本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

失われた輝き:ef65 500番台は悲劇の特急牽引機だった。

 

引用先 https://www.kanorail.com/EF65_500/EF65500.htm


今後、その動向がどうなるかということで注目の高い車両が、JR東日本高崎支社に残るpトップこと、ef65 501ですが、ef65 500番台はどんな車両なのでしょうか?

 

 

 


ef65 500番台が作られた理由は?

 



引用先 https://www.kanorail.com/EF65_500/EF65500.htm

 

ef65 500番台は、これまで20系で運転されていた寝台特急あさかぜなどを担当していたef60 500番台が高速運転で無理がかかり、故障が起きてしまうしてしまうことがありましたが、元々ef60は貨物用の電気機関車として作られた電気機関車で、それゆえスピードも出しずらかったということで、

 

高速運転の際にはモーターに負荷がかかってしまい、フラッシュオーバーが起きてしまうこともありましたが、東京と九州を結ぶ寝台特急はその当時の花形列車でありました。

 

 

そうした関係で、その当時の国鉄の関係者の方達もこのままでは大変なことになるということで、貨物用として作られたef65 0番台をベースにして新たに高速運転向けの機関車として作られたのがef65 500の旅客用のP型であり、貨物用のF型でした。

 


ef65 500番台は旅客用と貨物用にも分かれていた。

 

ef65 500番台は2つあり、旅客用のP型と貨物用のF型に分かれていますが、旅客用と貨物用は、番号で見ていきますと今もJR東日本に残っているef65のpトップこと、

 

 

 

 

引用先 http://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/takaki/ef65501_jre.html


501号機から512号機、527号機から531号機0番台から500番台に編入された535号機から542号機旅客用のP型になります。

 

 

これに対して貨物用は、513号機から517号機、そして518号機から526号機、532号機から534号機までが貨物用のF型になりますが、

 

 

 


引用先 https://www.kanorail.com/EF65_500/EF65500.htm


ef65 500番台のp型とf型の違いは、スカートにその違いがはっきり出ていますが、P型は旅客用でスカート周りもスッキリしています。

 

 

これに対して、F型は重連運転用のジャンパー栓などがついているところが旅客用のP型との大きな違いで、最盛期の国鉄車両ガイドブックの第10巻49ページの下の方にP型とF型を正面から撮影した写真が掲載されていますが、同じ機関車であっても旅客用と貨物用とでは、こうも違うのかというくらいのその違いがはっきりとしています。

 

 

 

ef65 500番台といえば何はなくてもブルートレイン

 

 

引用先 http://seishunm.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

 

ef65 500番台といえば、一番華々しい活躍の舞台といえばやはり寝台特急を担当していた頃になりますが、ef65 500番台が担当していた東京発の寝台特急もいろいろとあり、

 

・あさかぜ

・みずほ

はやぶさ

・さくら

・富士

 

がありますが、寝台特急で20系が使われていた時にはこの5つの列車でありましたが、その後、さくらとみずほが14系14形に変わり、さらに急行として運転されていた出雲と瀬戸が寝台特急に繰り上げられた際には20系で運転されていました。

 

そして、富士とはやぶさも24系24型に変わり、最後まで20系で運転されていたのは、あさかぜでしたが、これも24系25型に変わった際にef65 500番台のP型が寝台特急の役目を解かれました。

 

ちなみにですが、東京発の寝台特急下関で台車検査を行っていた関係で、今もJR東日本に残るpトップこと501号機から504号機までが、下関機関区に移動し、台車検査を行う際には代わりに下関と東京の間を往復していました。

 

 

あと、東京機関区に配属されていた500番台のF型の513号機から517号機も1965年の秋から翌年の1966年の春までの半年の間、東京機関区に配属されていた500番台のP型とともに東京発の寝台特急を担当していましたが、

 

なぜ?貨物用のF型が寝台特急を担当した理由は、1966年から最高速度100㎞で運転される高速貨物列車の運転に向けての足慣らしで、F型の513号機から517号機も東京発の寝台特急の運用に入りました。



