引用先 https://blog.goo.ne.jp/mihoshi55/e/186e5c05ee582848c9a038290b6d9ace
お召し列車といえばこれまでにいろいろな機関車が担当しましたが実は機関車デゴイチもお召し列車を担当したことがありました。
●機関車デゴイチは何回?お召し列車を担当したのか?
●機関車デゴイチがお召し列車を最初に担当したのは昭和22年だった。
●機関車デゴイチが公式行事でお召し列車を担当したのはいつか?
●機関車デゴイチの標準型が非公式行事でお召し列車を担当したのはいつか?
引用先 https://www.city.nakatsugawa.lg.jp/soshikikarasagasu/bunkashinkoka/2/15286.html
機関車デゴイチの標準型もお召し列車を担当したことがありますが、実際に何回?お召し列車を担当したかということについては、
最盛期の国鉄車両ガイドブックの16巻のD51の回にも出てきていますが、
機関車デゴイチの標準型がお召し列車を担当した回数は7回になりますが、
その内訳はというと、
公式行事での運転が4回、
非公式行事での運転が3回となりますが、
お召し列車の公式と非公式との違いはなにかというと、
これに対して非公式についてですが須崎や葉山の御用邸に行く際になりますし、
公式行事での運転の際には日章旗が付きますが、
反対に非公式行事では日章旗がつかないということになります。
●機関車デゴイチがお召し列車を最初に担当したのは昭和22年だった。
機関車デゴイチが最初にお召し列車を担当したのはいつなのかというと、
太平洋戦争が終わってから2年後の昭和22年の10月になりますが、
この時は、昭和天皇が全国各地を訪れた際に新潟県に立ち寄られた際に運転された
列車ですが、
担当したのが新津機関区で使われた車両がd51 1107号機でありますが、
引用先 https://twitter.com/tamrono157/status/1104719454653435904
この車両ですがデフレクターが木製のままで、
さらに給水加熱器も装備していなかった典型的な戦時型の機関車デゴイチででありましたし、
まだ、日本にアメリカなどの連合軍が駐留していたということもあり、
日章旗も付けずに運転されましたが、
この時が初めて機関車デゴイチがお召し列車を担当した最初の回になりましたが、
本来ならばあるはずのものがないだけにどことなくわびしさを感じさせるもので
あります。
●機関車デゴイチが公式行事でお召し列車を担当したのはいつか?
引用先 https://raillab.jp/photo/121764
戦後になってから機関車デゴイチが最初に担当したお召し列車については、
戦時型が使われましたが、
じゃあ?機関車デゴイチの標準型はどうなのか?
というと、
この場合、公式行事になりますが、
その辺については最盛期の国鉄車両ガイドブックの16巻のD51の回の153ページと国鉄時代Vol.33の特集記事がお召し列車がテーマでその中に、
成田冬紀さんがまとめた戦後運転された国鉄からJRになってからのお召し列車の記録があります。
それらを照らし合わせてみていきますと、
公式行事では、
昭和29年の8月の北海道国体の際に運転された記録では、
8月8日から翌日の9日にかけて函館から大沼、長万部の区間が函館機関区に配属されていたD51333号機で、
8月10日の追分から夕張、
8月19日の小樽から狩太、
8月21日の狩太から小樽までが、
小樽築港機関区のD51277号機が担当し、使われた客車ですが御料車旧1号編成になります。
この時、小樽築港機関区が担当した部分についてはSL甲組の肖像の3巻の小樽築港
機関区の回の2回目にも出てきていますし、
その時、担当した職員の方達と担当した2両のC57とD51の写真が34ページの
上に掲載されています。
そして次に機関車デゴイチの標準型がお召し列車に抜擢されたのが昭和33年の10月18日の富山国体の時に運転されましたが、
担当した機関区はというと高崎第一機関区のD51920号機が高崎から横川、長野機関区のD51736号機が軽井沢から長野、
同じく長野機関区のD51782号機が長野から直江津を担当し、この時使われた客車も御料車旧1号編成でした。
次に機関車デゴイチの標準型がお召し列車に抜擢されたのが昭和39年の6月の新潟国体の時に運転されましたが、
それはいつだったかというと
この時は6月10日の直江津から田口、6月12日の田口から長野までになりますが、
担当した機関区はというと直江津機関区でD51185号機が担当しましたが、
この時使われた客車も御料車新1号編成でした。
この時撮影された写真が国鉄時代Vol.33の特集記事のお召し列車の33ページの上の方に掲載されています。
●機関車デゴイチの標準型が非公式行事でお召し列車を担当したのはいつか?
引用先 https://raillab.jp/photo/123492
それとお召し列車については非公式行事での運転もありましたが、
非公式行事でのお召し列車の運転については昭和天皇の時代には、
栃木県にある那須の御用邸や静岡県の葉山にある御用邸に避暑として行く際に運転されましたが、
その際にはクロ157が使われましたが、この車両も登場した当初は157系で編成されていましたが、
その後、183系に変わり、
最後は185系に変わりましたが、その際にもカラーリングも185系と同じカラーリングになりましたが、
そうしたこともあって、この時葉山の御用邸に向かう時に運転されたお召し列車については、
ロクイチこと、ef5861号機が担当しましたが、
この時は非公式行事ということになりますから、
この時の話についてはSL甲組の肖像の東京機関区の2回目に出てきていますし、
その際に運転された画像もこの時の一番最後のページに出てきていますが、
唯一ロクイチこと、ef5861号機が担当した非公式でのお召し列車になりますが、
じゃあ?機関車デゴイチの標準型が非公式行事でお召し列車を担当したのはいつかというと、
昭和30年の7月25日と7月28日で軽井沢での避暑ということで運転されましたが、
担当した機関区はどこかというと高崎第一機関区でD51470号機が高崎と横川の間を担当しましたが、
この時、担当した乗務員の方達と撮影された写真が国鉄時代Vol.33の特集記事のお召し列車の33ページの左下に出てきていますが、
撮影された場所は横川機関区の構内で7月25日に撮影されたもので、
この時、使われた客車は御料車旧1号編成になります。
そして次に非公式行事で機関車デゴイチの標準型がお召し列車を担当したのが昭和35年の8月10日と8月30日になりますが、
この時は上皇ご夫妻がまだ皇太子時代の時で、
軽井沢で避暑を過ごすために運転されたもので、
担当した機関区が高崎第一機関区で、
D51817号機が高崎と横川の間を担当しました。
使われた客車はというと御料車2号編成になりますが、
まだこの当時ですがお召し列車に使われていた車両については2編成あり、
その違いはというと前者が天皇ご夫妻が利用し、
後者については皇太子さまが利用されていたということになります。
そして最後に非公式行事として、
機関車デゴイチの標準型が最後に非公式でのお召し列車を担当したのが昭和36年の3月26日に長野県を皇太子ご夫妻が訪れた際に運転されたものですが、
この時は長野機関区で担当した機関車がD51785号機が中央東線の甲府から松本の
の間を担当し、
この時から御料車新1号編成が使われ始めましたが、
機関車デゴイチの標準型についてはも公式、非公式行事を通じてお召し列車を担当した
というのですから、
お召し列車とも縁のある機関車だったということになりますが、
実際にお召し列車を担当した機関車デゴイチの乗務員の方にすれば本当に貴重な経験をしたいうことですし、
一生の思い出として残る出来事だったのではないでしょうか。