本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

急行宗谷などで活躍したキハ400とはどんな車両なのか?

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/3041


キハ40系には北海道だけで使われていた急行用のキハ400がありましたがなぜ?キハ40から改造されたのでしょうか?

 

 

 


キハ400が登場したそもそも理由は急行列車が遅くなったこと。

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/5556


宗谷本線で急行宗谷などで活躍したキハ400ですがなぜ?キハ40から改造されたその理由ですが、

 

札幌と稚内の間で運転されていた昼間の急行については宗谷本線経由で運転されていた急行宗谷と廃線となった天北線経由で運転されていた急行天北がありましたが、

 


これらの急行に使われていた車両はキハ58系の一員で北海道向けのキハ56を使っていましたが、晩年は車両も老朽化したということで、

 

接客面でもあまり評判がよくなかったということでそこでこれまでディーゼルカーで運転していた急行宗谷と天北を14系14型の座席車にしてみたら、今度はディーゼルカー時代よりも速度も遅くなったということもありましたし、

 

さらに急行利尻の編成が折り返し稚内発札幌行きの急行宗谷や天北に入るというのですが、急行利尻については寝台車も連結した夜行の急行になりますから当然、寝台車の下段を座席として使うということになりますから、ディーゼルカー時代よりもサービスの著しく低下してしまったということになりました。

 

そんな最中に札幌駅が高架されるということで、客車から再びディーゼルカーで運転することになりましたが、

 

肝心な車両についてはキハ40を改造することとなりました。ということでキハ400が登場したということになりますが、

 

この辺については国鉄時代の影響をJRになってからも引きずっていたということになりますが、それだけ宗谷本線の高速化が遅れていたということでありました。

 

 


急行宗谷などで使われたキハ400とはどんな車両か?

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/96134


急行宗谷などで使われたキハ400元をたどればキハ40から改造された車両になりますし、キハ400以外にもキハ48 304や1300番台から改造されたキハ480もありましたが、その結果、キハ48 1300番台については区分番台が消滅した車両となり、キハ48 304トイレを撤去することとなりました。

 

そういうこともあってキハ400とキハ480が誕生して急行宗谷や天北などに使われましたが、ただ繁忙期にはキハ56も増結して運転していたということもありました。

 

 

 

キハ400で急行宗谷以外に使われた列車はあるのか?

 

 

 

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/96456

 

急行宗谷でも使われていたキハ400ですが、急行宗谷以外にはというと、今は廃線となった天北線で運転されていた急行天北もありましたが、

 

札幌と稚内を結ぶルートについては日本海周りの宗谷本線オホーツク海側を走る天北線の二つのルートがありましたが、

 

天北線については開通した当初は宗谷本線で、その後、新たに開業した路線が宗谷本線となったことで元からあった路線が天北線へと変わりましたが、その後、天北線については廃線となり、今はバス路線となりましたが、この路線も今後はどうなるのでしょうか?

 

 

それとキハ400が使われた急行急行宗谷や天北の他に、札幌と東室蘭の間で運転されていた急行ちとせありましたが、

 

なぜ?急行ちとせにキハ400が使われたかというと、これも合間運用で札幌に到着した急行天北の空いている時間に使われていましたが、これも平成元年3月11日から平成2年の8月までで、9月ダイヤ改正で廃止になりましたが、

 

唯一キハ400で運転されていた急行でヘッドマークがつかない編成でありましたし、実際に運転されていた時の編成が、札幌方向からキハ400+キハ480+キハ400でありました。

 

あとと急行利尻にも使われていたということは良く知られていますが、急行利尻ではさらにスハネフ14を連結していましたが、

 

その後、キハ400がお座敷用の車両に3両改造された関係で不足分としてキハ182が3両改造され連結されるようになったというのですが、

 

そこまで行くと実際の編成がまるで鉄道模型のような編成になってしまったということでも有名な急行列車でありました。

 

 

急行宗谷などで活躍したキハ400の晩年は札沼線で使われていた。

 

 

 


引用先 https://raillab.jp/car/68695

 

 

急行宗谷などで活躍したキハ400は、その後急行宗谷などが特急に昇格したことにより、キハ400からキハ40へと再び戻ることになりましたが、

 

その際ですが区分番台も330番台に変更され、札沼線今の学園都市線で使われていましたが、札沼線もキハ40が活躍した路線でありましたが、そこに冷房車が登場したというのですからこれ、沿線の方達にとっては朗報だったのではないでしょうか。

 

そんな札沼線もその後、電化されたということでキハ400から改造されたキハ40も役目を終えたということになりますが、キハ400ほど波乱な生涯を経験したディーゼルカーではないでしょうか。