じゃあ?関西から運転されていた寝台特急はどうだったのかというと、500番台のP型が担当したのは大阪と青森を結んでいた寝台特急日本海に、新大阪と宮崎を結んでいた寝台特急彗星新大阪と西鹿児島、長崎を結んでいた寝台特急あかつき、同じく新大阪と西鹿児島そして佐世保結んでいた寝台特急あかつき2・1号になりますが、これらの列車もヘッドマークがついていました。

 

それと、東京機関区に配属されていた500番台のP型が1971年の11月から少しの間ですが、上野発の寝台特急あけぼのの直流区間を担当していましたし、

 

下関と広島に配属されていた500番台のP型とF型は、1972年の3月から10月の間にef58が20系を牽引するための工事をする関係で、寝台特急日本海と彗星、あかつきを担当してみたり、1975年の1月から3月のダイヤ改正まで、広島に配属されていた500番台のF型が米原移動し、3月のダイヤ改正の直前まで米原に配属されていたef58が担当していた寝台特急彗星の代走を務めたこともありましたから、

 

こうしてみますと、500番台のP型とF型はとにかく寝台特急との縁が強かったということになります。

 

 

 

ef65 500番台のf型は高速貨物専用車として作られた車両だった。

 

 


引用先 http://ef58176.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/blue-blue-st-11.html

 

ef65 500番台の中で寝台特急を担当したP型と対照的なのがF型のグループで、F型は高速貨物列車を担当するために作られた車両で、どんな列車を担当したかというと、

 

ef66が出てくるまでコキ10000系で編成されたコンテナ列車に、博多港大阪市場駅との間で運転されていた鮮魚特急貨物列車のぎんりんに、長崎港と東京市場との間で運転されていた鮮魚特急列車のとびうおを担当していましたが、この二つの鮮魚特急列車はレサ10000とレムフ10000で編成され、さらにef65 500番台の中でF型が重連運転で担当していたということでありますが、

 

 

この時がef65 500番台のF型が一番輝いていた時代になりますが、その後、ef66が登場したことでこの役目も解かれて一般の貨物列車の運用に入りますが、この辺はP型が1000番台に移行したのちと同じこととなりましたが、ef65 500番台はP型もF型もどちらかといえば不運な車両だったのではないでしょうか。

EF65 0番台から500番台への転用された車両とその理由とは?



 


引用先 http://tnk-ko.a.la9.jp/Izumo/Izumo.html

 

ef65 0番台には寝台特急が増発されたということで、500番台に編入された車両も存在していました。

 

 

 

ef65 0番台から500番台に編入された車両は何号機だったのか?

 

 

 

引用先 https://ameblo.jp/terkey-rider6633/entry-12496551941.html

 

 

ef65 0番台から500番台に編入された車両ですが、ef65 77から84までで、そしてef65 500番台になってからは535から542へと変わりましたが、それにしてもこの5台のef65は本当に運が良かったといってもいいのではないでしょうか?

 

何しろef65 0番台は、もっぱら貨物列車だけで使われていましたから、それが寝台特急牽引機に改造されたというのですから、一気に出世したものになりますが、逆に言えばこの5台が、貨物列車を担当していた頃に撮影した写真は貴重な記録になります。

 


ef65 0番台がなぜ?500番台に編入されたのか?

 

 

 

引用先 http://tnk-ko.a.la9.jp/Izumo/Izumo.html

 

ef65 0番台ですが、なぜ?500番台に編入された車両があったのかというと、その辺の事情についてですが、1968年の10月のダイヤ改正寝台特急が増発された関係で、

 

500番台のP型が足りなくなるという事態が、起きてしまったということで、本来なら新たに作ってもいいようなものですが、それでは時間がかかるということで、急きょ0番台のグループから5両が500番台に改造されたということになりますから、

 

 

その当時は、まさに東京と九州を結ぶ寝台特急も本数も多かったということでしたから、機関車も不足するということになりますが、それだけその当時は寝台特急の需要も高かったということを裏付けていたということではないでしょうか。

 

 


ef65 0番台から500番台になった車両はその後どうなっていったのか?

