本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

デゴイチが東北本線で3重連で運転されていたその理由は?

 

 

引用先 https://www.omotetsu.com/omoide1/okunakayama/okunakayama.htm

 

今は第三セクターいわて銀河鉄道の一部となったに御堂から奥中山の区間がありますが、


この区間についてですが、今から50年以上昔の話になりますが、

 

機関車デゴイチが3重連で活躍していたという話は今や伝説の世界になりましたが、

なぜ東北本線デゴイチによる3重連の運転が行われていたのでしょうか。

 

 

デゴイチが3重連東北本線で運転されたその理由とは?

 

 

 

引用先 http://www5.plala.or.jp/stmlo9600/sl/sl281.html

 

 

今はいわて銀河鉄道の一部となったに御堂から奥中山ですがかつてはデゴイチが3重連で活躍した区間でもありますが、

 

そもそもなぜ?御堂から奥中山の区間デゴイチが3重連による運転をすることになったのかというと、

 

その理由ですが、

 

東北本線については北海道と本州を結ぶ重要な路線ということもあり、

 

今もそうですが首都圏と北海道との間でコンテナ列車が数多く運転されているというのも、

 

首都圏と北海道とを結ぶ重要な物流を担っているということでありますが、

 

この点については蒸気機関車が活躍していた時代も同じですが、

 

その当時から東北本線ではどのようにして輸送力を強化するかというのが大きな問題でありましたし、

 

さらに御堂から奥中山の区間については勾配もきつくて、

 

最大23,8‰の上り坂であるということもありましたが、

 

23,8‰ですが具体的な数値として表すと1000メートル走って23,8メートル上るということになりますから、

 

上り坂としてもきついということになります。

 

それでこの問題をどのように解決するかということで、

 

編み出されたのが、


御堂から奥中山の区間デゴイチによる3重連での貨物列車の運転でありました。

 

 

その結果、デゴイチによる重連運転では700tまでで限界が来ていましたが、

 

それが3重連での運転では1000tまで増やすことができたということですから、

 

それだけ東北本線の輸送量がひっ迫していたというのがこの区間デゴイチの3重連による運転が実現したそもそもの理由でありましたが、

 

今もそうですが東北本線が物流においてもどれだけ重要な役割を果たしているかということについては首都圏と北海道を結ぶコンテナ列車が数多く設定されていることからも証明されていますが、

 

昭和40年代であれば鉄道による貨物輸送もピークを迎えていた頃ですから、

 

どれだけ北海道と本州を結ぶ貨物列車のはたしてきた役割が重要だったかということをよく表していたということになります。

 

 


デゴイチの3重連を担当した機関区とどんな特徴があったのか?

 

引用先 https://minkara.carview.co.jp/userid/181816/blog/44088823/

 

それで東北本線の御堂から奥中山の区間で運転されていたデゴイチの3重連についてですが、

 

担当した機関区はというと、

 

盛岡機関区

 

尻内機関区

 

一戸機関区

 

この3つの機関区が御堂から奥中山の区間を担当しましたが、

 

実際にその当時この3つの機関区に配備されていたデゴイチについてですが、


椎橋俊之さんの書いたドキュメント感動の所在地の1巻に、

 

 

昭和42年の4月の時点の奥中山関係の機関車の配置表が出ていますが、

 

実際に御堂から奥中山の区間を担当した盛岡、尻内、一戸に配属されていたデゴイチはというと、


盛岡機関区が23両で、その中でも注目のナンバーですがデゴイチナメクジ型の1号機が配属されていましたし、そのほか盛岡機関区にいたデゴイチについては標準型と準戦時型が多数配置されていました。

 

尻内機関区には28台のデゴイチがいて、ナメクジと呼ばれた1次型から戦時型の1000番台のすべての車両が揃っていました。

 

一戸機関区についてはデゴイチは9両だけですが、それでもナメクジと呼ばれた1次型の17号機に標準型の先行量産車でもある87号機もあればキリ番の400号機などが配置されていましたが、

 

この区間を担当したデゴイチの特徴ですが、

 

3000リットルの重油タンクを炭水車に装備していた東北仕様デゴイチになりますが、

 

それだけ御堂から奥中山の区間の運転が大変だったかということを表していました。

 

 

デゴイチの前3重連の運転のパターンにはどんな組み合わせがあったのか?

