海時代の姿をとどめながらもドアへのステップや手すりが設置されましたが、この辺については現地の駅の作りが日本と異なるということでありますし、
この他にも屋根についていたベンチレーターなども撤去された点を除くと車体の色についてはJR東海時代のアイボリー地に湘南色帯でありますが、何分、ミャンマーについてはいまだに軍事政権が続いているということで現地での写真撮影も難しいということになりますから、
簡単に現地で写真を撮影するということはできないということですから一日も早くミャンマーに安定した民主的な政権が誕生してもらいたいものになります。
そうなったあかつきには現地で使われているキハ47も撮影することができるということになります。