 

 

 



引用先 https://blog.goo.ne.jp/atis128/e/1afe5a684d05d2d0d303bef760f8099f


ef65 0番台から500番台になったef65は、1978年東京発九州行きの寝台特急が、1000番台に後期型に移行した関係で、500番台のP型のグループはその務めを解かれて、f型とともに貨物列車の運用に入りましたが、

 


JRに移行後は、500番台のうち501号機だけがJR東日本に引き継がれ、残りの車両はJR貨物に引き継がれましたが、そのうち535、539、541は、特急色のまま使われていたということもあり、注目度も高くなっていったということはよく知られていますし、

 

2004年には535が最終全検査を出場したということもあり、高崎機関区にて、501、535、539、541の4両が揃っての撮影会も開催されました。

 

 

 

引用先 http://geo.d51498.com/non20100/takaki04/takaki04_2.html


そして2008年に535が引退したことによって、0番台から500番台に編入されたef65もすべて消えていったということになりますが、0番台から500番台に編入された535は、今も府中にある東芝の工場で保存されています。

 

ef65 0番台の長い車歴と更新工事を受けた理由はどんなことだったのか?



引用先 http://ef6556.web.fc2.com/ef65-0.html


ef65 0番台も晩年、更新工事を受けましたが、なぜ?ef65 0番台が更新工事を受けたのでしょうか?

 

 

 


ef65 0番台が更新工事を受けた理由は?

 

 

 

 



引用先 https://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/ef65-0_takaki.html


JR貨物に所属していたef65 0番台は、一般色から更新色に変更された車両もありましたが、JR貨物に所属していた直流電気機関車で、ef64からef66がなぜ更新工事を受けた理由は、JR貨物で使われていたef64からef66の中には、車歴の長い車両も存在していました。


それで車歴の長い車両は、特別保全工事を随時行い引き続き使っていくことになりましたが、この場合、新しい後継機の登場までということになりますが、ef65の各グループの場合は、桃太郎ことef210が増備されていくまでということになります。


そうした関係で車歴の長いef65 0番台は、ef210が随時落成して、配備されるまで使うということで、更新工事を受けました。

 


ef65 0番台の更新機の塗装のベースになった車両もあった。

 

 

引用先 https://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/ef65-0_takaki.html

 

 


ef65は、0番台を含めて更新工事を受けた車両は塗装変更を行いましたが、その元になった車両がJR貨物になってから試験塗装機として登場した、ef65 21号機でありました。

 

 

引用先 http://blog.livedoor.jp/tec_300x/archives/51534831.html

 

ef65 21号機は、元々廃車になった車両で国鉄清算事業団が所有していましたが、それをJR貨物が購入して整備し直した車両で、その際に塗装も変更しましたが、その時の塗装が後の更新工事を受けた車両の塗装のベースとなりました。


そうしたこともあってef65 0番台も更新工事を受けましたが、更新工事を受けた車両は最初はライトパープルをベースにディープブルーとスカイブルーの塗装でしたが、

 

 

 

引用先 https://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/ef65-0_takaki.html

 

のちに大宮車両所で全検を受けた車両は、ライトパープルとディープブルーに変わりましたが、

 

 

 


引用先 https://train.sakura.ne.jp/freight/f-photo/f-2382


広島車両所で全検を受けた車両は引き続き3色で出場しました。

 

ef65 0番台は、JR貨物時代に更新機もすべて廃車となり、3回目の更新工事を受けた車両は存在しませんが、仮にef210の落成が遅れていたら、もしかしたらef65 0番台でも、3回目の更新工事を受けた車両も出てきてもおかしくないのではないでしょうか?

