引用先 https://www.abamedyc.com/newsroom/?apollonicon/kasm703886.html
機関車デゴイチが3重連で担当した貨物列車といえば伯備線の新見から布原信号所の区間で撮影された2492レも有名でしたが、
そもそもなぜ?2492レが3重連になったのでしょうか?
引用先 https://plaza.rakuten.co.jp/tyuri/diary/200802250000/
機関車デゴイチが担当した列車として有名なのが伯備線で運転されていた2492レでありますが、
この列車ですが足立にある足立石灰工業の工場から姫路に出荷される石灰石を運ぶための列車でありましたが、
石灰石については鉄を作るうえでも欠かせない物資であるということはよく知られています。
そうしたこともあって首都圏でいえば奥多摩で採掘された石灰石が青梅線から南武線そして鶴見線経由で運ばれていたということになりますから、
伯備線で運転されていた2492レについても同じ目的で運転されていた列車になりますが、
それが注目を集めるようになったのですから、
SLブームがどれだけ大きな影響を世間に与えていたかということを表していました。
それで上記の列車ですが、
3重連になったそもそもの理由はというと、回送用の機関車の送り込みということで、
2492レが3重連になったということでありましたが、
引用先 https://nagaoka0924.blog.fc2.com/blog-entry-157.html
5739レについても大越にあったセメント工場から出荷されるセメント列車の関係で
3重連になったというのですが、
ただ、5739レについては、
大越のセメント工場から出荷されるセメントの量によって左右された
ということで、
出荷されるセメントの量が少ないと5739レが重連運転になってしまう
ということでありましたが、
伯備線で機関車デゴイチの3重連による2492レについても同じようなことで、
足立石灰工業の工場から出荷される石灰石の量が少ないと、
重連運転になってしまったということで、
その当時、2492レを撮影しに来たら3重連でなく、重連運転だったという
ことでがっかりしたという方も多数いたといわれています。
●機関車デゴイチが3重連で担当した2492レで使われた車両。
引用先 https://www.ashidachi.co.jp/local/culture/d51/
それと2492レで使われていた車輌ですが、
どんな車両が使われていたかというと、
機関車については新見機関区に所属する機関車デゴイチでありますが、
その中の1台でもある838号機については4月にお召し列車も担当しましたが、
普段はこの区間の貨物列車などで活躍していました。
そして2492レで見かけることができた貨車については、
北海道の炭鉱で採掘された石炭を運ぶために使われていたセキ6000
引用先 http://www.asahi-net.or.jp/~vd7t-ktgw/fc/sekkai/sekkai.html
も2492レで活躍していましたが、
セキ6000といえば北海道で活躍していたということでも知られていますが、
以外にも本州でも活躍していた車両もありましたし、
2492レで使われた貨車についてはセキ6000のほかに、
足立石灰が所有するホッパー車のホキ7000
引用先 http://jointnote.la.coocan.jp/Lib2/hoki7004.htm
もセキ6000と組み合わって使われていました。
あと、たまに連結されることがある3軸ボギーのホッパー車でもあるホキ2900
引用先 http://jointnote.la.coocan.jp/SLog/2006/20060611/yard.htm
もありましたが、
この車両ですが青梅線などで活躍していたホキ2500が長くなった感じの貨車でありましたが、
なぜ?車体が長くなったのかというと、
石灰石輸送単位の増大の試みとして作られた車両で、
50tまで石灰石を積むことができるということでありましたが、
ただ、この手の貨車については本当に使い勝手も悪かったという
こともあって、たった3両だけで終わりましたが、
あくまでも試作的なものであり、
ヨンサントオのダイヤ改正で黄色い帯を巻いた速度制限車となり、
1975年度にすべての車両が廃車となりましたが、
これらの車両が伯備線で運転されていた石灰石輸送列車に使われていましたが、
カトーからも伯備線石灰石輸送列車がNゲージで製品化されましたが、
セットには鷹取式集煙装置と新見機関区にいた機関車デゴイチ
のナンバープレートも入っていますが、
唯一鷹取式集煙装置が2個しかないのが残念なところでありました。
●機関車デゴイチが3重連で担当した2492レは撮影するのも大変だった。
https://nimmi.jp/niiminokoto_20180817/
そんな機関車デゴイチが3重連で担当した2492レについては今で言えばお立ち台ということもあり、
場所取りも激しかったといわれていますが、
その当時の様子についてはネコパブリッシングから年4回販売されている国鉄時代の創刊号から関わってきた山下修司さんも実際に、
機関車デゴイチが3重連で担当した2492レを撮影しに行っていましたが、
その時の様子が国鉄時代Vol.2の国鉄時代徒然草の中に出てきていますが、
山下修司さんも2492レを撮影するに際して、
2492レが3重連になるのかどうなのかということを、
新見機関区に電話をして確認したというのですが、
そもそも上記の列車については足立石灰から出荷される石灰石の量によって左右されるということで、
最悪列車自体が運休ということもありましたから、
まずは実際に翌日、2492レが3重連で運転されると確認を取り、
そして土曜日の後、岡山を17時47分に発車する列車に乗り、
新見についたら駅弁を購入して布原信号所の撮影ポイントに訪れてから食べて、
駅弁についている割りばしでカメラの3脚を固定しさらに駅弁についているひもで括り付けて場所取りをしてから、
一度新見駅に戻り、夜を明かしてからの芸備線4時48分の始発列車で布原信号所の確保した場所に戻って撮影したというのですが、
それでもなかなか3段目通路側には3脚を立てることができなかったとも国鉄時代徒然草の2回目の話にも出てきていますから、
それだけこの場所で新見機関区の機関車デゴイチの3重連を撮影するのは大変だったということになりますが、
蒸気機関車が終焉を迎えつつある中での出来事の一コマということになりますが、
今から50年以上前の話になりますが、あの当時でもすごかったというのですから、
今の時代でしたらもっとすごいことになったのではないでしょうか。