 


引用先 https://www.omotetsu.com/omoide1/okunakayama/okunakayama.htm

 

御堂から奥中山の区間については盛岡、尻内、一戸に所属するデゴイチが3重連で峠越えに挑んでいましたが、

 

その中でも前3重連のケースだとどんな組み合わせになったのかということについては、


ドキュメント感動の所在地の1巻の奥中山1967の解説のページの32ページに、

 

 

ヨンサントオのダイヤ改正1年前の昭和42年の10月1日のダイヤ改正で設定されていたデゴイチの3重連の組み合わせですが、

 

2195レ 前々補機一戸+前補機一戸+本務機盛岡

3367レ 前々補機盛岡+前補機一戸+本務機尻内

53レ   前々補機一戸+前補機盛岡+本務機盛岡

2199レ 前々補機一戸+前補機盛岡+本務機盛岡

252レ  前々補機一戸+前補機尻内+本務機尻内

1090レ 前々補機盛岡+前補機盛岡+本務機盛岡

52レ   前々補機一戸+前補機盛岡+本務機尻内

 

という組み合わせになりますが、

 

特に一戸に配属されていたデゴイチが前3重連のケースでは先頭に立つことが圧倒的に多かったということになりますが、

 

 

反対に盛岡機関区や尻内機関区のデゴイチが一番先頭に立つことはあまりなかったということになりますから、

 

 

この区間については3つの機関区の乗務員の方達の息があってこそ運転できたものでありますが、

 

 

実際にこの区間で先頭に立った一戸機関区に所属していた乗務員の方達も、先頭に立つ以上その責任も重大であったということになります。

 

 

あと、御堂から奥中山の区間については旅客用のc60やc61も特急貨物や急行貨物本務機として使われていましたが、

 

東北本線がその当時から物流の重要なルートであったということになりますが、

 

その場合でも御堂から奥中山の区間デゴイチが前に2台ついて3重連となりましたし、

 

このほかには御堂から奥中山の区間で運転された機関車デゴイチによる3重連については、

 

前にデゴイチが2台付き、その間に貨車が入り、

 

そして一番後ろに補機の機関車デゴイチがつくというようなケースもありましたが、

 

実際に撮影された画像もありました。

 

 

引用先 http://okazu1945.moo.jp/okunakayama/okunakayama1.htm

 

このケースでは、一番後ろのデゴイチが後ろから押し上げていくということになりますが、

 

その反面、トンネルなどでは前から流れてくる煙で大変だったという話も残っていました。

 


デゴイチの3重連でも一番厄介な貨物列車も存在していた。

 

 

引用先 https://minkara.carview.co.jp/userid/181816/blog/44088823/

 

 

それで御堂から奥中山の区間で運転されたデゴイチによる3重連の貨物列車ですが、

 

特に厄介だったのが冷蔵車で編成された鮮魚を運ぶ列車になりますが、

 

 

引用先 https://ameblo.jp/kaoru-tashiro/entry-12138026076.html

 

この列車についてですが海道から連絡船で航送され、青森に到着したのち、さらに八戸でも増結されて、

 

首都圏まで運転されていたというのですが、

 

積み荷の鮮魚については氷も一緒に入っていますからその分だけ重量も増すだけでなくて、

 

さらに積み荷の鮮魚から垂れ落ちてくる魚脂により後続の列車が空転してしまうということも起きていたということで、

 

この区間を担当した3つの機関区の乗務員の方達も鮮魚を積んだ列車については注意していたということですが、

 

 

この当時、北海道や東北で採れた海産物も東北本線経由だったというのですから、

 

それだけ東北本線の役割が重要だったかということですが、

 

この点については今も変わらないということですが、

 

デゴイチが3重連で活躍していた時からかつての東北本線の役割が重要だったかということをあらわしていました。