 

この辺は500番台のP型とF型もそうですし、1000番台の前期型にもあてはまります。

 

 

 


ef65 0番台の更新機にパンタグラフが変わった車両もあった。

 

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/momotaro20050617/e/b5a72390f73f22afff1562190e9306ac


ef65 0番台は変形機がありませんが、唯一パンタグラフがPS22に変わった車両がいくつかありましたが、JR西日本に所属した123号機が晩年、パンタグラフをps22に交換しましたが、なぜパンタグラフを交換したその理由ですが、

 

これまで使われていたパンタグラの予備がなかったということで、ef65で廃車となった車両で使われていたPS22に交換しただけでありましたが、JR貨物に所属した更新機の114号機パンタグラフをPS22に交換しましたし、

 

 

 


引用先 https://blog.goo.ne.jp/momotaro20050617/e/ead3166ec46fbec5c4a861e22ca0d450


0番台でもパンタグラフをPS22に交換した車両もありましたから、まあ、ef65 0番台が作られてからそれなりに年数も経過していましたから、予備の部品もなくなってしまうということであれば、これもそうした流れであるということになりますが、あまり変形機がなかったef65 0番台でも、パンタグラフを乗せ換えた車両が更新機などにあったということでありました。


ef65 0番台も車歴が長かったということで更新工事を受けた車両もありましたが、これも今では過去帳の世界に入りましたが、それでもef65 0番台の活躍がどれだけ長かったかということを証明しているのではないでしょうか。

 

 

ef65 0番台の長い車歴と更新工事

 

 

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http://ef6556.web.fc2.com/ef65-0.html


ef65 0番台にも晩年、更新工事を受けましたが、なぜ?ef65 0番台が更新工事
を受けたのでしょうか?

 


ef65 0番台が更新工事を受けた理由は?

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https://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/ef65-0_takaki.html


JR貨物に所属していたef65 0番台については一般色から更新色に変更された
車両もありましたが、

そもそもJR貨物に所属していた直流
電気機関車ef64からef66がなぜ更新工事を
受けたのかというと、


JR貨物で使われていたef64からef66の中には
車歴の長い車両も存在していました。


それで車歴の長い車両については特別保全工事を随時行い、

引き続き使っていくということになりましたが、

この場合、新しい後継機の登場までということ
になりますが、


ef65の各グループにについては桃太郎ことef210が増備されていくまでということになります。


そうした関係で車歴の長いef65 0番台
についてはef210が随時落成して、配備されるまで使うということで、


更新工事を受けました。


ef65 0番台の更新機の塗装のベースになった車両もあった。


それでef65 0番台を含めてef65全体で、

更新工事を受けた車両については
塗装変更を行うということで、

その元になった車両がJR貨物になって
から試験塗装機として登場した
ef65 21号機になりますが、

ef65 21号機ですが元々廃車になった
車両で国鉄清算事業団が所有していましたが、

それをJR貨物が購入して整備しなおしたという
ことですが、

その際に塗装も変更しましたが、その時の塗装が
後の更新工事を受けた車両の塗装のベースとなりました。


そうしたこともあってef65 0番台
も更新工事を受けましたが、


更新工事を受けた車両は最初は
ライトパープルをベースにディープブルーとスカイブルー
の塗装でありましたが、

ef6555_1b

https://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/ef65-0_takaki.html

後に大宮車両所で全検を受けた車両は、
ライトパープルとディープブルーに変わりましたが、

 

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https://train.sakura.ne.jp/freight/f-photo/f-2382


広島車両所で全検を受けた車両は引き続き3色で
出場しました

 


それでef65 0番台については
JR貨物時代に更新機もすべて廃車となり、

3回目の更新工事を受けた車両は存在していませんが、

仮にef210の落成が遅れていたとしたら、

もしかしたらef65 0番台でも3回目の更新工事を受けた
車両も出てきてもおかしくないのではないでしょうか?

この辺については500番台のP型とF型もそうですし、

1000番台の前期型にもあてはまることになります。


ef65 0番台の更新機にパンタグラフが変わった車両もあった。


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https://blog.goo.ne.jp/momotaro20050617/e/b5a72390f73f22afff1562190e9306ac


ef65 0番台については変形機がありませんが、

唯一パンタグラフがPS22に変わった
車両がいくつかありましたが、


JR西日本に所属した123号機が
晩年、パンタグラフをps22に
交換しましたが、

なぜパンタグラフを交換したのか
というその理由ですが、

これまで使われていたパンタグラが
なかったということで、

廃車となったef65 0番台で使われていた
PS22に交換したということになりますが、

これについてはJR貨物に所属した更新機の114号機も
パンタグラフをPS22に交換しましたし、


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https://blog.goo.ne.jp/momotaro20050617/e/ead3166ec46fbec5c4a861e22ca0d450


