引用先 https://www.toretabi.jp/railway_info/entry-10886.html
キハ40ですが道内では急行列車にも使われていましたが、なぜ
キハ40が急行列車にも使われていたのでしょうか?
●キハ40が急行列車に使われていたその理由とは?
●キハ40が急行列車に充てられた実際のケース。
●キハ40形は臨時急行列車にも使われていた。
●キハ40が道内で急行に使われた列車は他には何があるのか?
●キハ40が急行列車に使われていたその理由とは?
引用先 https://4travel.jp/travelogue/11773529
キハ40形が道内で急行列車にも使われたその理由ですが道内で運転されていた急行列車でローカル線で運転されていた列車ではキハ22が使われていましたが、
キハ22が老朽化したこともあってその代わりにとキハ40形が急行に使われていたということでありましたが、
これまで使われてきた車両が老朽化すれば代わりの車両を選ばなければならないということですから、それでキハ40形を急行に使ったということになりますが、
キハ22については急行用のディーゼルカーとも比べても車内についてはあまり変わらないものでありましたが、キハ40形については運転台の後ろについてはロングシートでありましたから、接客の面でも劣っていたということになります。
●キハ40が急行列車に充てられた実際のケース。
引用先 https://raillab.jp/photo/5747
キハ40が急行に使われた実際の例としては札幌と岩内と蘭越との間で運転されていた急行らいでんにもキハ40が充てられていましたが、
引用先 https://trainmark.net/next/rw/raiden.html
鉄道ピクトリアル2007年の1月号の特集記事 急行列車の落日の急行列車の記録(1)の記事に胆振線経由循環急行いぶりに乗車した方がその時の編成などを記録していましたが、
いつ記録されたものかというと1980年の7月29日なりますが、この日の倶知安で急行いぶりの到着を待つ急行らいでん5号の編成ですが、1号車がキハ40で、2号車がキハ22になりますが1号車については岩内発、2号車は蘭越発で、倶知安で合流する形でさらに急行いぶりが増結されるという形になりますが、
この当時ですでにキハ40が急行らいでんの運用に充てられていたというのですから、キハ22と共通の運用であったのではないかと推測されます。
それと札幌と様似を結んでいた急行えりもも最後はキハ40形の2両編成で運用されていましたが、
実際に運用されていた写真がこれですが、
引用先 https://tefucyou.seesaa.net/article/201911article_29.html
キハ40 100番台ですが運転台と客室の間にデッキがあり、その後ろの部分がロングシートになっていますから、この部分がキハ22と大きな違いですが、本来ならば急行の運用に用いるべき車輌ではありませんが、
道内のローカル線で運転されていた急行列車に使える車両がなかったということで、キハ40を用いらなければならなかったということになります。
それと釧網本線で運転されていた急行しれとこの根室標茶行きの編成にも実際にキハ40が使われていましたが、実際の記録がネコパブリッシングから刊行されたJNR EXPRESSの読者の方達から募集した編成記録の北日本編の133ページに、
昭和59年の8月22日に運転された急行しれとこ4号の編成にキハ40が使われていましたが、この日の記録では網走まで向かう編成はキハ56が2両で、途中で分割され根室標茶に向かう編成の1両がキハ40 169で、もう1両がキハ22 116でありました。
●キハ40形は臨時急行列車にも使われていた。
これも過去の話になりますが、北海道では夏場になると観光シーズンということで、昔は道外から客車を借り受けるなどして臨時の急行列車も運転されていました。
そうしたともあって本来ならば本州で使われている車両が大量に北海道に押し寄せてきたということもありましたが、
これ、ディーゼルカーで運転されていた急行についても同じで、観光シーズンであれば急行用のディーゼルカーもフルに使われるということで、
普段であれば普通列車で使われている車両が臨時の急行列車であったり、通常の急行列車の増結用として使われるということになりますが、
実際にあった編成がJNR EXPRESSの読者の方達から募集した編成記録の北日本編の133ページに、
昭和59年の8月18日に運転された臨時の急行利尻51号の編成記録がありますが、この日運転された臨時急行利尻51号ですがどんな編成だったのかというと、
1号車から2号車までがキハ56で3号車から4号車までがキハ40でありましたが、普段であればこのような編成は見かけることはありませんが、
夏場の観光シーズンということで運転された臨時列車ですからこのような編成になってしまったということになりますが、
このような編成については道内で運転されていた普通列車で見かけることができたものと変わらないものですが、あの当時であれば急行用の車両も足りないということですからこのようなケースになるということでありました。
●キハ40が道内で急行に使われた列車は他には何があるのか?
引用先 https://itreni.net/jnrkeishikipage/dc/dc40/jnrdc40_100.html
あと、実際にキハ40が急行に使われた例ですが、4241.キハ40系・888両のキセキ その6 キハ40系「遜色急行」列伝に実際にキハ40が使われたのではという列車の名前が出てきていますが、
上記のサイトの記事では、
① かむい(札幌-旭川)※ただし支線区直通車を併結した列車のみ
② そらち(札幌-滝川)※①の後身
③ ちとせ(札幌-苫小牧-室蘭)
④ えりも(札幌-苫小牧-様似)
⑥ 狩勝(札幌-富良野-帯広-釧路)
⑦ 池北(帯広-北見)
⑧ しれとこ(釧路-根室標津・網走)
(出典:①~⑤、⑦、⑧に関しては鉄道ピクトリアル平成20年7月号。
⑥については、昭和62年8月に管理人自身が実際に乗車している)
になりますが、これらの列車について本当はどうだったのかということについていろいろと調べてみますと、
札幌と旭川の間で運転されていた急行かむいについてですが、いつからキハ40が使われていたかというと、昭和55年10月1日ダイヤ改正のかむい13号の1,3号車に使われていましたが、
かむい13号ですが小樽発の旭川、富良野、増毛行きにさらに幌延と旭川を結ぶ急行るもいも連結していました。
急行かむいとるもいについてはその後も引き続きキハ40が使われていましたが、昭和60年3月14日から、キハ40+キハ40という説もあります。
・急行そらち
昭和63年の3月13日から平成2年8月までで9月のダイヤ改正で廃止になりましたが。
キハ40以外にもキハ54も充当されていたという話もあります。
昭和59年2月1日から昭和61年10月31日までで、急行大雪1号は旭川から興部、急行大雪4号は旭川から名寄になりますが、キハ22も使われていました。
・狩勝
昭和61年の11月から平成2年の9月まででキハ40以外にキハ56も使われていました。
それと急行ちとせと急行池北についてはキハ40が使われたのかということが確認することができませんでした。
キハ40ですが、ローカル線から乗り入れる急行列車にも使われていたというのも道内のローカル線向けの急行用の車両がなかったということでありましたが、これも今では昔話になったということでありました。