更新機の0番台でもパンタグラフ
PS22に交換したのもそうしたことでありましたが、


まあ、ef65 0番台が作られてからそれなりに
年数も経過していましたから、


予備の部品もなくなってしまうということであれば
これもそうした流れであるということになりますが、

あまり変形機がなかったef65 0番台でもパンタグラフ
乗せ換えた車両が更新機などにあったということで
ありました。


ef65 0番台も車歴が長かったということで
更新工事を受けた車両もありましたが、

これも今では過去帳の世界に入りましたが、

それでもef65 0番台の活躍がどれだけ
長かったかということを証明しているのでは
ないでしょうか。

 

 

貨物用のef65 0番台の様々な塗装変更機 国鉄からJRにあった車両たち。

 

引用先 https://blogtag.ameba.jp/news/EF65-0%E7%95%AA%E5%8F%B0

 

 

貨物用のef65 0番台は国鉄時代からJRにかけていろいろな塗装変更機も存在していました。

 

 

 

 

ef65 0番台にはユーロライナー指定機が3両あった。

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/185183

 


ef65 0番台でJRの旅客会社に引き継がれた車両はほんのわずかで、その中でも有名な方に入るのが、JR東海にあったユーロライナー指定機でありますが、ユーロライナー指定機といえば国鉄時代にはdd51とef64がありましたが、

 

JRになってからは新たにef65 0番台も3両加わりましたが、番号出ていきますと、105・106・112号機になりますが、これらの車両もユーロライナーの廃車とともに消えていきましたが、唯一112号機が工臨などで活躍していましたが、これも2007年の12月で廃車となりました。

 

 


ef65 0番台のジョイフルトレイン指定機はゆうゆうサロン岡山もあった。

 

 

引用先 http://www2.onsenfan.com/~yebisu/jp/train/jrw/jrwef65123_01.html

 


ef65 0番台で最初にジョイフルトレイン指定機になったのは、岡山局が12系の座席車を改造したゆうゆうサロン岡山でしたが、まだ、この当時ですが客車を改造したジョイフルトレインは、品川客車区にあったサロンエクスプレス東京と、宮原客車区にあったサロンカーなにわだけですが、これらの車両は14系14型の座席車から改造したもです。


そして12系から改造されたジョイフルトレインは、名古屋局のユーロライナーと岡山局のゆうゆうサロン岡山となりますが、まだ、この当時ですが日本がバブル景気に入ったころでもありましたから、この手のジョイフルトレインが必要になってきた時期と重なっていました。

 

それでゆうゆうサロン岡山ですが、登場すると同時にef65123号機が指定機になりましたが、これまで旅客列車と縁がなかったef65 0番台もついに檜舞台に立つ時が訪れました。

 

 

そして国鉄からJRに移行した関係で、ef65123も当初は国鉄時代の茶色に金色の帯の塗装でしたが、車両の更新と合わせて車体がオレンジとなり、最後はパンタグラフがps22となりました。

 

 

 


引用先 https://raillab.jp/photo/105252

 

 

 

 

ef65 0番台の塗装変更機といえばJR貨物の車両。

 



引用先 http://www.kanorail.com/EF65/EF65.htm

 

ef65 0番台国鉄からJRに引き継がれた際に、ほとんどの車両がJR貨物に引き継がれました。そうしたこともあってJR貨物に引き継がれたef65 0番台には、塗装変更機もいろいろとありましたが、どんなものがあったのかというと次のようになります。


ef6521号機

 

 

引用先 http://blog.livedoor.jp/tec_300x/archives/51534831.html

 

 

国鉄清算事業団から購入した21号機ですがこの車両は、本来であればあるはずの前面の飾り帯が撤去され、さらに前面のナンバープレートが右寄りになっていましたが、この点はそのあとにJR貨物が作ったef66 100番台、ed79 50番台にef81 450番台と500番台へと引き継がれていきましたし、車体の色もブルーとホワイトの塗り分けで3ありましたから、その後のJR貨物で使われていた直流電気機関車の更新色のもとになった車両で、最後は一般色に戻りましたが、

 

 

引用先 http://blog.livedoor.jp/tec_300x/archives/51534831.html

 

ナンバープレートが右寄りであったという点が、他のef65 0番台と異なっていました。


ef65 116号機

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/210287


ef65 116号機も本当に塗装が派手といえばとにかく派手で、どれくらい派手だったかというと、車体の色が濃い青でさらに側面にやまぶき色でJRの文字が大きく書かれ、前面にもやまぶき色の帯が入っていたということでも有名でしたが、1991年の全般検査の際に元の一般色に戻りました。

 

 


ef65 0番台には茶色の車両も存在していた。

 

 

引用先 http://hakubutukantyou.at-ninja.jp/sub39.html

 


ef65 0番台ですが、JR貨物に引き継がれた車両の中から4両が茶色の塗装に変更されていましたが、なぜ?そうなったのかというと、ef65の元になったef60が登場したころは茶色でありましたから、原点に戻ったということではないでしょうか。

 

それで茶色になったef65 0番台ですが何号機があったかというと次の4両になります。

 

国鉄清算事業団から購入して復活した9号機

 

 

 

 


・9号機の故障により、二代目となった56号機

 

 


引用先 http://kawayu449.blog.fc2.com/blog-entry-1000.html

 

 


岡山機関区から高崎機関区へ移動したのちに茶色となった57号機

 

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/24030

 


更新色から茶色になった75号機

 

 

引用先 http://dd51twilight.fc2web.com/train/gallery/loco/ef65-0/75/010728-kamotsu-ef6575.html

 

 

茶色になったef65 0番台ですが、9号機は国鉄清算事業団にあった廃車となった車両から復活したものですが、4代目の75号機は更新色から茶色になったという異色の経歴でありましたが、これらの車両も今は過去形の世界に入ったということになります。

 

 

車両の進化と活躍:ef65 0番台の活躍の歴史

 

 

引用先 https://www.torepa21.com/html/a-j31ef65kamo3e2.html

 

 

 

首都圏をはじめ、東海道本線山陽本線で地味に目立たないまま活躍していたef65の0番台は、どんな車両だったのでしょうか?

 

 

 

 

 

ef65 0番台はこんな車両だった。

 

 

 

引用先 https://blogtag.ameba.jp/news/EF65-0%E7%95%AA%E5%8F%B0

 

 

かつては東海道本線などで、貨物列車で活躍していたef65 0番台はどんな車両だったかというと、

 

ef60のけん引力と高速走行性能を強化した車輌であること。


試作車や先行量産車がなく、いきなり量産車から製造された。
 

JRになってからも長く使われた

 

 


ef65 0番台が作られたその理由もef60絡みだった。

 

 


引用先 http://www.kanorail.com/EF65/EF65.htm

 

首都圏や東海道本線でかつては見ることができたef65 0番台は、これまで貨物列車などで使われていたef60では、けん引力と高速性能がいまいちだったということもあり、


モーターの出力を強化し、さらにギアの比率も高めたということで、平坦区間でも高速での運転もでき、さらに牽引定数も高くなったということもあり、ef60よりも使い勝手のいい機関車として作られた車両でしたが、そのおかげでコキ50000系で編成されたフレートライナーも担当することができましたが、

 

裏を返せばその当時の国鉄の関係者も、ef60の性能には納得していなかったとも見ることができますから、そうしたことを含めるとef65 0番台は、その後の500番台や1000番台にも繋がっていく車両でありました。

 

 

ef65 0番台には先行量産車が存在しないその理由は?

 

 

引用先 http://www7a.biglobe.ne.jp/~dts/page503.html

 


ef65 0番台は、いきなり量産車から始まっていますが、そもそも国鉄で使われていた電気機関車は、試作車であったり先行量産車を落成させてから、走行試験などを行って問題点などを洗いざらいに出してから量産車へと移行するのですが、

 

ef65 0番台番台の場合は、ef60の改良型ということもあり、1号機から量産車へと入りましたが、この点はこれまで国鉄で使われていた電気機関車の中でも、異なっていたということになりますが、

 

ef65 0番台はef60という前の車両があったからこそ、いきなり量産車へと移行したということになりますが、もしef65 0番台がモーターなどを含めてef60と異なっていたらまずは、先行量産車からということになったのではないでしょうか。

 

そういう意味でもef65 0番台は、500番台や1000番台へと続いていく車両の土台となりましたが、逆に言えばef65 500番台や1000番台ができたのもef65 0番台があったからとなります。

 


ef65 0番台はJRになってからも長く使われた。

 

 

引用先 http://www.kanorail.com/EF65/EF65.htm

 

 

ef65 0番台は、JRになってからはほとんどの車両がJR貨物に移行して、貨物列車の先頭で長年活躍していましたが、なぜ?ef65 0番台がJRになっても長く使われたかというと、国鉄時代に作られた車両は頑丈な造りでありましたから、

 

そうした意味で見ていくと、ef65 0番台も車体の作りなどが頑丈でありましたし、あと、ef65 0番台の後継機の開発も遅れたということも影響していました。

 

 

そうしたこともあって、ef65 0番台はJR貨物でも比較的長く活躍した車両のひとつでした。

スカ色の謎:キハ52とキハ20系の関連性を検証してみた。

 

引用先 http://www12.plala.or.jp/dc52/dc52/dc52125.html


キハ52キハ20系の一員になりますから、それであればスカ色のキハ52は存在したのでしょうか?

 

 

 

 

 

キハ20系でも見られたスカ色はいつから存在していたのか?

 

 

 

 

引用先 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E3%81%8B%E3%81%A3%E8%89%B22%E5%8F%B7

 

 

晩年、キハ52が活躍した大糸線で見ることができたスカ色ですが、いつから存在していたのかというと、スカ色はすでに戦前から存在していましたが、今ではローカル線でも当たり前のように使われているディーゼルカーですが、戦前は燃料をガソリンを使っていたということで、ガソリンカーと呼ばれていた時代で、

 

戦前に作られたキハ41000型の後のキハ04系は完成した当初は茶色でしたが、その後、黄かっ色2号+青3号のスカ色に変わり、さらに1959年の9月からはたらこ色が、出るまで当たり前のように全国各地で見ることができたオレンジ色と肌色のツートンカラー
(クリーム色4号+朱色4号)の国鉄標準色に変わりました。

 

 

キハ20系でもバス窓と呼ばれた前期型の車両と1959年の9月より前の車両は、スカ色の時期もありました。

 

 

 

キハ52にはスカ色の車両は存在していなかった。

 

 

 


引用先 https://www.torepa21.com/html/c-dc20.htm#google_vignette

 

キハ52ですが、スカ色の車両はあったのか?なかったのか?というとスカ色のキハ52は存在していません。

 

なぜならキハ52は、完成した当初から国鉄標準色で落成していましたから、スカ色のキハ52が存在しないのも当然のことになりますが、キハ52の落成がまだスカ色のキハ20があった頃であれば、キハ52でも当初からスカ色の車両も存在していた可能性は十分にあり得ますし、逆に国鉄標準色が遅れればその分だけスカ色が長く続くということですから、その場合でもキハ52のスカ色があり得たということになりますが、この辺は本当に微妙な時間のずれでそうならなかったということになります。

 

 


キハ52にスカ色が不思議と似合うのはなぜか?

 

 

 

 

引用先 https://gohachinihachi1978.blog.ss-blog.jp/2022-01-06

 

晩年、大糸線で活躍したキハ52 125は、国鉄標準色のスカ色の車両となりましたが、ただ、足回りだけがグレーであるということ以外をのぞくと、不思議とスカ色が似合うというのですが、

 

その理由はキハ52キハ20系の一員でになりますから、この塗装を再現したJR西日本には見る目がありましたから、それくらいに自然となじんでしまったということになりますが、今もいすみ鉄道で使われているキハ52もスカ色で、活躍していた時代もありました。